霜降り明星、ぺこぱ、ミキにアインシュタイン……いま、バラエティー番組を席巻中なのが“お笑い第7世代”と呼ばれる若手芸人たち。その筆頭にいるのが、兼近大樹、りんたろー。のふたりによるEXITだ。“チャラ男”キャラを前面に押し出した“ネオ渋谷系”漫才で大ブレイク。コンビ結成から3年足らずで、冠番組3本を含むレギュラー番組7本を持つ超売れっ子になった。
「もともとは、別々のコンビで活動していたんです。兼近は売れていませんでしたが、りんたろー。は“ベイビーギャング”というコンビで、テレビでレギュラーを持つくらいの有望株でした。ただ、注目されていたのは、りんたろー。じゃなくて、その相方の北見寛明のほうでしたけどね」(お笑い事務所関係者)
北見は'14年、'15年と2年連続で『吉本男前ランキング』3位に選ばれるほどのイケメン。女性ファンを中心に熱烈な支持を集めていた。
「そもそもEXITの“チャラ男”キャラも北見さんのキャラクターですから。りんたろー。さんは、そのチャラ男に振り回されつつツッコむ役。だからEXITの漫才の原型は北見さんとりんたろー。さんが作ったとも言えます」(バラエティー番組関係者)
ところが、順調だった北見とりんたろー。のお笑い人生は暗転する。'16年4月、北見が無免許運転で逮捕され、裁判中だったことが判明。当時、大きなニュースになった。
「というのも、北見は、その3年前にも無免許運転で懲役1年6か月の有罪判決を受けていたことが発覚したからです。執行猶予期間中の再犯だった」(スポーツ紙記者)
芸名を『北見』に変えての出直し
それだけではない。
「2度の逮捕と有罪判決、今も被告の身だという事実を北見が事務所に伝えていなかったから大騒動に。さらに内緒で、相方のりんたろー。を情状酌量証人として出廷させていたこともわかって、事務所はカンカンでしたよ」(同・スポーツ紙記者)
前代未聞の事態に事務所は北見を即、解雇。後日、裁判でも“執行猶予中の再犯”ということで厳しい判断が下され、懲役4か月の実刑判決が確定した。りんたろー。も“報告を怠った”という理由で、事務所から半年間の謹慎処分を受け、そのままベイビーギャングは解散に。りんたろー。が兼近と出会ったのは、その謹慎明けのことだ。
罪を償った後、北見は'17年11月にフリーのピン芸人として活動を再開。'18年3月には、大物芸人・ビートたけしに誘われる形で現在の事務所に所属する。
「芸名も『北見』に変えての出直しでね。でも北見さん、今も知り合いの芸人やテレビ局関係者に会うたびに“りんたろー。をよろしくお願いします”と頭を下げているんですよ。“僕にできるのはこれくらいなんで”って」(前出・お笑い事務所関係者)
10月5日夜、週刊女性がお笑いライブ出演後の北見に声をかけると、驚きつつも激動の4年間を振り返ってくれた。
「もう……後悔しかないですね。あの件は全部、僕が悪いですから。応援してくれていた方、お世話になった方々にも迷惑をかけましたから。特に元相方……りんたろー。には“申し訳ない”という言葉以外、見つからないです」
兼近とも奇妙な縁があり……
事件当時、多くの友人や関係者は、北見のそばから離れていった。同時に噂やウソがひとり歩きすることもあった。
「僕が無免許運転をして捕まった、悪いことをした、というのは事実ですし罪は罪。みんな離れていくのも当然だし、情報としてそうなっているのであればしかたないと思うようにはしていたんです……。信頼していた後輩や仲よくしていた人が事実と違う噂やウソをホントのことのように話していたり。それもひっくるめてネットでニュースになるんです。つらかったです。身から出た錆なんですけど」
事務所に“逮捕されたことを報告していなかった”とも報じられていたが、実は、「事務所に“まったく伝えていなかった”わけでもなくて……。そういうことが積み重なると、誰を信じていいのかわからなくなって、生きるのもしんどくなって……」
'16年5月のある日、北見は“自殺未遂”を起こした。
「恵比寿にあるビルの5階から飛び降りたんです。股関節を骨折して額と上あごがザックリ切れてケガだらけにはなったんですけど、奇跡的に助かって。その後、神奈川県の横須賀刑務所に入りました。でも、刑務所にいる間に父が亡くなってしまったんです。最期に立ち会えなかった」
北見の父は県立高校の校長まで務めた厳格な人物。「芸人になる」と言った北見に、当初は猛反対。その父から刑務所にいる北見あてに毎週のように手紙が届いた。
「“もう1度、芸人をやってほしい”“続けてほしい”って……。母も……父が亡くなってすぐ、あとを追うように……親不幸したままで……」
言葉を詰まらせる北見の目には涙が浮かんでいた。
りんたろー。とのつながりも消えなかった。騒動後も“新たにコンビを組む”というときにも連絡が来た。
「りんたろー。の今の相方の兼近くんとはほぼ面識がないんですが、昔、僕がテレビ局のイベントで『ミストマン』というキャラになって“毎日水をひたすらまく”という仕事をいただいたことがあって。その初代ミストマンが僕で、翌年の2代目が兼近くん。何か“縁があったんだな”って」
“チャラ男”漫才を引き継いで大ブレイクを果たした彼らをどう感じているのか尋ねると、
「先にそのスタイルで売れたのはEXITですから。りんたろー。たちの漫才を見て思ったのは悔しさより“見つけたな”っていううれしさというか。新しい相方も見つけたし“チャラ男”というジャンルを突き詰めて新しいお笑いのポジションも見つけて。“ベイビーギャングで目指していた漫才が間違ってなかった”とも思いましたし、何より、迷惑をかけたりんたろー。が路頭に迷わなかったっていうのは本当にホッとして……」
りんたろー。とは、EXITが大ブレイクしてから1度、ふたりきりで会ったという。
「会ったのはあの件以来です。改めて“悪かった”って謝りました。それで“かならず俺も追いつくから先に行って待っててくれよ”って。今の僕には彼の背中なんて全然見えてないですけどね(苦笑)」
北見は、お笑いの道を再びしっかりと歩き出した。