あの人気番組が終了して7年。いまだに注目の的であるビッグダディ。ほとんどの子どもが成人し、孫までいるという彼は、いま一体、何をし何を考えているのか。さすらい続ける彼には、驚くような新たな出会いもあったという──。人間の深層を描かせたら日本一の作家・岩井志麻子が、彼の本質に挑む。彼が“ビッグ”と呼ばれる理由を分析した!
“ビッグダディ”はぴったりな尊称
「俺は避妊はしない」
初めて、目の前に来たビッグダディ。のっけからもう、ビッグダディ節が全開。そして、なんだかわからないがものすごい「圧」がある。
「なぜなら俺の子を産みたいという女としか、やらないからです」
曖昧な言い方、行間を読め、空気を察しろ、それらはダディの辞書にはない。
なのにいつの間にかふわっと威圧感はなくなり、懐を開いて腹を割った話ができる同世代のおもしろい人、になってしまっていた。
テレビの大家族シリーズの人気者、ではあるのだが。今現在は、東京・江東区の居酒屋「デリム」の店長だ。それでもやっぱり、店長というよりビッグダディ。
改めて、この二つ名に感心する。この方はまぎれもなく有名人なのだが、本名よりもニックネームのほうがよく知られている。
テレビ欄や雑誌でも、見出しにはそちらが使われていることのほうが多い。
そういう私も彼を、ニックネームのほうで記憶していた。彼について書きませんかといわれ、本名を出されたとき、ちょっと戸惑ったのだ。
「林下清志さん……、えっと、誰だっけ。ああ、ビッグダディか」
と、ここまで書いて気づく。ビッグダディはニックネームでありつつ、芸名でもあるのだな、と。たいていの芸能人も文化人も、芸名や筆名こそがその人になってしまっている。本名を先に出されると、かなり高名な人でも誰それ、となる。
ともあれビッグダディという名づけは、本人にこれ以上なく、ぴったりな尊称だ。語感、意味ともに。もし別名に言い換えるとしたら、ゴッドファーザーくらいしかない。名は体を表す。
俺の子を産む女としか、付き合わない
ビッグダディといえばご存じ、子だくさんのお父さん。大家族の大黒柱だ。
愛嬌ある気のいいおじさんにも見え、なんだかやっぱりただ者ではないコワモテにも見える。それは、テレビに出ているときからだった。
「ダディはやっぱり、女好き、セックス好き、子ども好きなんですよね」
こちらが、すごくストレートに質問してしまったこともあるのだが。
この質問はダディも、何万回とされてきたことであろう。そこにはうんざりした様子も、待ってましたという気負いも、ルーティーンをこなす物慣れた態度もなかった。
「俺は、遊びで女と付き合えないんですよ。俺の子を産む女としか、付き合わない。つまり俺とのセックスを、拒まない女ですね。となると、結婚するしかないし、父親になるしかないでしょう。子どもをつくるとき、俺が嫁の排卵日を計算するんです」
それでもさすがに、付き合った女みんなと結婚、とはいかなかったので、それは単に縁があるかないかだともいう。
そして結婚した相手はあくまでも「俺の嫁」で、血のつながらない子たちは、その人を母親と呼ばなくていい、ともいい切る。
「だから、女好きセックス好き子ども好きじゃないですよ」
なんか、むちゃくちゃをいっているような気もするし、しごく真っ当なことをいわれているような気もしてくる。
最初の奥さんが産んだ子の一人が、二番目の奥さんである美奈子さんについて快く思わないこともあった、というのを告白しているが、
「父がまた結婚するとしても、父が選ぶ人なら誰でもいいですよ」
などと、冷めているようで親の考えをしっかり受けついでいるところも見せている。
「俺が絶対に正しい、とは思っていません。俺について来いよ、っていうだけのことで。俺をおかしいと感じるなら、大人になってから考えて軌道修正すりゃいいだけだよ」
実は以前にもテレビ撮影現場でお会いしているのだが、そのときはものすごい数の出演者がいて、二人で会話する機会はなかった。
あ、ダディだ。テレビで見るまんまだ、と思ったことしか覚えていない。
だから、9月の半ばにビッグダディが店長を務める江東区の居酒屋に仕事でうかがったときが、実質的な初対面といえる。
それにしても、ダディの店は実にダディの店だった。もちろん掃除は行き届いているし、くつろげる雰囲気だ。酒瓶の棚、厨房、お客さんのテーブル、整理整頓されるべきところは、みなきちっとしている。
なんといっても、可愛いお嬢さんにしっかりしたお坊ちゃん、そして髪も肌もつやつやの愛くるしいお孫さんが店の隅でニコニコしている。
「そんなべたべた溺愛じゃないけど、やっぱり可愛いよ。この孫たちだって、避妊してたら存在してないんだからねぇ」
料理のコツはすべてめんつゆ
前の持ち主がそのままにしているだけだという、ステージ上の楽器類や無造作に置かれたカラオケセット。特に美味しいからではなく、業者に勧められたから、みたいな理由で手書きのお勧めビラを貼ってある焼酎。
このユルさ加減、まぁなんとかなるでしょムード、別にいいじゃん邪魔じゃないし、といった雑さと紙一重のおおらかさ。まったくもって、ダディの世界だ。
インタビューは実にゆったり、まさに居酒屋の雰囲気にふさわしく一杯やりながら、和やかな進み方をした。
「詳しくはいえないけど、若かりしころ金のトラブルでヤバい奴らにさらわれたときも、これはネタにできるなぁと、ボコボコにされながらちょっとニヤついてた」
みたいなハードな話にも、笑わされた。しかし、ダディの手作りのおつまみが出てきたときは、心底から「ついに来た」とわくわくしてしまった。
ダディは料理上手でも知られているが、手の込んだ金のかかるおしゃれっぽいものではなく、誰もが好きだといえる料理、誰の記憶の中にもある好物といったもの。思わずグルメ番組のレポーターと化してしまった。
「この鶏のから揚げ、ほんっとにサクサクッ。糸こんにゃくのから揚げなんて初めてですが、酒にむちゃくちゃ合う。味噌味の卵焼きも初めてですけど、しっかり下味がきいてる。こちらも下味がしっかりついたナスのから揚げ。カリッとした衣の下の柔らかいおナスの食感が絶品です。
あっ、これ知ってる。ダディのお得意な、餃子の皮を使ったピザ。これは絶対に子どもが喜びますね。あ、こちらはちょっとしゃれた、鶏肉と野菜のごま風味シチュー」
お子さんもお孫さんもみんな肌艶がよくて、ぷりぷりっと健康的だ。それにふさわしい心が育っているのも、すぐわかる。みんなダディのご飯で、大きくなった。
「料理のコツですか。みんなめんつゆ。すべてめんつゆ」
そこまで断言されると、大ざっぱさではなく哲学の域に入ってしまう。
「あと、ホットケーキミックスね。あれがあれば、子どもは育つ」
実際、みんなすくすくと育っちゃってるのだ。案ずるより産むが易し。このことわざをここまで体現し、本来の意味で使っている人がいるだろうか。
「子どもたちが育ちざかりだったころ、金曜日の段階で500円玉ひとつしかない、ってことがあって。この500円で土日をやりくりしないとならない、という状態で、さあどうするかと。で、小麦粉をふた袋買ったんです。まぁ小麦粉があればなんとかなると、楽観的でしたよ。事実なんとかなりましたからね」
料理も絵も「子どもらを喜ばせようと」
石橋を叩いて渡る派からは、計画性がなさすぎだの人生設計が甘すぎるだの言われてしまうかもしれないし、もちろん、将来には備えておくほうがいいに越したことはない。
とはいえ、計画どおり、設計どおりにいかないのも人生なわけで。そのときになんとかしてしまえる人が、生命力が強いのは間違いない。
「いよいよ何もないときは、土手のクローバーを摘んでました。あれ、食えますよ。かき揚げにすると、実に色鮮やか。でもって、『どこかに幸運の四つ葉が混ざってるぞ』といえば、子どもたちがワッと喜ぶの」
クローバーが食べられることより、かき揚げにすると見栄えもよいことより、その状況下で楽しみや喜びを見つけだすことになんだかもう、圧倒された。
ちなみにダディ、番組内でもたびたび披露していたし、著書やブログの中にも掲載しているのでご存じの方も多いだろうが、イラストもうまい。自分たちをモグラ一家になぞらえていて、シンプルな線で表情も動作も豊か、躍動感もある。
「子どもらを喜ばせようと、描き始めたの。誕生日にはカードを作ってやったりね。あと、誕生日の子どもには、そいつ一人だけラーメン食べに連れて行ってやるんですよ。子どもらは一年に一度の楽しみだけど、俺はほぼ毎月食べに行ける、と」
料理もイラストも、あまりお金をかけず、というより、お金をかけられないから工夫していったことが特技、売り物として昇華されていったのだ。正しい節約家、真のやりくり上手といえよう。
──2006年にテレビ朝日系の番組として始まった、『痛快! ビッグダディ』は、かなりの人気番組だった。2013年まで続いた、長寿番組だ。
大家族を扱った番組はほかにもいくつかあったが、中でもダディのシリーズはその代名詞、代表作のように言われた。
毎回欠かさず見るほどのファンはさておき、まったく観たことがないという人までが存在やダディの名前は知っていたほどだ。
将棋界の林葉直子さん、プロレスラーのダンプ松本さんなど、そのジャンルに興味がない層にまで名前が知れ渡っていてこそ、本当に人気があった、といえる。ベストセラー本も、普段は読書の習慣がない層が買ってこそ生まれるのだから。
けれど考えてみれば、林葉さんやダンプさんは常人離れした才能や飛びぬけた実力で偉業を達成し、一時代を築きあげた、まぎれもない大スターだった。
真っ当に明るく生きて子育てをしてきた
ビッグダディは、いってみれば普通の人だ。岩手の普通の家に生まれ育ち、柔道は確かに何度も大会で表彰台に上がった。柔道をやっていた人に特有の耳の形、俗に餃子耳などと呼ばれるそれを見ても、ダディの柔道への本気ぶりはわかるのだが。
整骨院に弟子入りして頭角を現し、目をかけられて自分の店も持ったが、大繁盛はしなかった。整体の腕は優れていても、経営能力は別ジャンルというか。
いや、何もダディをけなしたいのではない。オリンピックでなくても優勝は大したものだし、整骨院の経営だってちゃんとやっておられた。なんだかんだで彼は耳目を集め、必ず援助したい人たちが現れるし、人望もある。なんたって、女も途切れない。
いろんな挫折や失敗を経ても、ときに家の全焼だのとんでもない災難に見舞われながらも、すぐ立ち直って真っ当に明るく生きて子育てをしてきた。これは、普通の人の素晴らしさを体現するものだ。
逆に、普通の人なのにここまでの知名度と注目が集められた、何も持たずにスターになった、それはちょっと、ほかにかぶる人が思いあたらない特別さだ。
何度も結婚離婚を繰り返した、奥さんが六回も七回も代わった。育てている子どもがわが子だけでなく相手の連れ子を含め、軽く十人越えたこともある。ちなみに、ご本人も、十一人兄弟だった。
というのは確かに平凡ではないし、自分の周りにはあまりいないけれど。大家族、多産というだけであればきっと日本国内に、隠れたる人たちがもっといるはずだ。
ダディ、見た目も尋常でない巨体だのひと目見たら忘れられない印象的な特徴があるわけでもなく、そのへんにいそうなちょっとコワモテだけど気のいいおじさん風。
その、あらゆる普通を集めた結果のとんでもない存在感とスター性、これはやはり唯一無二の性質を持つ歴史的な出来事と、その中心人物だ。
「まだ籍、空いてる~?」
なんといってもビッグダディは、次々に大事件ではないが自分の身の上にも起こりそうで起こらない、自分の家族にはありえないようでありうるかも、と思わせるあれこれを次々に引き起こしてくれた。
いろんな意味で親近感をもたらしてくれる一家に、ちょっと変わった親戚の人たちを見るような気持ちで、われわれは引きつけられた。はらはらしながらも、きっと大丈夫だ、絶対にうまく収まる、と見守ることが楽しかった。
最初の奥さんとの間に四男四女をもうけ、離婚するも復縁し、さらに一子をもうける。
「別れて別々の生活をしてるのに、ふっと連絡してくるの。『まだ籍、空いてる~?』って。すごく軽いノリで」
一瞬、『まだ席、空いてる~?』と聞き間違えてしまった。でも、ちょうどそのくらいのノリではないか。もともとそういう感覚で生きている女性が寄ってくるのか、ダディに感化されてそうなっていくのか。
美奈子はありがたいキャラだった
また離婚して次の奥さんである美奈子さんと出会うが、彼女は前夫との間にできた五人の子を連れていた。美奈子さんとの間にも一子ができるが、離婚。そしてやっぱり、復縁と離婚を繰り返した。
テレビの中でダディが、別居しようと伝えると、泣きながら雨の中を飛び出していく場面は、多くの人が記憶している。
「あれ、かなり前から話し合っていたことだったのに。カメラの前で話すと、新鮮な感情を爆発させる。あいつが冷静に黙っていたら、『心の中にはさまざまな葛藤があった』みたいなナレーション、テロップを入れなきゃならないでしょ。
番組側からは、本当にありがたいキャラだったね。でも美奈子は、わざとでも演技でもなく、すべて素でやるんですよ」
美奈子さんもなかなか豪快なキャラで、ダディに次ぐ存在感だった。
「美奈子さんが書いた本は映画化されたでしょ。なかなかきわどいシーンも多かった映画でしたが、ご覧になってどうでしたか」と聞いてみると。
「なんといってもびっくりしたのは、テレビで本人も公開した背中の刺青。あいつを演じた女優さんの背中に、そっくりそのまんま正確に描き込んであったこと。
裸になって俺役の俳優さんと絡むシーン、なんか俺たちがのぞき見されてるような、盗撮されてるような、妙なエロい気持ちになった」
これまた、いかにもダディな感想だ。素直に思ったことを口にしているだけなのか、ダディのイメージを保つために計算し尽くされているのか、わからなくなる。
連れ子たちを引き取ろうと考えていた
ともあれダディの奥さんたちもなかなかに奔放で、何度も籍を入れた元奥さんは別の男性との間に三つ子ちゃんを産んでダディのもとに押しかけているし(そしてまた出て行ったとか)、美奈子さんも今は三度目の夫との間に二子を産んでいる。
ダディは実子だけでなく、美奈子さんの連れ子も同居させて面倒を見ていたし、同居こそしないものの、最初の奥さんが別の男性との間に産んだ子どもたちもいまだに可愛がっているという。
美奈子さんとはもはや復縁はないものの、縁は完全に切れずに連絡をとり合っている。元夫婦として、一緒にテレビ出演もしておられたし。
なお、離婚の際、「育児がひとりでできるか心配だから」と、連れ子たちを引き取ろうと本気で考えていたという。
「美奈子の今の夫、もともと俺のほうが先に知り合ってたんだよ。あいつ、初婚でいきなり6人の子持ちになったわけでしょう。テレビカメラの前で怒鳴ったりしたことが批判されてたけど、それでもよくやってると思うよ」
ダディの周りの人間関係は、複雑に考えていくともつれた糸のようにこんがらかってくるので、すべてそれもあり、とざっくり受け止めるしかない。ダディに近づくと、楽に生きていいんだよ、と素敵な洗脳をされてしまう。
そしてこの二人の後にも、短期間で終えた結婚相手が何人もいる。目まぐるしく奥さんを、そして家族構成を変えながら、あちこち移住も繰り返す。整骨院を作ったり、たたんだり、ときに歌舞伎町でホストになったり、プロレスラーやAV男優をやるといいだしたり。
それはダディのそのときどきの行き当たりばったりな迷走にも、確たる信念でもって家族を率いる開拓者にも映った。
なんだかんだで、家族は全員ではなくてもダディを信じてついていくのだ。そこに葛藤やケンカや迷いはあっても、結局は楽しそうに、幸せそうに。
生に喜びを感じている子どもたち
「密着してたテレビ局の人たちは、物心ついたころからしょっちゅう会ってたんで、親戚のおじさん、近所のおばさんみたいなもんでした」
「そう、変だなと思わなかったんです。カメラが回るのも、日常だったから」
取材にうかがったとき、ダディの店には最初の奥さんとの間に生まれた長男の新志さん、四男の源志さん、次女の柔美さん、四女の都美さんがいた。
そして、お嬢さんたちの産んだ小さな子が三人。ダディの孫だ。とにかくダディの血を受け継ぐ子どもに孫、みんな真の育ちのよさというものを見せつけてくれたのだ。
この、真の育ちのよさの定義は難しい。人によって、あるいは時代や場所によっても違うし、これがそれだと決めつけてしまえば、そこからはみ出した人を育ちが悪いといってしまうことにもなりかねない。だから、具体的には書かない。
ただ彼らは、この世に生まれてきたことに喜びを感じている。誰かを幸せにしようとしている。それがこちらにも、素朴に満々に伝わってくる。それだけだ。
若い男というだけでなんか気に入らない
「結婚相手は、ダディにビビったりしなかったの」
いささか特異な親と境遇に生まれ育ったことについて、ずばり聞いてみたら。二人の可愛い、しかし、しっかりと母親になっているお嬢さんたちは、はにかみながらもすべて快活に答えてくれた。ひざで、腕で、幼い子どもをあやし、世話をしながら。
「放映中は私らみんな子どもだったし、旦那は元の同級生だし、すごく特別視されるってこともなかったんですよ」
「清志さんは、よその子たちにまで厳しいわけではないんで」
この姉妹はとても仲よしで、しょっちゅう会っているから、その子どもたちも従兄弟というより兄弟みたいに育っているようだ。
そこで、ダディがぼそっと口をはさむ。
「だいたいね、俺らから見たら、娘の相手でなくっても、若い男というだけでなんか気に入らない、だめだこりゃ、と思いたいもんでしょ」
このあたり、ダディの普通さが見て取れる。いやほんと、そういうもんです。
「自分が若造だったころは、若いってだけでオヤジどもに何をいっても生意気、口だけ立派、みたいにいわれるじゃないですか。今は、俺がオヤジ側に回ってるだけ」
自分が若いということが嫌で、とにかく早く五十歳を越えたかったというダディ。無事に五十を越えれば、子どもたちもなんとか成人してひとり立ちできるだろう、そうなれば自分も人生の区切りをクリアした、となると考えていたそうだ。
ちなみに私にも前夫との間にできた息子がいて、次男の熱志くんと同学年だ。私もついつい若いというだけで、息子がいいこといっても未熟で生意気と決めつけてしまう。
自身を振り返ってみれば、若さをそれだけで価値あるもの、それだけで売り物になると考えたことはないものの、未熟なまま年だけをとるのは怖かった。ダディは若いうちから、自分に自信というか、確たる自分があったのだ。
「俺、今もどの子と腕相撲しても、勝つ自信ありますよ」
つくづくダディって、「昔ワルかった」だの「若いときはすごかった」みたいな、おっさん的な自慢をしない。彼が語るのは、確固たる自信だけだ。
結婚も離婚も、幸せになるためにやること
「少し前に雑誌の企画で検査したんだけど、俺は精子の数が5億7000万個あったんですよ。普通は1億から3億が平均で、妊娠に必要な最低限が3900万以上なんだそうです」
これも自慢ではなく、雄としての自信のようだ。
と、そこへ三女の詩美さんがやってきた。彼女はプロレスラーとして今かなりの注目と期待を集めている。その日も試合を終えての帰りに、ダディの店に立ち寄ったのだった。もちろん、その試合では勝利していた。
疲れ切っていながらも、姉妹の子たちの世話もしている。ダディも、店に飾られたトロフィーなどを指し、スマホに収めた華麗なコスチューム姿の詩美さんを、がんばってくれていると見せてくれ、目を細める。
プロレスで活躍できるほどの恵まれた肉体、それはもちろん本人の精進の賜物でもあるが、ダディの小麦粉とめんつゆ料理で作られていると見ればますますまばゆい。
ダディの子は全員、小麦粉の中から四つ葉のクローバーを見つけたんだな。
「結婚も離婚も、どちらも幸せになるためにやることだよ」
ダディは誠に、強い人である。幸せになる自信というのは、強くなきゃ持てないものだ。
美奈子は負けず嫌いなだけで、本来は弱い
私も勘違いしていたが、ダディの二番目の奥さんである美奈子さんも、一見すると強そうに見える。
「美奈子は負けず嫌いなだけで、本来は弱いんです。それを認められたら、楽になれるし、本当に強くなれるはず。でも、強くなくていいんですよ。あいつがあいつらしくあってくれれば、それでいい」
番組終了直後、ダディは『ビッグダディの流儀』(主婦と生活社)という本を出して、ベストセラーにもなった。それはもう本当にダディが身体を張って得た教訓と人生の処世術と楽しみ方が詰まった、お勧め本であるのだが、
「俺には“理想の女”っていうのがないんです、誰でもいいというと変だけど、基本は“俺といることを楽しんでくれる人”なら誰でもいい。『もう、楽しくなくなった』と言われたら俺も興味がなくなるし、去る者を追うつもりもありません」
という一節は、長年の心の靄(もや)をすっきり取り去ってもらえた。
みんな恋愛や結婚の相手に限らず、理想の人を求めて与えられないと苦悩することが多い。そりゃ、現実と理想は違うものだし。他人である相手が、自分の理想や希望どおりに動いてくれるわけもない。
逆に自分も相手の理想どおりになどなれない。理想どおりになろうとする苦悩、というのもある。いや、それはいらないよといってもらえたら、なんて楽になれることか。
一緒にいて楽しい。これほど大事なことがあるものか。
自分で何かしなきゃ、という考えが間違っていた
「子どものころ、俺ってなんのために生まれて、なんで存在してるんだろう、と悶々としてました。でも、子どもができたとき、はっと気づいた。
俺はこいつらを生み出すために生まれてきて、存在しているんだって。
生まれたときがスタート、死ぬときがゴールとしたら、すべてを一人で走り切らなきゃと考えるなんて、しんどいだけ。前の走者からタスキを受け取って、次の走者に渡す。そう、リレーだと思えばいい。
俺はダメでも、こんなにたくさんの子がいるんだから、どの子かは何かやってくれるでしょ。そのとき、それは俺がいたからだと思えば自分が納得できる。もし子どもたちができなくても、孫がいる。孫が何かやってくれたら、それはこの祖父がいたからだ、ってね。こんだけ子どもと孫がいりゃ、やってくれる確率は高まるよ。
自分で何かしなきゃ、と自分を追い込むのが間違い。俺はタスキを渡すだけでいい、そう考えたら楽だよ。ひがむことも、妬むこともない」
やっぱり彼の名前は、ビッグダディ。ニックネーム、芸名、としてだけでなく、もはや職業がビッグダディ。
いま現在は、新型コロナウイルスのなかなかおさまらない状況などによって、楽観的な人でもつらくなることは多い。そんな人みんなに、ダディの本から一節をお借りしておく。
「今は若いうちからうつになったり、自殺したりする人が多い時代だけれど、人生で何かを成し遂げようと焦るからじゃないかな。自分の場合は、“何者でもないんだ”とわかってから、急に目の前が明るくなりました。
親にならなくても、子どもという存在がなくても、そのことに気づく人はいっぱいいるでしょう。けれど、俺にそれを気づかせてくれたのは子どもたちでした。
人生は駅伝だ。そう思えば、笑っちゃうほど楽しくなります」
ちなみにダディ、テレビ放映が終わった後も何人かと結婚離婚を繰り返し、いま現在は法的には独身なのだが。かなり衝撃的な告白を、されてしまった。
「実は、6年くらい続いている相手がいるんですよ。俺が沖縄でジンギスカン屋をやっていたときも、遠距離で付き合ってましたね。いろいろあって表には出せないけど、彼女とはキスだけなんです。休日に公園でデートしたりね。
彼女、ロシア人でシングルマザーなんですよ。仕事で来日して、日本人と結婚して、離婚して……。結構苦労してきたから、いろいろ躊躇しているんです。俺は彼女の気持ちがわかるから、一緒には暮らさない。でも、ご飯は作ってあげているんですよ。彼女の子どもも可愛いしね。あ、その前の彼女はグルジア人だったんだけどね」
あのビッグダディが子づくりをしないなんて、と誰もが驚くだろうが。しかもお相手は外国の方とは。
とはいえ、互いに子どもを望んでないからそのような仲にはならず、しかし一緒にいて楽しいから関係を続ける。
やはりダディは、ちゃんと筋は通っているのであった。
●特別寄稿 作家・岩井志麻子
いわい・しまこ 1964年、岡山県生まれ。少女小説家としてデビュー後、『ぼっけえ、きょうてえ』で'99年に日本ホラー小説大賞、翌年には山本周五郎賞を受賞。2002年『チャイ・コイ』で婦人公論文芸賞、『自由戀愛』で島清恋愛文学賞を受賞。著書に『現代百物語』シリーズなど。最新刊に『業苦 忌まわ昔(弐)』(角川ホラー文庫)がある。
居酒屋「Delimu (デリム)」 https://delimu.jp/ 電話・03-3644-3333