2020年10月7日に歌謡界を代表する作曲家・筒美京平さんが誤嚥(ごえん)性肺炎で亡くなってから、早1か月。彼は裏方に徹していたためか、その多大なる功績のわりにテレビでの報道は少なかったが、ネットニュースやSNSでは故人を偲ぶツイートやコメントがあふれ返っていた。
報道のあった数日後からは、筒美京平作品について「歌謡曲をおしゃれなポップスに仕立てた'70年代が革新的」「いや、'80年代以降のジャニーズアイドル作品をたどれ」「それよりも'90年代におけるシンガーソングライターとのコラボが面白い」「いやいや、アニソンこそ隠れた名作の宝庫だ」などと、さまざまなコラムが新聞、雑誌、Web媒体に数多く掲載された。それらすべてが正解であり、また、このような議論が起こること自体、筒美さんがいかにオールマイティに偉大であったかを実感させられる。
デビュー曲から手がけた女性歌手に限っても、'70年代は南
さらに、彼の作品は庄野真代『飛んでイスタンブール』、大橋純子『たそがれマイ・ラブ』、ジュディ・オング『魅せられて』、などデビューからしばらく経った女性歌手の大胆なイメージチェンジの際に起用されることも多かった。
早見優がアップテンポな提供曲に大喜び
なかでも、早見優、小泉今日子、河合奈保子という3人は、いずれも'83年の春から夏に集中して筒美作品で大きくステップアップしている。これは、前年末からの中森明菜『セカンド・ラブ』のメガヒットや、'83年の頭に発売された柏原芳恵の『春なのに』のロングヒットに対抗すべく、ここ一番の起爆剤として筒美作品があてがわれたからだろう。今回は3人のケースから、筒美京平さんの魅力を探っていきたい。
3人のうち最初に筒美作品を歌ったのが、ハワイ育ちの“元祖・バイリンギャル”こと早見優だ。早見は'82年4月、“恋コロン、髪にもコロン、ヘアコロンシャンプー”というキャッチコピーをひっさげた『バスボン ヘアコロンシャンプー』のCMソング『急いで!初恋』でデビュー。しかし、シングル2作目の『Love Light』から『アンサーソングは哀愁』『あの頃にもう一度』までは安定感のある歌唱をアピールしたかったのか、天性の明るいキャラを封印した楽曲が続き、セールスは下降線をたどっていた。
そこで、'83年4月、シングル5作目に筒美作曲の爽快な『夏色のナンシー』(作詞:三浦徳子、編曲:茂木由多加)が採用されると、本人出演の『コカ・コーラ』CMソングとなったことも相まって、オリコン最高7位、TOP20内に12週もランクインする自己最高のロングヒットに。早見本人も「やっと明るい歌だ! これだこれだ!」と大のお気に入りだったようで、間奏の英語コーラスも自分で考えたという。テレビ露出も増え、この歌で人気音楽番組『ザ・ベストテン』に出演した際には、出番が急に早まり、裏で一緒に待機していた松田聖子が着替えを手
以降、筒美作曲のシングル5作でオリコンTOP10入りを果たした早見だが、この中の『誘惑光線・クラッ!』(作詞:松本隆、編曲:大村雅朗)は『夏色のナンシー』と異なり、セーラームーンなど戦隊ヒロインものを先取りしたようなコミカル路線なので、当時を知らない方には聴いてもらいたい。
小泉今日子のイメチェンに貢献
続いて、小泉今日子は'83年5月、シングル5作目にて筒美作品『まっ赤な女の子』(作詞:康珍化、編曲:佐久間正英)を発表した。その前々作『ひとり街角』と前作『春風の誘惑』では、内向的な女の子が主人公のシングルを歌っていて、そこそこヒットはしたものの、やや横ばい気味に。本人も『ひとり街角』について「なんでブローチを落としたくらいでこんなに焦っているのか、よくわからないまま歌っていた」と発言するほど、素の自分とのギャップを感じていたようだ。
そこへ『まっ赤な女の子』でタイトルどおり、まっ赤な太陽のもと、まっ赤に日焼けしたまっ赤なビキニの開放的な女性を元気に歌うことで、大きくイメージチェンジ。また、前作を歌っているころから、所属事務所の社長がその短さに驚愕してソファーに倒れこんでしまうほどのショートヘアにしたことも功を奏して、同性からの支持を一気に増やした。小泉のブレイク以降、“スポーツ系女子”のショートカットは「仕方なく」ではなく、「カッコ可愛いから」という選択肢となった。
また、この歌の歌詞にある《♪濡れたTシャツドッキリ~》の「キリ」部分に現れるしゃくりがトリッキーに聞こえるのも、小泉×筒美作品の特長だろう。例えば、太田裕美の大ヒット曲『木綿のハンカチーフ』の《♪恋人よ僕は旅立つ~》の「つ~」で、地声から裏声にキレイに変わるのが彼女の持ち味となっているように、それぞれの歌い手の魅力を最大限に引き出せるのも、“筒美京平マジック”と言えるだろう。
小泉が歌った筒美作品でTOP10入りしたのは合計8作。その中には、彼女の代表曲でもある'85年のド派手な『なんてったってアイドル』もあるが、'86年のしっとり系バラード『夜明けのMEW』(作詞:秋元康、作曲:武部聡志)も、'86年度の年間有線ランキングで20位と、彼女屈指の有線ヒットとなっている。(『なんてたって~』は有線45位)あまり歌唱力で語られないキョンキョンだが、筒美作品を歌った3~4年で、表現力がぐんと伸びた結果とも言えそうだ。
河合奈保子に突きつけた“挑戦状”
そして、河合奈保子は'83年6月に、通算13作目のシングルとして筒美作品『エスカレーション』(作詞:売野雅勇、編曲:大村雅朗)を発表する。それ以前からもオリコンや『ザ・ベストテン』の常連となっていた彼女だが、竹内まりや、来生たかおなどのシンガーソングライターが描く等身大の世界から、大胆すぎるビキニや銀色ピアスを身につけるという“挑発路線”の歌詞と、歌唱力を生かしたダイナミックなメロディーに大きくシフトチェンジ。そのインパクトから、自身最高のレコード売り上げ(約34.9万枚)となった。ちなみに、これは中森明菜のヒット曲『少女A』の作詞家としても有名な売野雅勇×筒美京平コンビ初のTOP10ヒットとなる。
ただ、筒美さんは、さらに楽曲がスリリングに展開する『唇のプライバシー』など奈保子には難解な方向に突き詰めていったためか、また、売野の歌詞も《(彼との体験は)初めてだけど (恋愛体験は)初めてじゃない》など、やや翳(かげ)りのある作風が増えたためか、セールスは先細りに。
それでも、'85年のシングル『ジェラス・トレイン』は奈保子に「これでもか!」と挑戦状を叩きつけたように思えるほど全体に音域が広く、歌の途中で絶唱気味のフェイクが入るなど、難しさを極めている。こんなにハイレベルな曲をサラリと歌ってしまうところも、奈保子の魅力が一般リスナーに伝わりづらい部分だったのかもしれ
このように、三者三様の筒美作品を歌った後、早見はロックやユーロビート、小泉は、自作詞やエッジの効いたクリエイターとのコラボ、そして、奈保子は作曲を手がけるシンガーソングライターへと、より音楽制作に前向きに取り組むようになる。この流れは「一流の作品を歌うことで、音楽の楽しさに目覚めさせる」という“筒美マジック”の別の効能もあったからこそ、生まれたのではないだろうか。小泉は筒美さんの訃報のあと、名前は出さなかったものの《歌を聴くこと、歌を歌うことは楽しいことで、心を豊かにすること》《ただただ感謝》と自身のツイッターでつぶやいている。
数少ないメディア露出の中で筒美さんは「常にヒットを狙っていた、ヒット曲しか頭にない」と、しばしば語っていた。それは一見クールな戦略家のようだが、決して独善的ではなく、多くの人に音楽の楽しさを届けようと、誰よりも音楽を愛していたからこその発言だったのだろう。
つまり、筒美京平作品には、作り手にも歌い手にも、そして我々聴き手にも、いっぱいの愛情が込められているのだ。
(人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)