「世捨て人になって、看病生活に“特化”した生活を送っていますよ」
くたびれた様子で語るのは、女優・佳那晃子(かなあきこ・64)の夫で構成作家の源(みなもと)高志さん(72)だ。寝たきり生活を送る妻の病気をサポートするために、生活のすべてを捧げる日々だ。
くも膜下出血で意識不明の重体に
妖艶な演技でファンを魅了し、『魔界転生』(1981年)にも出演し、『極道の妻たち』 (’86年)、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)など数多くの映画やドラマに出演してきた佳那晃子。’90年に売れっ子構成作家だった源さんと結婚し、4年後にはヘアヌード写真集を出版するなど、歩みを続けてきた。
源さんから見た佳那は、「男っぽく、さっぱりした性格だった」という。そんな彼女に異変が生じたのは2005年のこと。血液中のタンパク質が減少し全身にむくみが出る腎臓系の疾患、ネフローゼ症候群を発症し、闘病生活を余儀なくされることに。懸命な治療の結果、4年半の年月を経て復帰するが、そこからが本当の悲劇の始まりだった──。
「倒れて1年くらいは意識がなくて、私もわけがわからない心境でした。目が開いているけれど、横たわっているだけで……」
暗い表情で源さんがそう回想する。
2013年1月。自宅にいた佳那は突如、くも膜下出血で意識不明の重体に陥った。医師からは病状が最も重い「重度5」を宣告され、一時は脳が完全に機能を失う「脳死」宣告を受けたという。
幸い蘇生措置が成功し一命を取りとめたが、それでも自分で息もできないほどだった。
「もう死んだと言われていたけれど、生きて戻ってきてくれた。あとはどこまで戻すかです」(以下、源さん)
そうして始まった、夫婦の長い闘病生活。なんとか「脳死」は免れたが、それでも脳の一部しか機能せず、会話はおろか、排尿や排便を制御することさえできない「植物状態」からのスタートだった。ごくまれに回復することがあるというが、絶望的な状況であることには変わりない。
看病生活は「一喜一憂しないこと」
源さんは看病のため、4年ほど前に自宅の静岡県熱海市から東伊豆にある病院の近くまで引っ越したという。
普段はどんな生活を送っているのか。
「贅沢しなければ暮らせるギリギリの水準ですね……」
今の生活を「世捨て人」と言う源さん。年金や過去の作品の著作権、たまに構成作家のアルバイトをするなどして月に20万円程度の収入を得ているが、1か月のアパートの家賃が3万5千円、佳那の入院費は12万円ほどだ。
「毎日、ルーティン生活ですよ。朝7時に起きたらコーヒーをいれ、チョコレート4個と黒にんにくを2かけら食べる。10時くらいまでテレビのワイドショーなどを見て、お昼にパンを食べたら着替えを持って病院に行きます」
自宅から病院までの距離は2キロほど。所有する自動車が壊れているため、徒歩で通院することもあるという。
「面会は1日1時間程度。手を握って刺激を与え、声をかけてあげます。短い時間ですが、大事なのは毎日、顔を出すことなんですよ」
初めは声をかけても全く反応がなかったというが、気が滅入ることはなかったのか。
「自分は不運な人間だと思ったらどんどんそうなってしまう。だから淡々とやっていますよ。看病生活はマラソンより長い。日々の変化に期待しすぎると精神的にもたないので、一喜一憂しないことですね。1ミリずつでも回復しているのだから、少しでもよくなっているところを見つけたら、それを宝物にするんです」
手の指をぴくぴくと動かすまで何年もかかったというのだから、気の遠くなるような話。かつて芸能界で生活を送った時代を思うと、まさに世捨て人だ。
毎日マッサージを続けたら、足が動くように
地道な看病生活を続けながら、ひたすら妻の回復を待ち続けてきた源さん。あるとき、転機が訪れる。
「4年ほど前ですね。毎日マッサージを続けたら、足が動くようになったんです。そして1年半ほど前にはモゴモゴと口を動かせるようになり、だんだん意識も戻ってきました。昨年の12月には流動食も飲み込めるようになったんですよ!」
うれしそうに笑いながら回復の経緯を教えてくれる。以前は声をかけても反応がなかったが、今では耳もしっかり聞こえていて、アイコンタクトで返事もしてくれるという。
一気に回復か、と思った矢先に立ちはだかったのが、新型コロナウイルスの感染拡大だった。
「実はコロナの影響で病院の面会ができなくなり、今年の3月以降、妻に会っていないんです」
本誌が取材したのは8月末。半年間、妻の顔を見ていなかった。
「病院から教えてもらいましたが、今は寝た状態ではなく、座ってご飯を食べるリハビリをしているそうです。信じられませんが、“爆食い”しているみたいですよ(笑)。耳は聞こえるので、私の声を録音したボイスレコーダーを渡して、少しずつ聞かせてもらっています」
年明けにはしゃべりの訓練もできる
長らく妻への面会が叶わなかった源さんだったが、9月2日、久々の許可をもらうことができた(しかし、院内でパソコンを通じたオンラインでの対面)。
20分ほどの再会を終えた感想を聞くと、
「声は、うなり声くらいなら出せるのですが、会話はまだできません。10月くらいからのどのリハビリを始めるので、うまくいけば年明けにはしゃべりの訓練もできるかもしれませんよ」
そこまで回復すれば、自分で意思表示もできるようになる。待ちに待った、8年ぶりの「夫婦の会話」が実現するかもしれない。
第一声ではどんな声をかけるのか?
「“よし! よく戻って来てくれたな。全部聞こえてたろ、この野郎め!”と声をかけます(笑)」
もともと海の近くに暮らしたいという佳那の要望で、熱海に引っ越したという2人。退院後は現在の東伊豆の自宅を離れ、かつて2人で過ごした熱海に戻って、のんびり暮らすつもりだという。
夫の長年の懸命な看病が引き寄せた、佳那晃子の奇跡的な回復。
無事にリハビリ生活を乗り越えて、早く元気になった姿を見せてほしい。