ジャニーズ事務所から年内いっぱいでの退所が発表された少年隊の“カッチャン”こと植草克秀、“ニッキ”こと錦織一清。今年だけでも中居正広、TOKIO・長瀬智也、NEWS・手越祐也が相次いでサプライズ退所を発表しているジャニーズだが、今回のカッチャンとニッキに限っていえば、そこまでの衝撃をもっては受け止められなかった。
「というのも、ふたりの退所は10年以上前から“既定路線”だと言われ続けていたから。'08年のミュージカル出演を最後に、3人一緒に表舞台に立つことがなく、ずっと開店休業状態。レコードデビュー25周年、30周年という記念の年ですら活動は何もナシでしたし。昨年、彼らの生みの親だったジャニー喜多川さんも亡くなったし、ひと区切りつけようと考えたんでしょう。今回もヒガシ……東山紀之だけが事務所に残ることになりましたが、それも想定内ですしね」(スポーツ紙記者)
“少年隊”の名前の権利を持ちたいから…
メンバー全員が高いレベルで歌って踊れる少年隊。“ジャニーズ史上最高傑作”とも呼ばれ一時代を築いたグループは、解散せず名前を残すというものの「今回で事実上の解散」ともっぱらだ。
「ヒガシと退所するふたりとの“待遇格差”がありすぎでしたから。ヒガシは刑事ドラマや時代劇で主演を務めるだけでなく、情報番組でもキャスターを務めている。でもカッチャンはたまにドラマで顔を出す程度だし、ニッキも舞台やミュージカルが活動の中心で。冷遇され続け、思うところがあっての決断ですから」(同・スポーツ紙記者)
かつてジャニーズJr.として少年隊のバックダンサーも務めた石丸志門氏も、「グループの活動再開はまずありえない」と断言する。
「“少年隊”の名前を残したのは、亡くなったジャニー喜多川さんが強い思い入れを持っていたグループだから、という意味もありますが、はっきり言ってしまえば“少年隊”という名称の権利をジャニーズ事務所が持ちたいからだと思います。“少年隊”が事務所に残り続ける以上、植草クン、錦織クンは退所後に“少年隊”を名乗りづらくなるでしょうからね」
35年間、決して平坦な道ではなかった3人。だが、少年隊メンバーとしてだけでなく“ひとりの男”としても、この長い年月の間には少なからず紆余曲折があった。
女性スキャンダルと少年隊
“少年隊の潤滑油”植草の初スキャンダルは、'86年のこと。高校の後輩でモデルをしていたAさんとの熱愛が報じられる。
「写真誌に“お泊まり”を撮られると“部屋でファミコンをしていた”と苦しい言い訳をしていたカッチャンですが、結局、Aさんとは10年間も交際を続け'94年にとうとう結婚を発表したんです」(当時を知る情報番組スタッフ)
1男1女2人の子宝にも恵まれ、女性誌で子育てや料理の連載を持つほど“パパタレント”していたが、'10年末に離婚。結婚生活は16年でピリオドを打った。
「離婚の際に、カッチャンは前妻のAさんと“毎月22万円の養育費を支払う”という約束を取り交わして。離婚後しばらくは約束どおりに支払っていたんですが……」(同・情報番組スタッフ)
'13年に植草が2歳下の別の女性・Bさんと“できちゃった再婚”すると状況が一変。
「“新しく子どもができて生活が苦しいから、養育費を減額してくれ”と、カッチャンがAさんに泣きついたというんです。でも、その再婚したBさんというのは、有名な芸能事務所の役員で資産家なんです。カッチャンが、Bさん名義の高級マンションに住んで、ベンツを乗り回す生活をしていることがバレちゃってね」(同・情報番組スタッフ)
結果、「最低男」と世の中の女性から総スカンを食らう。
「でも今年の春先に、その自宅マンションを担保に数千万円のお金を借りた……なんて話があったりもして。意外とほんとにお金に苦労しているのかもしれないですけどね」(同・情報番組スタッフ)
現在も、植草が暮らしているその高級マンションを訪ねると、Bさんとおぼしき女性がインターホンに出た。
「植草は不在です。いま犬の世話をしていて忙しいので」
少年隊の“リーダー”錦織もまた、女性が絡む金銭トラブルを抱えたことがある。'00年、女優・水沢アキに過去の“不適切な関係”をバラされてしまったのだ。
「ニッキと水沢さんが深い関係だったのは'92年から'93年にかけて。当時、水沢さんはアメリカ人実業家と結婚していましたから、立派な不倫。実は、その当時も週刊誌にふたりの不倫疑惑は報じられていたんですけどね」(当時を知るレコード会社関係者)
錦織がビジネス上のトラブルに巻き込まれ“水沢がその借金1000万円を肩代わりした”とも報じられた。
「この一件で、ニッキもミソがついちゃった。それまでは、実は“ニッキがジャニーズの役員になる”という可能性もあったんです。なにせ、ニッキは職人気質で歌もダンスも実力がズバ抜けていましたから。亡くなったジャニーさんからの信頼も厚く、ニッキを自分の“後継者”として、舞台の脚本や演出を完全に任せることもありましたから」(同・レコード会社関係者)
森光子との蜜月
“グループ最年少”だった東山は、そんなニッキを尻目に、いまや事務所内では近藤真彦に次ぐ、幹部のひとり。
だが、今でこそ女優・木村佳乃と幸せな家庭を築いている東山もまた、女性との熱愛で幾度となくマスコミをにぎわせた。
「'90年の南野陽子とのドライブデートに始まって、ゴールイン目前と言われ続けた牧瀬里穂は9年間も付き合ってポイ捨て。ヒガシが33歳のときに乗り換えたのは、当時17歳だった深田恭子でした。今だったらコンプライアンス的にアウトでしょう(苦笑)」(前出・情報番組スタッフ)
その後も、テレビ朝日の武内絵美アナや女優・内山理名との愛憎劇を繰り返した東山。
「でもヒガシの“1番の恋人”といえば森光子さんでしょう。ヒガシと森さんが毎日、何度もFAXで“ラブレター”をやりとりしていたのは有名な話。ヒガシと内山との熱愛を伝え聞いた森さんが“ショックのあまりめっきり老け込んでしまった”と当時、業界中が心配しましたから。
芸能界の大物、森さんとの仲があったからこそ、ヒガシは今のポジションに収まることができたんですよね」(同・情報番組スタッフ)
世渡り上手と言えばそれまでだが、これだけ浮名を流し続けても、別れたオンナたちと誰ひとり揉めなかったヒガシ。その差が3人の行く道を分けたのかもしれない。