今月7日にツッコミ担当の池谷和志(39)が結婚を発表したお笑いコンビ・ジョイマンが再ブレイクの兆しを見せている。
ジョイマンが再ブレイクの兆し
『エンタの神様』(日本テレビ系)や『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)などのネタ見せ番組が、ゴールデンタイムに放送されていた“2000年代お笑いブーム”の最中に突如として現れたジョイマン。
白シャツから胸毛をのぞかせ、ピチピチの黒スキニーを履いたボケ担当の高木晋哉(40)が池谷の前に現れ、ゆるいラップを仕掛けるネタで、2008年ころから一世を風靡した。
しかし、ネタ見せ番組が相次いで終了。彼らもいつの間にかお茶の間から姿を消し、“一発屋芸人”の仲間入りを果たす。なんと、ブレイクから2年後の2010年に放送された『ゲーム&クイズバラエティ ペケ×ポン』(フジテレビ系)では、「旬じゃない芸人」として紹介されていたのだ。
そんな彼らが再び注目され始めたのは、2017年ころ。
過去に大きな失敗をおかした著名人が、しくじった原因や経験から学んだ教訓をゲストに講義する番組『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)に高木が出演し、学生時代は勉強ができたのに今は何も役立っていないこと、現在は月収13万円で妻子を養っていること、不倫スキャンダルで世間の目が冷たくなったことなどを明かした。
以降、自虐ネタを武器に彼らはバラエティーやスペシャル番組に少しずつ顔を見せるようになる。
2018年に開催されたジョイマン15周年記念単独ライブ『ここにいるよ。』では、「チケットが完売しなかったら解散」と豪語した結果、見事にすべてのチケットを売りさばいた。
そして、新型コロナウイルス感染拡大による自粛期間中には、星野源がインスタグラムに投稿した『うちで踊ろう』に乗じ、高木が「#うちでラップを踊ろう」というハッシュタグとともにラップネタ動画を投稿。ひそかに話題となり一般人からミュージシャンまで、たくさんの人が彼の動画にコーラスや伴奏を加えた。
また、先日放送された『くりぃむクイズミラクル9』(テレビ朝日系)のクイズでは、出演者全員がジョイマンの名前を答えられなかったものの、
「誰かジョイマンを覚えている人はいませんか。本当に、2008年、ジョイマンは本当に存在していたのでしょうか」
という高木の哀愁溢れるツイートが驚異の8.5万いいねを獲得。一発屋芸人の中でも、SNSを駆使しながら、新しい笑いを生み出している。
そもそもなぜ彼らは、お笑い界という浮き沈みが激しい中、『しくじり先生』で高木が語っていたように、最高月収が180万円になるような活躍ができたのだろうか。その理由は彼らの最大の特徴でもある、あの「脱力系ラップ」の面白さではないか。
なぜ「脱力系ラップ」が面白いのか
彼らのネタである、あのゆるいラップ。“韻を踏む”ことは昔から変わりないが、実は面白さはそれだけではない。まず、彼らのラップネタの一部を振り返り、“笑える秘密”を紐解いてみよう。
「お祝いしましょう〜浜省は冷え性♪ なななな〜なななな〜なななな軟骨〜♪ いきなり出てきてごメ〜ン♪ 誠にすいまメ~ン♪」
「友達以上恋人未満~モーガンフリーマン♪ なななな〜なななな〜週7木の実ナナ〜♪」
「ジャムおじさん~破産♪ あき竹城~異常♪」
“キモ可愛い”と称される高木がリズムに乗りながらこういったフレーズを投げかけ、反復横跳びのような動きで登場。少し間を開けて池谷が「なんだこいつ〜〜〜!」と困惑した表情を見せる。
韻を踏んでいるところもあるが、「お祝いしましょう」と「浜省は冷え性」、「友達以上恋人未満」と「モーガンフリーマン」というワードの間に関連性は全くない。
さらにネタを見ての通り、ジョイマンはよく著名人の名前を使う。しかも、浜省(=浜田省吾)やモーガンフリーマン、ジャムおじさんなど、芸能界もしくは世間的知名度の高い名前をあえて使用。その割に、「あき竹城〜異常♪」を見ると、「正常」でもいいところを敢えて「異常」というワードを使うなど、対象の人物に若干失礼なラップが多い。
だが、なぜか冷え性で凍えている浜省や、アンパンマンの顔を変えすぎてパン工場の経営難で破産してしまったジャムおじさんの姿が想像できてしまう。中には「若林、孤独死♪」「大和田獏、自爆♪」といった不謹慎なフレーズもあるのだが、視聴者の想像力をうまく使ったラップネタは、ほかのリズムネタとは違う「一拍おいた笑い」を提供している。
彼らのネタを何となく聴いているだけでは、いくらでも作れそうな気がしてしまうが、絶妙に笑える要素を入れたラップに仕上げるのは難しい。関連性のない言葉を使って規則性のあるラップを完成させ、聴いた人の想像力を駆り立てる。数多く存在するリズムネタの中でも、ジョイマンのネタは自家発電的にじわじわと面白くなる新しい笑いのスタイルだったといえるだろう。
どこか毎日ピリピリとしているコロナ禍の今、嫌なことを忘れられるほど笑えて、なおかつ癒されるジョイマンのような笑いが求められているのかもしれない。