「元気ハツラツ!」の文字と一緒に描かれた古い看板のメガネの男性。昭和を代表する喜劇役者・大村崑(88)が、令和になって筋肉ムキムキになっていた! もうすぐ卒寿でも元気そのもの。初めて明かす自身の秘密と、いま感じている時代の変化について、ジックリ聞いてみた。
週2回『ライザップ』に通っています
「きっかけは梅沢富美男です。彼とは仲もいいのですが、日本全国どこへ行っても、彼の姿が目に入るでしょ。それで夫婦でやってみようって」
ピンと伸びた背筋、引き締まった肉体、たくましい二の腕──。これが11月1日に89歳になる大村崑のものだと信じられる読者は何人いるだろうか。彼が街中で目にした“大衆演劇のスター”がダイエットに成功したポスターやCMをキッカケに“結果にコミット”しようと考えたのは'18年4月のことだった。
「週2回『ライザップ』に通っています。女房のほうがハマっちゃって週4回も通っています。食事は1日2食です。ジムへ行く2時前に食べて、夕食は夜8時。寝るのは深夜3時です。朝は午前11時くらいに起きますね」
ストイックになるのも変化を実感しているため。
「ライザップの帰りは、地下鉄の階段とか上がれないぐらいの筋肉痛になるのですが、何日かしたら回復する。筋肉は100歳までつくって言われましたが、本当ですね」
とはいえ“楽しそうですね”“年齢に負けず頑張っていますね”で終わらないのが、スゴイところ。今回、衝撃の言葉が待っていた……。
実は“元気ハツラツ”じゃなかった
「初めて告白すると、実は僕、“障がい者”なんです。まず、肺が片方しかありません。19歳のとき、結核で切除しました。結核は伝染病だから、今のコロナと同じように隔離されました。1年と1か月間です。
同じように隔離された人が最初24人いたのですが、誰かが毎月死んでいく。“次はお前だ”なんて冗談で言い合ってるうちにアメリカから治療薬が入ってくるようになって、運よく退院できた」
ほかにも左の目は、小学1年生のころにボールが当たって弱視になる。
「それと左の耳は、今もほとんど聞こえません。小さいころに継母に反抗して殴られ続けた結果です」
そういったことが積み重なり、あるとき医師にこう言われたという。
「“肺はない、目も耳も悪い、必ずもらえるから、障害者手帳を申請しなさい”と。でも、“元気ハツラツ”と言っている僕が新幹線に乗るときに障害者手帳を出すわけにはいかない。人に見られたら“大村崑は元気ハツラツってウソやで”と言われちゃう。だから申請しなかった。でも、今はそんなに仕事もないし、そろそろもらおうかなって」
その代名詞が生まれたころまで時間を戻そう。日本にテレビの時代がやってきた1950年代。ブレイク後も心の奥底には暗く重い影が常につきまとっていた─。
「気づけばドドーンと人気が出ていた。でも、当時は体力もないから、収録の合間にセットの片隅で寝たりして。先輩漫才師に“コイツ死ぬぞ”と言われたのを覚えています。顔色が悪いのは自覚しており、化粧をしていました。医者からは“40歳までに死ぬ。結婚も無理”って言われたこともあった」
それでも運命の出会いを果たし、'60年に妻・瑤子さんと結ばれる。妻の存在がなければ、芸能界でここまで息の長い存在になっていたかはわからない。というのも、
「当時出ていた生放送の番組内で、僕が大塚製薬の『オロナイン軟膏』という商品名を言うのが評判だったんですが、その役目は先輩の女優に取られてしまった。そしたら大塚製薬の人がウチにやって来て“これから売り出す新商品の宣伝をしてくれないか?”という。それが《元気ハツラツ》の『オロナミンC』でした」
しかし、
「僕は元気なんてないから断ったんです。けど、それを遮って“やらせていただきます”と言ったのが女房。オロナミンCは女房に無理やりやらされたんです。みなさん見覚えのある写真は、16ミリ動画の1コマで、それが雨にも風にも傷まない看板になりました。おかげで当時を回想するシーンに今も出てくる“昭和の顔”になれました」
'17年には功績が認められ『旭日小綬章』を受けた。悲痛な経験があるからこそ、人間の喜怒哀楽を演じる者としての深みが出たという。
「当時の天皇様から勲四等をいただきました。喜劇役者でなかなかもらえませんよ。僕は自分をホメてあげたいのはコレだけ。元気が売りの男が内情は元気ではなかったということも知ってもらいたい」
“人を楽しませること”は現役バリバリ
苦労して今日の“健康体”を得た彼だからこそ、同世代の元気のなさも気にかかる。
「僕が参加している昭和6年生まれの会員が集まった京都の『六羊会』というのがあって、結成時は130人いたのですが、昨年集まったのは10人でした。亡くなった人も多いけど、車イスだからとか、介護者がいないと来れない人も30人ぐらいでね」
今も“人を楽しませること”は現役バリバリ。だからこそ細かいところに目が届く。
「近所の介護付老人ホームには僕の等身大パネルがあって、そこの敬老会で105歳とか103歳の方に花を渡す役目もやるんですけど、みなさん車イスで顔を下に向けたまんま、僕がナンボ話しても反応が少ない。笑ってくれるのは介護している人だけ」
高齢者をいかに喜ばせるかを常に考えている。
「入居者が元気な老人ホームに僕たち男性が行ったら、口紅つけてるおばあちゃんもいます。“みなさんきれいなお嬢さんで。あなたご出身は?”と聞いて新潟だとわかると“新潟美人ですね”と言うとドーッと沸きますよ。僕がもっと暴れまわらなくちゃって思っています」
それもこれも、壮絶な時代を経て“生かされてきた”という気持ちがあるから。
「最近、思うのは“感”で始まる言葉をみんな忘れている気がすること。感謝、感激、感傷、感服、感涙、感泣、感嘆。僕の継母はね、こう言ってました。“おまんま食べられるのは誰のおかげ? 兵隊さんが一生懸命、戦っているからだよ。学校に行けるのは校長や先生がいるから。家では私がいるからアンタもいられるんや。常に感謝の気持ちを持たなきゃアカン”って。
それで包丁を持って僕の腕に当てて“お前のココ切ったら何が出る?”と聞くんです。当然“血や”って言うでしょ。そしたら“血なんか出るか! お前からは出てくるのは感謝だ!”って言うんです」
トレーナーへの感謝の気持ちも忘れていない。ひとりよがりでやる筋トレの危険性も身をもって体験した。
「2年半通ってわかったことは、まずは筋肉をつけるということ。独学でやると、疲れるためにやってしまう。それでケガしたり、腰を痛めたり。トレーナーは“この体勢で耐えて”とか、最善の方法を指導してくれます。女房は以前、1人でジムに通って腰と背骨をやっちゃった」
効果テキメンすぎて、ちょっと困ったことも。
「3か月で顔がホッソリしてきて、トレーナーに“顔は商売道具だから、やせすぎるのは困る”と言っても“顔と身体はつながっているから無理です”と言われて。でも、以前はウエストが92cmあって、自分で靴ひもが結べなかったのが、今日も測ったら79cmです。今までの人生で今がいちばん、調子がいいんです」
4時間を超えるインタビューも終始ハツラツだった。