デビュー40周年。昭和・平成・令和の3つの時代を超えて燦然と輝く松田聖子。
思えば“昭和の歌姫”山口百恵が1980年10月5日に純白のドレスを身にまとい『さよならの向う側』を歌い終え、白いマイクをステージに置いて引退する半年前の4月1日に聖子はデビュー。日本の芸能史を俯瞰して見た場合、この2人の邂逅こそ、もっとも注目すべきドラマなのかもしれない。
百恵から聖子へ“歌姫のバトン”
「この2人が唯一、同じステージに立ったのは'80年9月25日に放送された番組『ザ・ベストテン』(TBS系)。聖子が『青い珊瑚礁』で2週連続1位に輝き、ランクインしていた百恵が『おめでとう』といって花束を渡す場面があるのですが、いま改めて見ると“歌姫のバトン”を百恵が聖子に渡す儀式にも見えてしまう」
そう話すのは、芸能ノンフィクションライターの石田伸也さん。
'70年代の歌謡界は藤圭子やちあきなおみ、山口百恵といった、いわば情念を引きずるようなヒット曲の数々が生まれた時代。そうした時代とは一線を画す、新しい時代の幕開けとなったのが、聖子のデビューではないのか。
「洋楽のエッセンスを取り入れた楽曲。新人なのにアルバムが売れる、まさに'80年代の幕開けを象徴する新しいアイドル像を打ち立てました。ほかのアイドルが16歳という若さでデビューする中、彼女のデビューが18歳と遅かったことすら運命を感じてしまいます」
“聖子ちゃんカット”“ママドル”“ビビビッ婚”など、常に女性のトレンドを生み出してきた聖子。しかし、その素顔はなかなかストイックなようだ。
「お酒やタバコは一切やらない。体調管理はもちろんボイトレにも熱心に取り組む。だからこれだけ長く続けてこられたのでしょう。プライベートではいろいろありましたが、こと仕事に関してはみんな、“会ったら好きになる”“裏表がない”と口をそろえて称賛の言葉を惜しみません」
そんな松田聖子にとって、ターニングポイントとなった曲はなんだったのか。
「やはり『赤いスイートピー』でしょう。元祖ぶりっ子と言われ、女性の敵と言われた聖子が、この曲から同性の共感を得られるようになりました」
さまざまなスキャンダルに見舞われても、ピンチをチャンスにかえてきた。そこには抜群のセルフプロデュース力が光っているという。
「'85年の郷ひろみとの破局会見では、“生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った”と涙ながらに訴えかけ、女性ファンの心をつかんでみせた聖子。でも、そんな話し合いの事実はありません(笑)。ただこの発言がなかったら、破局からわずか数か月後の神田正輝との婚約もファンから祝福されなかったでしょうね」
さらにアイドルからアーティストに進化する過程で女性誌の表紙を飾るなど、今では当たり前になったアーティストのプロモーション活動でも新しい道を切り開いてきた。
「作詞・作曲、そしてプロデュースとすべてを手がけるアーティストとしての成長もさることながら、女性のあり方すら鮮やかに、軽やかに変えてみせたのが聖子の魅力ではないでしょうか」
しかしプライベートでは激しいバッシングを受けたこともあった。
「アランやジェフなど過去に噂のあった男性が暴露本を出しても、たかの友梨のCMで彼らとの“行為”をイメージさせるようなシーンを再現。スキャンダルを逆手にとって自分のパワーにかえてしまう。これが聖子流。彼女の男性関係を俯瞰で見るとすべてが肥やし。ボイトレへの取り組みなど、歌に対するストイックな姿勢も郷ひろみから教わったことですから」
数々のヒット曲とともに、芸能史にも燦然と輝く松田聖子。令和の今も、“聖子伝説”に終わりはない。