'19年10月からを“30周年イヤー”と位置づけて、今年3月4日にアルバム『Bespoke(ビスポーク)』の発売を予定していた槇原敬之。
しかし、今年2月に覚せい剤取締法違反容疑で逮捕され、8月には懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を言い渡された。'99年に続く、2度目の逮捕に多くのファンは失望し、記念すべき節目のタイミングに泥を塗ってしまった感は否めない。
だが、『どんなときも。』『冬がはじまるよ』など自身のヒット曲に加え『世界に一つだけの花』をはじめ提供楽曲にも名曲がそろう槇原敬之という日本を代表するミュージシャンの功績を、きちんと振り返ることも大切なはず。槇原敬之は罪を犯したが、“マッキー”の楽曲に落ち度はないのだから─。
そこで今回、小誌では、ネットでアンケートを実施。ファンの声に加え、かつて自身のメールアドレスに“lovelovemacky”という文字列を入れるほど、“大の槇原敬之ファン”と公言するお笑いタレント・坂本ちゃんのマッキーへの思い。そして、槇原本人を取材するなど、彼をよく知る音楽評論家の田家秀樹氏に、彼の音楽の魅力についても解説してもらった。
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堂々1位は名曲『どんなときも。』
ファンが選ぶ1位は、誰もが知る名曲『どんなときも。』。
「苦しいとき毎日、聴いて勇気をもらっていました」(大阪府・女性50歳)
「受験や、就職活動の時期に自分を奮い立たせてくれた曲だから。迷い探し続ける日々が答えになること僕は知ってる─、悩んで苦しい思いをしている自分をまるごと肯定してくれました」(兵庫県・女性31歳)
といった声が集うように、勇気づけられた人が続出。
2位にはアルバム『UNDERWEAR』に収録されている『LOVE LETTER』。
「僕も昔はなかなか告白できないタイプで、その初恋のときを思い出します。『LOVE LETTER』は、片思いの切なさがすごくよく出ている名曲だと思います」(広島県・男性50歳)
と、過去の自分に歌詞を重ね合わせる人も。
3位には32枚目のシングル曲『僕が一番欲しかったもの』がランクイン。
「槇原さんそのものが、この曲に詰め込まれていて、聴いていてあったかくなるし、ホッとします」(愛知県・女性44歳)
このように曲や歌詞はもちろんのこと、彼自身が持つ魅力に惹かれているファンも多い。'90年10月25日にデビューした槇原は、デビュー曲『NG』こそ売り上げ的に不調に終わるが、続く『ANSWER/北風』で頭角を現すと、3rd『どんなときも。』以降、『冬がはじまるよ』『もう恋なんてしない』『北風 ~君にとどきますように~』と連続してヒットを。
初期のシングル曲がそろいもそろって名曲ばかり。改めて考えると、ものすごいことだ。「槇原さんは16歳の時点で完成されていた」と田家氏は語る。
「16歳のとき、坂本龍一さんが当時担当していた『サウンドストリート』という番組のデモテープコーナーに、『HALF』という楽曲を応募します。
この番組は、まず矢野顕子さんがデモテープを聴いて彼女がいいと思ったものを坂本龍一さんに渡していたのですが、矢野さんをして“この子、完成されてるよね”と言わしめたというエピソードがあります」
「マッキーの歌は心の中に迫ってくる」
初期の楽曲の魅力について、坂本ちゃんも興奮ぎみに話す。
「『桜坂』と聞くと、一般的には福山雅治さんだと思うのですが、マッキーファンだったら槇原さんの『桜坂』一択。街を離れていく友達を見送る曲なのですが、春特有の希望と不安が伝わってくるんです。
私、当時は甲府の本屋で働いていたんですけど、雑誌担当だったので、槇原さんが登場している雑誌に勝手にポップを作って、片田舎で宣伝部長をするくらい好きでした。槇原さんの曲って、心の中にまで迫ってくる感じなんですよ」
読者からは「まるで自分のことを歌っているかのよう」という意見が多いことも特徴。「“僕”と“君”という主語が使われているから自分を重ねやすい」と坂本ちゃんがいうように、心の中に入り込んでくるマッキーの歌詞に魅了される人が後を絶たない。
「マフラー、コンビニ、地下鉄の改札など、具体的な小道具を入れることでどういう歌になるかが、彼の中で“技”としてできあがっている。
『ANSWER』の冒頭、“地下鉄の改札で急に咳が出て”というフレーズは、その歌の背景や主人公の状態などを想像させますし、その世界観に一気に引き込まれる。絶妙なメロディー、情景描写、そして心理描写のディテール。突出した才能だと思います」(田家氏)
具体的なフレーズをちりばめるからこそ、映画のワンシーンのように状況が浮かび上がる。「槇原さんの曲って頭に入ってきすぎて“ながら”で聴けないの!」と坂本ちゃんが笑うように、自分を投影しやすく楽曲に没入してしまう魅力を越えた魔力がある。
「ベストソングを選ぶとしたら?」そう坂本ちゃんに聞くと、
「もう全部ですよ~(笑)。でも、思い入れの強い曲を挙げるとしたら、『電波少年的東大一直線』で受験勉強をしていたときに、よく聴いていた『遠く遠く』。今でも私とケイコ先生は、この曲を聴くと涙があふれてきちゃうくらい。『Ordinary Days』もそう。“賢くなって自分を守れ”というフレーズがあって、勝手に自分たちへの応援ソングだと思って受験勉強をしていました」
アルバム曲も高い支持
今回、アンケートを取るにあたって、編集部は代表曲を含む21曲をあらかじめ選曲。「もしこの中になければ自身でチョイスしてください」と注釈をつけ実施したのだが、驚くことに返答の半分近くが21曲以外からの選出だった。
ランキングで2位に位置する『LOVE LETTER』や5位の『MILK』は、アルバムに収められている楽曲だ。
「『MILK』は自信をなくしたときや傷ついたとき、ありのままの自分でいいんだよ、と認めてくれたように感じて癒されます。今でも癒されてます」(東京都・女性41歳)
「『LOVE LETTER』は就職することになった友人を勇気づけながら駅まで見送る歌なんですけど、ファンの間ではこのホームは槇原さんの故郷である高槻駅なんじゃないのかって。私、しっかり高槻まで行って聖地巡礼してきました」(坂本ちゃん)
ヒット曲に人気が集中することなく、アルバムの曲までさまざまな曲がアンケートに寄せられる─。それだけ彼が作り出す音楽が、いろいろな人の心に刺さっていることを示唆している。
「デビュー20周年に発売されたベストアルバムは『Best LIFE』と『Best LOVE』の2枚に分けられていました。彼はラブソングだけではなく、ライフソングを紡げるからこそ、今回も多岐にわたる曲が選ばれたのではないか」(田家氏)
とりわけその傾向は、21歳でデビューした'90年代と、30代になって迎えた2000年代とで顕著だという。彼自身、'99年に逮捕され、謹慎期間中に思うところがあったのかもしれない。
「2000年代に入って、彼が言っていたのは“人生に意味のあるポップス”という言葉。人の悲しみや不安を意識したポップスが増えています。『世界に一つだけの花』は、まさに人の人生に意味を持たせる、その最たる例ですよね」(田家氏)
アンケートで6位の『太陽』は、彼がライフソングを始めたころの曲だという。
「誰かのための幸せを当たり前のように祈ることを歌っていますが、私もそうなりたいと思います」(長崎県・女性56歳)
「つらいことがあって落ち込んだときに『太陽』の歌詞で目覚め、気持ちが前向きになって自分を取り戻すことができました」(福岡県・女性50歳)
マッキーからいろいろなものをもらっている人は本当に多い。“ラブ”にしても“ライフ”にしても、時間がたてば飽きのようなものが出ることだってあるだろう。しかし彼が作る楽曲は、昔の曲をいま聴いても、決して色褪せることがない。
薄くなった喜怒哀楽を蘇らせてくれる
「槇原さんのルーツはクラシック。彼は“クラシックは繰り返しの面白さなんですよね”と話していました。クラシックには必ずメインとなるテーマがあって、それがリフレインになる。“そのわかりやすさがいい”と語っていました。
多くのアーティストに、“誰々に憧れて音楽を始めました”という存在がいますけど、彼はそれだけではない。彼自身がパイオニアでもあるんですね」(田家氏)
坂本ちゃんも力説する。
「槇原さんの曲に出会わせてもらったことによって、20代30代になっても10代のような多感な時期を過ごすことができて感謝しかない。私も50歳を過ぎると、達観ではないですけど、喜怒哀楽が薄くなっているなって思うんです。でも、彼の曲を聴くと感情が豊かになる。蘇らせてくれるんです」
坂本ちゃんは、今でも初めてマッキーに会ったときのことが忘れられないという。
「『進ぬ! 電波少年』の東大受験企画が終わり、東京厚生年金会館のライブで初めてお会いしました。思いが爆発してしまい、本人の前で、“私のアドレスはラブラブマッキーなんです~!”ってまくしたてたら明らかにドン引きされて……。
人生でいちばんの絶頂の日が、人生でいちばん後悔をしている日。なんでもっと普通に接することができなかったんだろうって(笑)。それに、ライブが始まる前に、“坂本ちゃん!”ってマッキーファンの方から声をかけられたんです。
すごい真顔で、“テレビや雑誌でマッキー、マッキーって言うのやめてくれますか。これ以上、槇原さんのイメージを悪くしたくない”って言われて、すごいショックだった。これからライブが始まるのに!」
それもまた人生─。憧れの人に出会ってやらかしてしまう経験は誰にでもある。その心象すらマッキーなら楽曲にしてしまうかもしれない。そのときまた、われわれはそこに自分を重ね、没入するに違いない。
たしかに、槇原敬之は再びつまずいてしまった。でも、これで終わりなわけがない。平成を代表するシンガー・ソングライターが、令和に何を見せるのか……多くのファンが待っている。
「彼は、昔から“早く年をとりたい”と言っていました。20代のときから早く30歳になりたい、早く40歳になりたいと話していた。年を重ねた自分がどういうことを表現するのか楽しみだったんでしょうね。去年インタビューしたときに、彼がミュージカルをやってみたいと言っていたので、ぜひやってほしいと話したんです。
エルトン・ジョンのように、 シンガー・ソングライターにしか書けないミュージカルがある。人間の感情である喜怒哀楽、その4つに収まらない感情のひだに入ってくるような曲を作れる彼だからこそ見てみたい。まだまだやることはたくさんあるでしょうね」(田家氏)
逆境をどう乗り越えるか。彼自身、自らの歌で証明しているはずだ。
《取材・文/我妻アヅ子》