ゆず(上段)あいみょん(左下)星野源(右下)

 人生を支えてくれた歌がフォークソングだった──。

「フォークソングを愛する人に甦る全盛期の記憶」(2020年9月9日配信)に続いて、フォークソングが青春だった世代に印象が残っている出来事や歌手、曲を紹介し、それが教えてくれたことを振り返った『フォークソングが教えてくれた』から一部を抜粋、再編集してお届けします。

今も生き続けるフォークソング

 1980年代以降、フォークソングはもとよりニューミュージックという言葉すらも過去のものになったが、今でもフォークソングは生き続けているように思う。

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

 1990年代に目を落としてみると、1990年代半ば頃から、ゆずが登場してきている。ゆずは北川悠仁と岩沢厚治の2人組で、横浜の松坂屋前をホームグラウンドとして路上ライヴをおこなった。1990年代以降のフォークソングを語る場合、この路上でのライヴというのが、1つのキーワードになっている。

 1980年代のホコ天(歩行者天国)でのライヴやダンスパフォーマンスを思い出す方もいらっしゃるだろう。このホコ天からは、ディスコサウンドに合わせて揃いのド派手な衣装で踊る「竹の子族」、オールディーズなファッションに身を包みロックンロールを踊りまくる「ローラー族」などが生まれた。

 1980年代はバンドブームの真っ盛り。ホコ天出身のバンドも数多く登場してきたが、その中からJUN SKY WALKER(S)、THE BOOM、高校生バンドのBAKUなどが大きく羽ばたいていった。路上といえば1960年代末のフォークゲリラの歴史があるのだが、ホコ天からはフォーク系のグループがあまり出てこなかったのは不思議だ。

 ゆずの路上ライヴは、人が集まりすぎるという理由で1998年の8月に終了する。その最終日は悪天にもかかわらず7000人以上の観客が集まったという。1998年にリリースしたメジャーでの最初のフルアルバム『ゆず一家』は通算100万枚を超えるヒット作となった。

 2人ともアコースティックギターを持って歌う。とくに岩沢厚治は、YAMAHAのFGシリーズという1970年代フォークシンガー御用達のギターの愛好者。初期のレコーディングには、永遠の名器といわれるYAMAHA FG-180(赤ラベル)を使用している。

 基本的には、1970年代のフォークソングにはなかったような明るさが彼らの特徴であるのだが、1998年のアルバム『ゆずマン』に収められた「春三」の饒舌な歌詞は、かつての吉田拓郎を思い浮かばせてくれるような瞬間がある。

フォークソングのスピリットを感じさせるアーティスト

 2000年代に入ってからも、ストリートでのパフォーマンスは続いていった。かつては、演奏する場所がないため路上を選んだように思うが、昨今は1つのステップとして街角が選ばれているのではないだろうか。例えば、モーニング娘。のオーディションに落ちたからストリートで歌い始めた。そんなシンガーが出てきてもおかしくないのかもしれない。

 つまりストリートパフォーマンスは、1つの手段であり、方便であるのだ。andymoriの歌に「路上のフォークシンガー」というのがあるが、ストリートシンガーは、今ではただの光景になってしまったのかもしれない。これからはフォークソングの遺伝子を持った歌い手は、路上ではなく、もっとほかのところから出てくるような気がする。

「恋ダンス」ですっかり国民的なスターとなった星野源だが、その資質はフォークソングにあった。あったと過去形で書いてしまうことになるが、自身が参加していたグループSAKEROCKから距離を置き、ソロ活動を始めた頃は、自分の周りの出来事しか歌わない、生粋のシンガーソングライターであった。

 2010年に発表したアルバム『ばかのうた』は、そんな身近なものばかりの歌が詰まっている。デビューシングルの「くだらないの中に」は、その骨頂のような歌で、21世紀が生んだ最高のラヴソングの1つと言ってもいい。ただ星野源の場合は、すでにシンガーソングライター期は過ぎて次のフェーズを進んでいる。それが少し残念でならない。

 意外と思われるかもしれないのだが、最近の歌い手で最もフォークソングを感じさせてくれるのが、あいみょんだ。物語の作り方が抜群にうまい、そして、それを表現できるだけの歌唱力をもっている。うそだろうけれど本当のことを教えてくれるような、そんな虚実皮膜ぶりがなんとも心地よいのだ。

 他人事を歌うだけではつまらない。絵日記のようなレトリックのない歌詞はもううんざりだ。そんな歌が蔓延している今だからこそ、あいみょんの言葉は突き刺さってくる。ひょっとしたら彼女は、史上最後のフォークシンガーになるのかもしれない。

 フォークソングは、これからどこへ進んでいくのだろうか。フォークは決して過去に置き去りにされた音楽ではない。これからも、脈々と続いていくはずだ。その兆しが、今も見えているように思えるのだ。

いつの時代にもいる若者

 昔の若者は、どこへ行くのにもギターを抱えていった。海にも山にも旅行にもコンサートにも。海に楽器を持っていって潮風に当てて大丈夫なのかと思うかもしれないが、その無鉄砲さも若さであったのだ。

 1970年に中津川で行われた全日本フォークジャンボリーの映像を見ていても、ギターケースを持っている観客がなんと多いことか。会場へ向かう電車の中でも、ギターを取り出して歌い始めている。

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 みんなが参加できる音楽というのは、フォークソングの魅力の1つなのだろう。楽器が弾けないなら手拍子でもいい、コーラスでもいい。気軽に輪になり歌が始まる。80年代の半ば頃に、かつてのアメリカンフォークの聖地だったワシントン・スクエア公園を訪れたのだが、この時代になってもギターを片手に歌っているグループが沢山いて驚かされた。フォークソングは永遠不滅の若者の音楽なのだ。

 その若者たちも年齢を重ね、オヤジ世代に突入している。そんな団塊世代を応援するフォーク酒場が、全国に数多く誕生している。青春期のフォークソングは共通言語であり、新しい会話を生み出すきっかけとなっているのだろう。と同時に、アコースティックギターを片手に路上でのライヴを繰り広げている若者もいまだ絶えない。これはとても興味深い現象だと思う。

 それぞれの世代に、それぞれのフォークソングがあると言っていいだろう。世代を超え、時代を超えて、未だに歌い継がれている。

 フォークソングはまだまだきっと、いろいろなことを教えてくれるはずだ。


小川 真一(おがわ しんいち)音楽評論家 ミュージック・マガジン誌、レコード・コレクターズ誌、ギター・マガジン誌、ロック画報などに寄稿。共著に『日本のフォーク完全読本』(シンコーミュージック・エンタテイメント)『ジェネレーションF 熱狂の70年代×フォーク』(桜桃書房)ほか多数。