樹木希林さん

コロナのせいで会うことはできないけれど、也哉子ちゃんとは連絡をとり合っていて。希林さんの話になると“懐かしいねぇ”って。“もしも今、希林さんが元気だったとしたら、コロナだろうが平気で外に出かけそうだよね”なんて也哉子ちゃん笑っていたけれど、ホントにそうですよ

 そう語るのは、東京・西麻布にあるセレクトショップ『PRESS601』のオーナー・遠藤勝義さん。'18年9月15日にこの世を去った女優・樹木希林さんとは、30年来の親交があり、娘の内田也哉子やその夫の本木雅弘ら内田家とは今も親しい間柄だ。希林さんは客として遠藤さんのショップに足を運んでいただけでなく、お互いが、最近見た映画の感想を言い合うためだけに電話をかけるほどの“親友”だった。

そういう人がいなくなってしまって、この2年、ずっと寂しいんですよ。今でも映画を見ていると、ふと“希林さんなら、どんな感想を言うかな”なんて」(遠藤さん)

カンヌから帰ってきたあとに……

 同じように希林さんが長年にわたって通い続けていたヘアサロン『カットアンドカットヒラタ』。希林さんを担当していた男性従業員も「まだ実感が湧かない」と口にする。

今でもひょっこりお店にやって来そうな気がするんですよ。普段から、とてもお茶目な人でね。希林さんが声優をやっていたジブリの『借りぐらしのアリエッティ』の話をしたら、その場で突然セリフを演ってくれたり。『ユニクロ』で買ったという帽子に、某高級ブランドのタグを自分で縫いつけてきて“コレ、いいでしょ”なんて(笑)

 希林さんの生前の面影を求めて、今も全国からファンが訪ねてくるという。

40、50代くらいの女性がウチの店にわざわざ髪を切りに来てくれるんです。中には遠く九州からいらっしゃった方もいてびっくりしたことがあります。みなさん決まって“希林さんと同じ髪型にしてほしい”とおっしゃるんです。実は、希林さんのヘアスタイルはそんなに難しいカットではないので、どのヘアサロンでもやってくれると思うんですが(苦笑)。やっぱり“みんなから愛されていた方なんだなぁ”と改めて感じました」(男性従業員)

 行きつけの店の中でも、特に希林さんが通い詰めた店がある。神奈川県横浜市内にある地元では名の知れた老舗の居酒屋『叶家』だ。昭和27年に希林さんの両親が創業したという、いわば希林さんの“実家”。希林さんの実兄の妻─義姉がずっと店を守ってきたが、昨年から自宅を離れて介護施設で暮らしているという。その義姉に代わって現在、店を切り盛りしているのが娘の谷川不二映さん。希林さんの姪にあたる不二映さんによれば、希林さんは亡くなる2、3か月前まで店に顔を出していた。

樹木希林さんの両親が開いた居酒屋に飾られている写真と達筆な色紙

「最後に来たのは……カンヌから帰ってきた後だったかな……。ひとりで寄ってくれることもありましたけど、たいてい誰かを連れてきて、そういうときはお連れの方々をテーブル席に座らせて、自分はひとりでカウンター席に座っては、私たちとおしゃべり」(不二映さん、以下同)

 希林さんは義理の息子である本木雅弘もしばしば連れて来たという。

「私、モックンの大ファンで。だから叔母がモックンを連れて来てくれたときは、思わず一緒に写真を撮らせてもらっちゃいました。叔母は、モックンのことをすごく信頼していたんです」

“芸能人との遭遇”では、こんなこともあった。

叔母から“あなたに似合いそうだから”と、浅田美代子さんが着ていたという服をもらったこともあるんです。浅田さんにお会いしたことなんて、もちろんないんですけれどね(笑)

孫のUTAの手を引いて

 晩年、「全身がんだらけ」と公表していた希林さんだったが、義姉もまた同じ病で闘病生活を続けていたそう。そんな義姉を、希林さんはわが身を差し置いて気にかけた。

叔母が“いい先生がいる”と鹿児島にある治療院を紹介してくれて、連れて行ってくれたんです。そのおかげで、母のがんは手術もせず完治。だから、母は叔母が亡くなったときはガックリと落ち込んでしまってね。“私だけ生き残っちゃった……”って小さな声で寂しそうに。叔母は母のことを“お姉ちゃん! お姉ちゃん!”と慕ってくれていたので……

 しかし、希林さんを偲ぶ一周忌の法要は行われなかった。この三回忌も、親族が集まる予定はないという。「それが家族の考え」なのだとか。

「一周忌のときは也哉子さんと手紙でやりとりして、ウチからはお線香だけ送りました。三回忌も家族でささやかにやるみたいです。法要のかわりというわけではないんでしょうけれど、春先に也哉子さんから叔母の本が送られてきましたっけ」

 少しだけ寂しそうに語った不二映さんには、忘れられない思い出の光景がある。

「亡くなる1年くらい前でしたか。孫の雅樂くんをこっちに連れて来たときのことで」

 希林さんにとっての初孫、也哉子と本木夫妻の長男・雅樂。“UTA”名義でモデルとしてパリコレにも出演した身長195センチのイケメンだ。

彼がバスケットボールでひざをケガしたそうで。その治療院を叔母が紹介して、その帰りに私と叔母と雅樂くんの3人で外で食事をしたんです。びっくりしたのは帰り、駅まで見送ったときです。駅前の大通りの横断歩道に差しかかると、スッと雅樂くんが叔母に手を差し出したんですよ

 希林さんは差し出された孫の手を握った。

ふたり仲よく手をつないで、横断歩道を渡って電車に乗って帰っていきました。なかなか若い男の子にはできないことだと思うんですけど、すごく自然にね。“普段からこうしてるんだな”って感動しちゃって。このときばかりは、あの叔母もごく普通のおばあちゃんに見えました。叔母の本当に幸せそうな笑顔と、ふたりの後ろ姿が忘れられないんです

 店内には希林さんの写真と、彼女が自らしたためた色紙が今も飾られている。

「その写真を見るたびに叔母のことを思い出すんです。いつも見守ってくれている気がするの」

 希林さんは、今も、大切な人たちの心の中に─。