名古屋で講師をしていたころの容疑者(本人ツイッターより)

「息子が跡を継いでから、おしゃれな雰囲気に改装したりと頑張っていたのに……」

 容疑者の経営していたホテルの近隣住民は驚いた様子で語る。

押収されたスマホから盗撮画像

 1917年に創業し、100年以上の歴史を誇る『指宿コーラルビーチホテル』の4代目社長だった田原迫玄容疑者が、9月3日に強制わいせつの疑いで逮捕された。

「容疑者は昨年12月28日の午前3時ごろ、鹿児島県内の路上で当時10代だった飲食店従業員の女性の身体を触るなどした疑いがもたれています。被害女性とは面識がなかったようです」(地元紙記者)

 さらに押収されたスマホのデータから、あろうことか自身の経営するホテル内のレストランで盗撮した動画が発見された。

「本人は黙秘しているそうですが、宿泊する女性客の浴衣の下からスマホでパンツを盗撮していました。静止画・動画など多数確認され、被害者は複数人に及びます」(同)

 客の安心・安全を守るのが使命のホテルで、社長が盗撮を行っていた。

 逮捕を受けて容疑者は社長を解任され、3代目であり、前指宿市長の父・要氏が代表に再任。ホテルは9月23日を最後に営業を停止している。

 ホテルの支配人によると、

「従業員は別のホテルに雇ってもらえるよう交渉しています。今後の経営は、一族で続けることが難しいという判断から、譲渡の方針です」

 愚かな過ちで、一族の築き上げてきたホテルを失ってしまった“ドラ息子”は、どんな人物なのか。

 鹿児島県指宿市で生まれ育った玄容疑者。

 小学校の同級生によると、

「当時は奇声を上げて走り回ったり、バカなイメージしかありませんでした。女子生徒の人気は皆無だった。お金持ちのボンボンという雰囲気ではなかったですね」

 そんな印象とは裏腹に、卒業後は医学部進学率も高い、鹿児島市内にある中高一貫の進学校に入学。

 その後、筑波大学でデザインを学びデザイナーに。

 カシオ計算機で商品開発に携わるなどした後に名古屋造形大学の講師を経て、'13年から実家のホテルを継いだ。

 妹の田原迫華氏は国内外で受賞歴を持つ著名な彫刻家で、芸術肌の兄妹だったようだ。

 社長就任後の容疑者は、'16年に熊本や大分で震災が起きた際に宿泊料金を大幅に下げて被災者を受け入れるなど、地域貢献にも取り組んできた。

容疑者の父親にも逮捕歴が

 私生活はというと、

「玄さんは名古屋から出戻りの際、鹿児島に移り住みたくない当時の妻と離婚しています。その後、指宿で佐渡島出身の女性と再婚し、昨年には赤ちゃんも生まれていました」(実家の近隣住民)

 しかし、ホテルは昔から悪評も絶えなかった……。

「15年ほど前に(父・要氏の社長時代)ホテルで働いていましたが、厨房で副料理長がタバコを吸っているなどむちゃくちゃな職場でした」(元従業員)

「30年ほど前、台風でホテルの看板などが壊れて飛んできて、近隣の家や車が破壊されたことがあります。要さんは直後に市長に当選しましたが、誠実な対応はしてもらえませんでした」(ホテルの近隣住民)

指宿を訪れた小泉純一郎総理(当時)をもてなす市長時代の要氏(右)(2004年)

 容疑者の父親である要氏は'13年に鹿児島市内で植木を万引し、逮捕されたこともある。

 息子も息子なら、親も親ということか。妻子ある容疑者がなぜ、今回のような事件を起こしたのか。

 取材を進めると、容疑者の大学講師時代を知るという大学関係者のAさんから、驚くべき告発が─。

「彼は女好きとして有名で、セクハラの常習犯でした。学生や研究室の助手など、容姿のいい女性には手当たり次第に“彼氏はいるの?”など声をかけては口説いていましたね」

パワハラもひどかった

 声を震わせながら、Aさんが続ける。

「大学のレポート提出にかこつけて学生の電話番号を入手し、休日に女子学生に“会おうよ”と電話をかけていたのが気持ち悪かった。当時、妻もいたはずなのですが」

 ひどかったのはセクハラだけではなく……。

「パワハラもすさまじかった。授業で作品の品評会をしていたときに、気に入らない学生の人格を否定する言葉をひたすら浴びせかけていました」(Aさん)

 それらがトラウマになり、ある女子学生は容疑者を見ただけで過呼吸を起こし、精神的に取り乱してしまうほど追い込まれ、結局、大学を辞めてしまったという。

 当然、学内では問題になっていたようで、

「学長や職員とも衝突が多かった。最終的には大学の契約が更新されなくなり、それで職を失い家業のホテルを継いだようです」

 容疑者はこの時期に当時の妻と離婚しているが、あきれたことにセクハラは最後まで続いたという。

「退職する際、お気に入りの女性の助手に“一緒に鹿児島でホテルを経営しない?”と声をかけていたようです。鹿児島に帰ってからも、当時の学生にしつこく電話をかけていました」(Aさん)

 昔から“危険人物”だった容疑者だが、両親は事件についてどう思っているのか?

 実家を尋ねると、かつて若女将としてホテルを支えてきた母親が対応してくれた。

実家の敷地はもともとホテルの前身である「御旅館・田原迫」が立っていた

「息子がなぜ、このようなことをしたかは、私たちも本当にわからないんです」

 沈痛な面持ちで語りだす。

「息子の嫁は、子どもを連れて実家に帰りました。これだけ世間にご迷惑をおかけしてしまい、私たちももう、指宿を出なければならないかもしれません……」

 家族や従業員など、多くの人を不幸のどん底に突き落とした容疑者。罪を償うだけではとてもすまされない。