終活インタビューに応えてくれた加藤茶&加藤綾菜夫妻

 9年前、45歳という父と娘以上の年の差婚で話題になったふたり。ネットなどで心ない誹謗を浴びる妻を守ってきた加藤茶(77)と、「すべては加トちゃんファースト」と病気になった夫を支えてきた加藤綾菜(32)。そんなおしどり夫婦が語る介護や、コロナで亡くなった志村さん、そして、この先の“夢”とは──。

45歳の2人が語る終活とは……

 2011年、45歳の年の差婚で話題になった加藤茶&綾菜夫妻。あれから9年──。妻の綾菜は今年3月に、介護職として働くうえで基本となる知識・技術を習得する研修、『介護職員初任者研修』(ヘルパー2級)の試験に合格。そして9月、さらにその上の『介護福祉実務者研修』(ヘルパー1級)にも合格した。これこそ愛ゆえの行動!? そんなふたりの“今”を誌上夫婦対談で探ります!

加藤茶(以下・茶) 取れる資格なら、何でもいいから取っておいたらいいんじゃないの、と話していたんです。これから生きていくために、どんな資格でも持っていればいいと思うし。取り立てて、俺の介護じゃなくて、世の中の人のためになればいいかなって。

綾菜(以下・綾) 加トちゃん、今すごい元気だよね。だからこそ介護について勉強しよう、って思ったの。10年後、20年後、これから何が起こるかわからないじゃない。それで介護の基本的な知識を学べると聞いたので、初任者研修に通い始めたんです。

 俺は別に介護されるなんて、全然考えてないけどね。

 元気だからね。この資格は加トちゃんのために取ったんだけど、今、介護を必要としているおじいちゃん、おばあちゃんのために何かやりたいなと思って。介護施設でお手伝いを始めたんです。

 勉強し始めてみると、思っていた以上に面白く、もっと深く学びたいと思ったという綾菜。

──すべては夫のためという彼女の思い、どう受け止める?

 まあ、身近にそういった介護ができる人がいたらラッキーはラッキーだなと。今のところはそれだけかな。

 でも、介護の勉強の半分以上は健康寿命をどうやって延ばすか、なんです。だから加トちゃんが……、何歳まで仕事したいって言ってたっけ?

 85歳くらいまでだね。

 そう、85歳。そのためにはどうすればいいかということを私自身、真剣に考えるきっかけになったと思う。

──介護について勉強してから、妻の自分に対する接し方で変わったと感じる部分はある?

 いや、全然変わってない。結婚した当初からまったく変わってないですね。

 私、けっこう世話好きよね?

俳優としても存在感を出しはじめた加藤茶

 うん。

 でもね、自立支援といって、何でもかんでもやってあげるのはダメというのを学んで。だから最近は“あれ取って”とか言われても、自分でやってって、めっちゃ言うよね、私。

 まあ、ほとんど自分でやっているけどね。

 今までは私、めっちゃやってましたよ(笑)。今はそこまででもないかな。

 それは自分でそう思っているからでしょう。そんなにはやってもらって……

 たぶんね、当たり前になっているんですよ。加トちゃんの身の回りのこと私がやるのが当たり前になっていたじゃない。最近は犬の世話とか前よりするようになったよね。

 ああ、しているね。でもね、これまでも自分の中で特別にやってもらっているという感じはないんだけど。

 幸せだね(笑)。

 そ、そうか?

 かなり幸せだと思うよ。

──もしかして、こんなパートナーがいるから“自分は介護を受けることはない”と言える余裕があるのかも?

 確かにそう思いますね。彼女がいてくれるから、って。本当にいろいろ考えてくれることはうれしいですよ。介護の勉強だって大変ですよ。彼女が勉強している本をちょっと見てみたけど、すごいめんどくさいの、やることが。

 あ、実技のDVDを一緒に見たね。

 ご飯が食べられなくなった人に、のどにチューブを通して食事をさせる実技のDVD。相手にいちいち“これから何々します”って報告するんですよ。それを相手が理解してくれればいいけど、反応がない人もいて。介護するほうが鬱にならないのかな、って。あれを見たら、そういう面倒をかけないよう、元気で長生きしなくては、と思いましたよ。

──相手に頼ればいい、というだけではダメだと。

 彼女に迷惑をかけたくないし。あとはやってもらうほうが感謝しないとダメですね。頼るだけではなく、相手の負担を減らすことも考えないと。こんなこと、若いときには考えませんでしたよ。自分が動けなくなるなんて思いもしなかったし。

病気になったから見えてきたもの

 茶は結婚の5年前に大動脈解離を発症。2014年には、パーキンソン症候群に罹り入院している。筋肉を動かすリハビリは約1年続いた──。

 あのときは私自身がパニックになって何もできなくて。加トちゃんは覚えていないかもしれないけど、病室でポツリと漏らした言葉があるんです。

 何か言ったっけ?

 “今まではいい車が買いたいとか、自分の欲で仕事を頑張ってきたけど、元気になったらこれからの人生は人のために、たくさんの人に笑顔と勇気を贈れる自分になりたい”って。病気をしないと見えないことってあるじゃないですか。

 私も若くして結婚して未熟な部分だらけだったし。加トちゃんの病気があって、考え方とか変わったから。あのとき、本当に夫婦になれたのかなって。未熟じゃなければ、あのときみたいな派手な格好しなかったと思うしね(笑)。

 結婚当初、その年齢差からさまざまなバッシングを受けた綾菜。改めて振り返ってもらうと……。

タレント活動も開始した加藤綾菜

 でも、普通に考えたら気持ち悪いよね?

 え? そうか?

 私だったら思うもん。海外セレブの結婚で、おじいちゃんと20代前半の子が結婚しているとかあるじゃない。私、あれ見て“うわ、キモっ。絶対あいつ殺そうとしているわ”って言ってましたもん(笑)。だから言ったことがブーメランで返ってきた、みたいな(笑)。

 若くて見かけが派手だったから、俺が絶対に騙されていると思った人が多かったみたいだしね(笑)。

 結婚して加トちゃんがすぐに弱ったから、よけいに言われて。あれが引き金になったかな。でもね、あんなときがあったから、今があるという感じ。嫌いな夫婦ランキング、4年間くらい連続1位だったし。うちらは何も変わってないけどね。

 やっぱりワースト1位というのは、ある意味ね、見ている人が多いんですよ。ドリフターズで『全員集合』やっていたときだって、子どもに見せてはいけない番組1位だったから。

──今も変わらずに仲がいいと話すふたりだけど、世間ではコロナ禍で夫が家にいる時間が増え、それが原因で別れてしまう“コロナ離婚”という言葉も。そこは大丈夫?

 そういうのは全然ないです。お互いに束縛しないから。自分がやりたいことをやりたいようにお互いがやっているもんな。

 うん。

 ストレスがたまらないから、ぶつかり合うことがないんですよ。結婚して10年目だけど、大ゲンカというのは1回だけだよね。

 その1回がけっこうひどかったけど(笑)。

 いま思えば、しょうもない、何でもないことが原因で。言い合いをしていたら、彼女がカッとなって、テレビのリモコンを俺に投げつけてきたの。

 そうそう。老人虐待だね(笑)。でもね、当てないように違う方向に投げたのに、わざわざ投げたほうに避けてきて(笑)。それで頭に当たって。

 その後、彼女が実家に電話をかけて、おふくろさんと話し始めたら……。

 加トちゃんからは殺人未遂だって言われるし、両親からは電話越しにすごい勢いで怒られるし。でも、かすり傷でよかったよね。

 血が出ていたし、かすり傷でも痛ぇよ(笑)。

 その1回だけです(笑)。

胸にドカーンと穴があいた感じ

──コロナは日常の生活を奪っただけでなく、ドリフターズの仲間、志村けんさんを奪っていきました……。

 志村が70歳になって俺たちに追いついたら“70歳のドリフターズ”をお客さんに見てもらおうって言ってたんです。70歳から違うことできるよな、って。コント作って、お客さんに喜んでもらおうって……。そう思っていた矢先に逝ってしまったから、胸にドカーンと穴があいた感じですよ。

──志村さんの死で自分の死生観というものは変わりました?

 人間なんて、すごく簡単に逝っちゃうんだな、と思いましたね。わけのわからないコロナなんて病気で……人間は脆いなと。『全員集合』でもね、いろんな危険なことはありました。でも、それを全部乗り越えてきて、ケガはしたけど死ぬことまではなくて。ずっと元気にやってきたんですよ。なのに、こんなにあっけないんだな、って。

 私は志村さんが亡くなったのを目の当たりにして、加トちゃんと普通に生活できることが大切な時間なんだ、って再確認しました。

 志村さんのことも、介護についてもっと深く学びたいと思ったきっかけです。介護じゃなくても、病気で加トちゃんが倒れたとき、自分の中で精いっぱいやり切ったと思えるように、絶対に後悔しないようにって。

 ありがたいな、と思うしかないですよ。

 それしかないじゃない。恥ずかしい(笑)?

 恥ずかしいというのではなくて、ことさらね“ありがとう”とか“頼むよ”の言葉ではなく、自分の気持ちの中にそれは必ずありますけどね。

 愛は伝わってるよね?

 はい。

 それならよかったです(笑)。

'01年のNHK紅白歌合戦に出場したザ・ドリフターズ。'04年にいかりや長介さんが逝去した

 言葉には出さない茶だが、自分がいなくなった後に綾菜が困らないよう“終活”も考え始めている。

 私が事務所に所属したのも、加トちゃんが“自分がいなくなったあと、綾菜を守る人がいなくなるから”ってすすめてくれて。

 やっぱりそういうことは考えるよ。今、彼女に言ってるのは、自分が死んだら再婚してくれって。

 それ、毎回言うよね。

 やっぱり女性として、幸せな生活を送ってほしいと思うからさ。

 なんだか今、幸せな生活を送ってないみたいな感じじゃない(笑)。

生涯、舞台に立ち続けていたい

──人生100年といわれる時代、これからの“夢”は?

 やっぱり生涯、舞台に立ち続けたいという気持ちがいちばんですね。70歳、80歳になってくると、見ているほうもこちらの年齢のことを考えてしまうのか、笑ってくれる人が少なくなってくるんですよ。“あの年でやっていることが気の毒”みたいな気持ちになって。でもそれをはずして、みんなには笑ってもらいたい。そんな加藤茶でいたいです。

 私は、一緒にいる間は加トちゃんが芸人として舞台に立つことをサポートしたい、というのがいちばん。少しずつ自分でも仕事をさせていただいているけど、“加トちゃんファースト”でいたいというのはブレてないから。だって、加トちゃんが弱ったら意味ないものね。

 まあ、しばらくは大丈夫だよ(笑)。

 前もそう言っていたけどすぐ病気になったでしょ。人ってわからないんだよ。

──かなり尻に敷かれている感じがしますけど……?

 女性ってね、実年齢を精神年齢で越えてくるんですよ。45歳の差なんて全然なくなっちゃう。あっという間に追いついてきて、今じゃ越えられてしまいましたよ(笑)。

 何それ、それじゃあ私、相当な年じゃん(笑)。

加藤茶(かとう・ちゃ)●1943年3月11日生まれ。ミュージシャンでありコメディアン。ザ・ドリフターズのメンバーとして一世を風靡。俳優としてもドラマや映画で存在感を出す
加藤綾菜(かとう・あやな)●1988年4月12日生まれ。2011年に加藤と結婚し、45歳の年の差婚で注目を集めた。夫を支えつつ今年、芸能事務所にも所属しタレント活動も開始