9月27日、自宅で自ら命を絶った女優・竹内結子さん。にわかには信じがたい知らせに、誰もが耳を疑った。
2008年に前夫・中村獅童と離婚後は、今年15歳になる長男とふたり暮らしだったが、2019年2月、同じ所属事務所の俳優・中林大樹と再婚。今年1月には、第2子となる次男を出産したばかりだった。
愛する家族に囲まれ幸せにあふれていたはずの彼女が、いったいなぜ─。
一部では、竹内さんは、出産直後の女性が発症する“産後うつ”だったのでは? とも指摘されている。佐野レディースクリニックの佐野倫代院長によれば「2人目の出産でも、産後うつになる可能性は十分にある」という。
「1度、子育てを経験していても、子どもの成長度合いは十人十色。母親自身の身体や環境も違うことがありますし」
さらに、こう続ける。
「もしそうだとしたならば、今回の報道を見ていて私が気になったのは、竹内さんが1人目のお子さんを出産された後に“復帰したときに仕事があるのか? 忘れ去られてしまうんじゃないか? と不安を抱えていた”とおっしゃっていたこと。憶測の域は出ませんが、そういう気持ちは、おそらく2人目のときも変わらなかったんじゃないでしょうか」
夫の実家に“里帰り”していた
夫婦仲は誰もがうらやむほどだった。奈良県内にある夫・中林の実家周辺では、竹内さんの“里帰り”姿がたびたび目撃されていた。
「おととしの夏だったかな。地元を流れる吉野川のほとりに大樹君が竹内結子さんとふたりでいてビックリ。目が合ったら手を振って挨拶してくれてね」(近所の住民)
「去年の年末も、大きなお腹の竹内さんと一緒に帰ってきていましたよ」(別の住民)
竹内さんが亡くなった当日、中林家は、いつもと違う雰囲気だったという。
「大樹君のお父さんは、普段からこの地域の会合には欠かさず参加しているんです。27日も“街の道づくり”という会合があったのですが、いつもは必ず顔を出してくれる中林さんが何の連絡もなしに欠席してね。“今日はどうしたんだろう?”って話をしていて」(前出・住民)
週刊女性はその実家を訪ね、両親と同居する中林の兄に声をかけたが、無言で家の中へ。竹内さんが愛した家族、そして親族たちは大きな衝撃と深い悲しみのただ中にいる。
だが家族以外にも、竹内さんの死を受け入れられない人物がいる。タレントのイモトアヤコだ。イモトは竹内さんと大のつく親友だった。
「あの日以来、イモトさん憔悴し切っていて。食事もほとんどのどを通らない状況だそうです。昨年結婚したご主人ですら、“なんて声をかけていいのかわからない……”って」(テレビ局関係者)
売れっ子ゆえに、こんなときも目の前には仕事が。
「それでも、“大丈夫です。ちゃんとできます”と、現場では気丈に振る舞っているようです。でも泣き通しなのか、イモトさんの目はパンパンに腫れていたそう」(前出・テレビ局関係者)
竹内と同じマンションに引越し
ふたりが知り合ったのはいまから6年前。舞台での共演がきっかけだった。
「ふたりとも初めての舞台出演だったこともあってか、すぐに意気投合。年は竹内さんのほうが6つ上でしたが、“結子”“アヤコ”と呼び合う仲になりました。よっぽどウマが合ったんでしょうね」(芸能事務所関係者)
食事も頻繁にした。その帰りには、どちらかの家に泊まって女子会の続きをするのが、お決まりの流れだった。
「“もう帰るのも面倒”と、竹内さんが当時住んでいたマンションに、イモトさんがわざわざ引っ越し。しばらく同じマンションに住んでいましたからね。まるで“もうひとりの家族”のようでした」(前出・芸能事務所関係者)
2017年末、イモトがレギュラー出演する『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)の登山企画で南極大陸最高峰に挑むことになったときには、友情の連係プレーも。
「登山スケジュールの都合で、イモトさんは年末年始にどうしても日本にいられないことになったんですが、そのせいで大みそかの『NHK紅白歌合戦』で予定されていた安室奈美恵さんのラスト出演を見られないことになっちゃって」(スポーツ紙記者)
安室の大ファンとして知られているイモト。最後の雄姿は、録画して帰国後に見るつもりでいたのだが、
「イモトさん、日本を離れる前に『紅白』の録画予約するのを忘れてしまって。そのピンチを救ったのが竹内さん。連絡を受けた竹内さんが、イモトさんのためにちゃんと録画しておいてくれたんです」(前出・スポーツ紙記者)
竹内さんの心遣いはそれだけではなかった。マイナス50℃以下の極限の地で命がけの挑戦をする大親友に、サプライズも用意していた。
「山頂へのアタックを控えたクリスマス、南極のキャンプ地に竹内さんから贈り物が届いたんです。“日本食が恋しいはず”と、竹内さんがCMに出演していたインスタントラーメン『サッポロ一番』を大きな段ボール箱にぎっしり詰めて送ってくれたんです」(前出・テレビ局関係者)
竹内がイモトに送った手紙
その箱の中にはラーメンのほかに、小さなクリスマスツリーと1通の手紙が。
「“かならず無事に帰ってきて”という竹内さんからの手紙でした。イモトさん、感激して“号泣しながら食べたよ”って。竹内さんのラーメンをうれしそうにほおばる様子は、イモトさんのインスタグラムにも投稿されています」(前出・テレビ局関係者)
竹内さんが自身のインスタグラムで、唯一“フォロー”していたのが、このイモトのアカウントだった。
「竹内さんは、イモトさんが新しい投稿をするたびに、かならず“いいね”を押していたんです。でも……」(前出・スポーツ紙記者)
亡くなる前の1週間、ある“異変”が起きていた。イモトの投稿にかならずあった竹内さんからの“いいね”が、ピタッと途絶えていたのだ。
「その1週間でイモトさんは4回写真をアップしているんですが、そのどれにも“いいね”がなくて。竹内さんがインスタを始めてからの3年間、こんなことは1度たりともなかったようですから……」(前出・スポーツ紙記者)
空白の7日間─それは、竹内さんの小さな小さなSOSだったのか。