今年9月にデビュー10周年を迎えた、シンガー・ソングライターの高橋優。 デビューアルバムに収録され、東日本大震災によって注目を集めた『福笑い』や、 JR東日本の秋田駅発車メロディーになった『明日はきっといい日になる』、 映画『侍の名のもとに~野球日本代表 侍ジャパンの800日~』の主題歌『プライド』など、メッセージ性の強い応援ソングを中心に聴く人の心に響く数々の名曲を発表してきた。ターニングポイントを迎えた高橋に聞いた、これまでの10年と、この先のこと。
いじめられっ子だった小学生時代、自由帳に自分がヒーローとなって活躍するストーリーを書くようになった高橋優。
中学デビューし、3年生で生徒会長を務める前には、格安のエレキギターを手にオリジナル曲を作るように。自由帳の延長で歌詞のようなものも書いた。高校でバンドを組み、大学ではソロで路上ライブを。卒業後、バイトをしながら音楽活動を続けていたときに声をかけられ、大学のあった札幌から上京。27歳のときに『素晴らしき日常』でメジャーデビューした。
27歳、遅咲きのデビュー。
忘れられないメディアの洗礼
「遅咲きって言われましたね。当時、新聞にけっこう大きく載せていただいたんです。ありがたかったですが、そこに“ライバルは横手やきそば”って書かれていたのが忘れられない(笑)。
記者の方に“有名になりたいですよね”と聞かれて。続けて“デビューするにあたって、まずは地元(秋田県横手市)の名物・横手やきそばより認知度を上げることが目標ですか?”と言われたときに、“はい”って答えたんだと思います。今となれば、いい思い出ですが、デビューしてすぐにメディアの洗礼を受けました(笑)」
数々の曲を発表してきた高橋の書く歌詞は、どれもリアル。経験した出来事や、そのときの感情をストレートに書くことが多い。
「ジョン・レノンさんの言葉で、世界中のみんなへの愛の歌を歌うことはできないけれど、オノ・ヨーコへの愛の歌なら歌える、というようなものがあって。ひとりの人に向けたラブソングが結果的に世界中の人に愛されるという構図が僕はものすごく好きなんです。
想像で“いろいろと大変なことがあるけどがんばろうね”と言われても、自分に言われている気がしない。個人的なことを歌っているほうが、聴いてくれる人に響くと思うので、リアルに描くことを追求しています」
“使命”を感じた
忘れられない出来事
高橋にとって、この10年で忘れることのできない出来事のひとつがデビュー翌年の'11年3月11日に発生した東日本大震災。ちょうど、ファーストアルバム『リアルタイム・シンガーソングライター』のプロモーション活動で全国を飛び回っている時期だったが、たまたま友人の結婚式に出席するために秋田に帰省していた。
「友達と待ち合わせをしてイオンへ結婚祝いを買いに行ったんです。買い物をする前にお金を下ろそうとATMにキャッシュカードを入れた瞬間に揺れだして。隣でお金を下ろしていたおばあちゃんが動転している姿が見えたので、急いで店の外に連れていきました」
目の前のアスファルトが地割れし、店内に入るとカラフルなドーナツが落ちた床が波打っていた。
「すぐに両親や友達の安否確認をして。僕が経験したのは震度6でした。その後、関東や関西でもプロモーション活動をしたんですが、あの東北の風景とは全く違った。いろいろな思いを持って過ごした3月でした」
東北をはじめとした日本中の人々の心を明るく灯してくれたのがファーストアルバムにも収録されている『福笑い』。全国のラジオ局にリクエストが殺到し、上半期の邦楽ラジオチャートで1位になった。
「聴いていただけることは純粋にうれしいのですが、それは笑顔を失ってしまう出来事が起こったから。
《あなたが笑ってたら、僕も笑いたくなる》という歌い出しのこの曲をたくさんの番組で流していただけたことに、不思議な人生の流れを感じるというか。このタイミングでデビューすることが使命だったのかなと考えたりもしました」
'16年から地元・秋田で
音楽フェスを開催
東日本大震災をきっかけに音楽が必要とされている場所はどこなのか、改めて考えるようになった。
「受験に合格したときと、落ちた日に聴きたい曲は違うはずです。幸せなものをもっとハッピーにしてくれる曲も必要ですが、僕自身は、何かが足りないと思うときに、音楽が聴きたくなることが多い。高橋優の歌を求めてくださる人は僕に似て、世の中に対して疑問があったり、物事を斜めから見ていたり、みんなでいても孤立しちゃったり、頑張りすぎて空回りしちゃうタイプの人が多い気がします。
でも、それって、誰もが大なり小なり感じたり、経験していること。そこに共鳴し合うんじゃないのかなというのは、東日本大震災のときに特に感じました」
震災後、すぐに福島で開催されたロックフェスティバル『LIVE福島 風とロックSUPER野馬追』に出演。以降も毎年、開催されているこのフェスに参加し続けている。
「震災で東北のことが報じられるとき、秋田だけ情報が少なかった。秋田ってフォーカスが当たらないことが多い。恵まれている土地なんですが、高齢化率ナンバーワンで、少子化率も自殺者率もナンバーワン。そのあたりの明るくない話題も含めて問題視したほうがいいと思いました。それじゃ、注目を集めるために何ができるのかと考えたとき音楽フェスをやろうと」
あきた音楽大使を務める高橋が主催し、音楽で秋田を盛り上げるコンセプトのもと'16年からスタートした野外音楽フェス『秋田CARAVAN MUSIC FES』。
これまでにBEGINやスガシカオ、PUFFY、CHEMISTRY、竹原ピストル、東京スカパラダイスオーケストラなど豪華アーティストたちも参加してきた。
今年は、残念ながら新型コロナの影響でフェスの開催は延期となったが、9月に菅内閣総理大臣が誕生したことで、出身地の秋田に注目が集まった。
「総理の誕生は、秋田県にとって初体験ですよね。政治って、なかなかウワ〜ッとブームになることがないのかもしれない。'18年の甲子園に金足農業高校が出場したときは、本当に盛り上がりました。あの金農旋風がきっかけで秋田県人会が始まったんじゃないかというくらい(笑)」
歌いたいけれど、歌えないを
デビュー後、初めて経験
これまで歌えないと思ったことはないのかと聞いたとき、すぐに「今年ですよね」と答えが返ってきた。
「新型コロナでツアーが延期になって、リアルに歌えない状況になりました。(精神的に、肉体的に)歌えなくなったことはないです。歌うことがイヤになることもないかな。僕にとっては、ごはんを食べることと同じなので。何の取り柄もなくて、ひとつ武器が欲しいと思っていた少年時代にカラオケで“歌がうまいね”と言われて。
そこから自分に自信が持てるようになった。そのひとつの武器にしがみつくように毎日歌うようになりました。家の近くの山の茂みのなかで。それが、路上ライブになって、デビューできた。望まれたら、僕はどこででも歌います。さすがにカラオケで自分のミュージックビデオが流れている前で歌うのは恥ずかしいと思いますけど(笑)」
中止になった公演。歌いたいのに歌えない悔しさをぶつけて作ったのがニューアルバム『PERSONALITY』。
「今年は自分自身と向き合う時間が長かった印象があります。そして、価値観が大きく変わった年でもある。より個が重要視されるようになった。そういう意味で時代にフィットする言葉のPERSONALITY(個性)であり、改めて高橋優の個性、人間性を見てほしいというのもある。
あと、僕自身がラジオのパーソナリティーをやっているということでつけたタイトルです。10年の区切りに出すのがベストアルバムではなくて、オリジナルアルバムだというくらい、デビュー10年ということを特別に意識していないし、功績を残してきた実感もない。まだまだ、これからの気持ちが強いです。
今楽しみなのは、ライブですね。アルバムって、リリースして完成じゃない。ツアーを回って、お客さんと一緒に歌ったり、同じ空間で曲を響かせ、そうやって直接届けることで完結するんです。だから、夢も見ますもんね。声を出して応援してくれているお客さんの前で歌っている自分の姿の夢を」
ニューアルバム『PERSONALITY』に
関ジャニ∞の大倉忠義との思い出の曲が!
期間生産限定盤Aに収録されている特典CDには、幻の弾き語り曲『開け放つ窓』が収録されています。『オールナイトニッポンサタデースペシャル 大倉くんと高橋くん』というラジオ番組を今年の3月まで5年続けてきました。最終回に、この番組にむけて書いた『開け放つ窓』を弾き語りで歌わせていただいたんです。
歌詞もラジオで経験したことをそのまま綴りました。大倉くんとはすごく仲よくさせていただいて、基本、僕は人を家に入れないんですけど、大倉くんは入れちゃいましたね。秋田の高橋家にも遊びに来てくれて家族は大喜びでした。
アルバム収録曲の驚きのタイトル
『東京うんこ哀歌』
哀愁がテーマになっていて、涙が止まらない曲になったらいいなと思っています。“うんこ”って字面だけで「えっ!?」ってなるじゃないですか。今回のアルバムの中でも特にスポットライトが当たるんじゃないかと思っている曲です。
いろいろとチャレンジをしたアルバム。これまで1つのアルバムに収録されるラブソングは1曲か2曲だったのですが、今回はさまざまな表現の恋愛をテーマにした曲が登場します。みなさんがどう受け止めてくださるか楽しみです。
ニューアルバム『PERSONALITY』10月21日発売
期間生産限定盤A(2CD)、期間生産限定盤B(CD+DVD)
ともに4000円+税、通常盤(CD)3000円+税