激動の時代を生きる全裸俳優・原田龍二。過去の過ちを見つめながら、今を生きる原田は今日も自分自身を鼓舞し続けている。
今回の対談相手は、10年前に一躍、脚光を浴びたジャーナリスト・山路徹だ。さまざまな修羅場を経験してきた山路と、“潔さ”の本質について語り合う─。
◆ ◆ ◆
「ママがいるのに」息子の恨み節
原田 今日はよろしくお願いします!
山路 よろしくお願いします。原田さんの騒動、拝見してました。もう何年か前でしたっけ?
原田 1年半前ですね。
山路 まだ1年! もう数年たっているような気がしていました。原田さんの一件が起きたときに“助さんが4WDでやらかした!”という話になっていて、助さんが4WDとはこれいかに……と思っていたんですよ。
でも、その後一緒にお仕事をさせていただいたり、メディアを通して原田さんを見たりすると「こんなさわやかな人を女性が放っておくわけがない」と思いましたよ。
原田 いやいや(笑)。当時は、本当にいろいろな方にご迷惑をおかけしました。実は僕、世間のスキャンダルに興味がなくて、山路さんの件もざっくりとしか存じ上げないんです……。
山路 なるほど! 最近は、僕が過去に何をしたのか知らない人も増えているので時代の流れを感じています(笑)。僕の騒動は、今年でちょうど10年になるんですよ。
原田 大先輩じゃないですか!
山路 僕の本業は、ニュース番組で戦場レポートをするジャーナリストなので、当時は一般的には知られていない存在でした。そんななか、元妻のビッグピーチ(大桃美代子)さんが「元夫が不倫をしていたなんて知らなかった」とツイッターに書き込んで、バーッと世間に拡散されたんです。
原田 ツイッターですか!
山路 そう。しかも、ビッグピーチさんと離婚してから4年が経過してからのツイッター爆弾でした。それから表舞台に引っ張り出されて、全国の人に叩かれましたね。僕は、問題を起こして全国デビューしたようなものなんですよ。
原田 芸能人とは正反対ですね。
山路 芸能人の場合は活動を自粛するケースも増えていますよね。特に最近は、不祥事を起こしたときの対応によって、その後の人生が大きく左右される印象です。その点、原田さんは華麗でしたよ。見習いたかったなあ。
原田 華麗でしたかね……(笑)。当時は、家族のことを考えると“きちんと謝る”以外に選択肢がなかったです。息子は高校生なので、僕がしたことも理解できる年齢なので「ママがいるのに」と、恨み節も言われましたね。
ただ、昔から子どもたちには“悪いことをしたら謝る”ということを教えてきたので、きちんとみんなの前で謝ることが、親としての筋だと思いました。
日本では人生のやり直しが難しい
山路 記者に直撃されたときは、どんな心境でしたか?
原田 自宅の前で直撃されたので、早く帰ってほしかったんですよね。
ただ、僕が「責任をとります」と伝えたら、記者に「変なことしないでくださいよ」と言われたんです。明言はしなかったけど、自殺しないでくれ、という意味だったと思います。僕の言う“責任”は、みんなの前で謝ることだったので、少し驚きましたね。
山路 日本は“人生のやり直しが難しい国”だと言われていて、その難しさが、日本の自殺率の高さにもつながっている、という意見もあります。
原田 他人に厳しいということでしょうか?
山路 厳しいというか、日本独自の倫理観である“武士道”が影響しているように感じます。武士のようにルールや規則を守ることが美徳とされている日本では、ルールを破った人に対して、とても厳しい。例えば、不倫をした人をSNSで徹底的に叩くのも同じ理由なのかもしれません。
原田 たしかに、武士道は日本独自の倫理観ですよね。僕は過ちを犯した身として叩かれるのは当然だ、と思います。重要なのはその先ですよね。いかに“武士の生きざま”を見せられるかどうかで、人生をやり直せるかどうかが決まるような気がします。
山路 まさに“潔さ”ですよね。原田さんのようにスパッと認めて、きちんと謝る。
原田 腹を切るじゃないですけど、潔く仕事に向き合うことが、今の僕にできることだと考えています。
山路 僕のバラエティー初出演は、TBSの『サンデー・ジャポン』でした。世間が関心を持っているのは自分の“不倫の二股男”という悪いイメージだけなので、違う一面が見えれば、多少は緩和されるかな、という気持ちもあったんですよ。
その後も、呼ばれた番組にはすぐに出演しましたね。当時はほかに話題もなくて、非常に重宝されたようです。ただ、表舞台に出続けるのは、ある意味、賭けでした。
原田 どこかで逆転できる、というビジョンがあったんですか?
山路 まったくなかったです。でも、とりあえず一歩を踏み出さないと何も見えてこないんですよね。そもそも、本業の仕事がまったくなくなってしまったので、やることもなかったんですよ。バラエティーは僕の肉声を聞いてもらえるチャンスの場だと思って率先して出てました。
福島で被災者に励まされたことも
原田 視聴者にとっても、目新しい存在だったのかもしれないですね。
山路 そうですね。2010年の年末に騒動が起きて、その3か月後に東日本大震災が発生しました。震災をきっかけに本業に復帰して、被災した福島県の南相馬市の避難所にも取材に行ったんです。
すると、避難している人に「山路さんだろ!? 私らも大変だけど、あんたも大変だな。こんなところまで来てくれてありがとう」と言ってもらえたんですよ。その言葉は、とても力になりましたね。
原田 それはうれしいですね……!
山路 原発周辺から身ひとつで逃げてきた人たちに「がんばれ」と言われたら、がんばらないわけにいかない。
原田さんは、謝罪会見をすぐに開き、その後もバラエティーにもどんどん出演して自らアクションを起こしていますよね。ただ、昨年末の『笑ってはいけないシリーズ』は「そこまでやる!?」という気はしました(笑)。
原田 アハハ! たしかに「そこまでやらなくていい」という声はあります。正直なことを言えば、自分の過ちをネタにされるので、やりたくはないです(笑)。でも、せっかくケガをしたんだから、この傷も何かの役に立つかもしれない、と思って全力でやりました。
山路 本当にスゴいなと思いましたよ。きっとご家族への禊の意味もあっただろうし、仕事と誠実に向き合う姿に衝撃を受けました。
原田 見ている人に「原田龍二、いろいろやっちゃったけど、がんばってるんだな」と思ってもらえるとありがたいです。
山路 実は僕も今年『水曜日のダウンタウン』の「マジメな番組ならズボン履いてなくても分かんないんじゃないか説」という企画で、ズボンをはいていないテレビコメンテーター役のオファーが来たんですよ。
依頼が来たときは、またバラエティーの色が強くなっちゃうな……と、少し迷ったんです。でも、年末の原田さんの雄姿を思い出して「俺は何を言ってるんだ、原田さんはあんなにがんばってたじゃないか!」と考え直して、快諾しました。
原田 アハハハ! 僕はその放送を拝見してましたよ! おもしろかったです。
山路 原田さんが、僕の背中を押してくれたんですよ。
原田 よかった! 脱いだかいがありました(笑)。
【本日の、反省】山路さんは、あたたかくてスマートですよね。決して相手を緊張させない物腰のやわらかさで、とてもリラックスしてお話しすることができました。表面だけの優しさじゃなく、取材で戦地や被災地での取材など、いろいろな“修羅場”をくぐってきた経験に裏打ちされた優しさだと思います。今日のお話をお聞きして、僕は勝手に山路さんと腹のくくり方が似ているような気がしました。またお話ししたいです!
《取材・文/大貫未来(清談社)》