現在、全国に100万人いると推測されるひきこもり。近年、中高年層が増加しており、内閣府は昨年初めて、40歳以上が対象の調査結果を公表した。一般的には負のイメージがあるひきこもり。その素顔が知りたくて、当事者とゆっくり話してみたら……。(ノンフィクションライター・亀山早苗)

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ひきこもりと自粛生活

 新型コロナウイルスに関してはまったく予断を許さない日々が続いている。3月以降、徐々に対面取材ができなくなり、緊急事態宣言が出された4月からは取材がことごとく延期に。ライター生活も30年を超えるが、こんなことは初めてで、私は気力をなくした。特に本連載は、対面を重ねながら書いてきた大事な記事で、会えなければ意味がない。鬱々としているうち、彼らの意見を聞きたくなった。

 ひきこもり経験者の多くは、穏やかでまじめで繊細。ゆえに傷ついてひきこもってしまうことが多いのだが、私自身は彼らと同じ場にいると、とても気持ちがラクになる。彼らは他人を責めないからだ。

 このコロナ禍において、彼らはどんな思いで過ごし、社会や経済活動が止まったことをどう思っているのだろう。

「外に出て働かなければいけない」というプレッシャーが彼らにはつきまとうが、「ステイホーム」が求められ、逆に少し肩の荷を下ろしているのではないか。

 以前、取材をさせてもらった人たちに、現状をどう感じているか聞いてみた。

「世間の価値観が一変したことを感じる」と話してくれた人が何人かいたのは、興味深かった。これまでひきこもっていることで非難を浴びてきたのに、今度は国が「ひきこもってほしい」と要請しているのだ。ただし、私が予想したように、「家にいることが推奨されて、胸のつかえが下りた」というわけではないようだった。

「家にいる」を無条件に肯定する社会

「家にいることが珍しくなくなったのは、私にとっていい作用かもしれません」

 そんな返事をくれたのは、「働きたいけど働けない」と以前、話してくれた40代の二条淳也さんだ。30歳くらいまではアルバイトを転々としていたが、人間関係がうまくいかず、心身ともに痛めつけられた。ひきこもってからは親の仕送りで生活を続けている。

「初めて行く美容院で『お仕事は何をされているんですか』と聞かれ、『家でいろいろ』と言うと、『こういうご時世ですもんね』と。コロナの影響で、今は誰に対しても『家で』と言えばすんでしまう。それは気がラクですね」

 言い換えれば、今まではそれだけ「お仕事は?」に対して圧力を感じていたということだ。それがコロナ禍で、相手が勝手に忖度してくれるようになったのだ。世間というのはいいかげんなものである。

 ただ、二条さんには困ったことがあった。「妻と会えなくなったこと」だ。彼は結婚しているものの同居せず、妻は実家暮らし。月に2回ほどデートをしていたが、緊急事態宣言下では会えなくなった。

「電話だけのデートは寂しかったですね。ただ、緊急事態宣言期間に私を心配する妻から手作りのマスクが送られてきたんです。血はつながっていないけど家族なんだとしみじみうれしかった」

 現在はデートが復活しているが、スーパーでもカフェでもマスクをしてビニールシート越しに懸命に働く人を見ると二条さんの心が痛む。

「がんばってるなぁと感心しながら、焦りが湧き起こってきます」

 労働だけが存在価値ではないが、働きたいのに働けない彼の焦燥感も想像に難くない。

新たな“圧力”を心配する声

 小学校、中学校ともに不登校から断続的にひきこもるようになった新舛秀浩さん(39)。必死に勉強して大学へは行ったものの、中退後、一時は自信を喪失していた。だが地域コミュニティーとつながったことで、講演活動を中心に、ひきこもり当事者の親支援に従事するように。昨年、私が会ったときには生き生きと活動していた。

 そんな彼はどうしているだろうと思いきや、実際の講演活動とオンラインでのサポート活動で充実しているようだった。

「私はもともと市外にはあまり出ないし、人混みにも行かないので、特に困ったことはありません。ただ、今後、在宅就労が進むと、ひきこもりの方たちに新たな圧力がかかるのではないかと心配しています。ただでさえエネルギーが枯渇しているからひきこもっているのに、そんな圧力をかけられたら大変です」

 なるほど、と彼の視点に納得する。今後、人によっては親から「家で働く道を探れ」という圧力が出てくる可能性はあるだろう。家にいる生活が推奨されているからといって、ひきこもりの人たちが安寧の場を確保できたわけではないのだ。

ひきこもりを伝えるユーチューバーに

 小学校3年生のころのいじめがきっかけで20年にわたって断続的にひきこもり、パニック障害やうつ病になったさとう学さん(42)は、こう返事をくれた。

「ひきこもりは白い目で見られていたのに、社会や世間がひきこもることを推奨するなんてまるで映画みたいです。世の中の価値観なんてあっという間に180度変わりますね。歴史的瞬間の目撃者になったような気がします」

 さとうさんは、昨年夏、縁あって就職、都内の会社近くにマンションを借りて仕事に邁進(まいしん)していた。上司のお供で海外出張までこなしていたが、コロナ禍で多くの中小企業同様、勤務先も経営が厳しくなった。そこへ慣れない東京暮らしもあって心身の調子を崩して退職。ひとり暮らしをしていたが、実家に戻った。

 仕事は辞めていたが、彼は元気だった。「コロナ禍で考え方が変わったか」と尋ねると、驚くほど前向きな答えが返ってきた。

「誤解をおそれずに言えば、すごくチャンスだと思いました。ウイルスは権力者やお金持ちにも平等に襲いかかり、社会を強制的に変える力がある。多くの人は生活水準が下がることを恐れていますが、僕はもともと生活水準が低いので耐性があります。アフターコロナの世界では、何もしがらみがない僕のほうにチャンスがあると思いました」

 彼はYouTubeを使って英語での発信を始めていた。それを見たコロンビアやアメリカ、イギリス、ブラジルなどのひきこもり当事者たちと英語でやりとりをし、インタビューの様子もアップしている。今後は海外のひきこもりの人たちに自分たちの動画を撮影してもらい、それを編集して映画化していくつもりだという。世の中の価値観ががらりと変わったからこそ、彼は「何でもありだ、アイデア勝負で、自分のやりたいことをやっていこう」と思えたという。

コロナ禍で家出、新しい環境へ

 今年1月の記事で紹介した湊うさみんさん(36)は、コロナ騒動のさなか、家を出ていた。ツイッターで「今日は野宿か」と書いているのを深夜、偶然見て思わず「どうしたのですか、大丈夫ですか」とメッセージを送った。

 うさみんさんは、さまざまな生きづらさを抱えながら実家で両親とともに暮らしていた。顔を合わせれば「働け」と言われていた時期もあったようだ。相当なプレッシャーを感じていることはインタビューでも想像がついた。

「コロナ禍で父親の不機嫌が限界に達し、『働きもせず家にいやがって』と聞こえよがしに言うんです。もうここにはいられないと思って」

 家を出てネットカフェや友人宅に泊まり、運よく世話をしてくれるNPOとつながって住居(施設)を確保した。生活保護も下りたという。

「洗面所などは共用なので、人と顔を合わせないよう、いつ出ていけばいいかタイミングを見計らうのが疲れます」

 繊細なうさみんさんは、新しい環境に戸惑いを見せつつも、「精神の自由を得たことで、ようやく落ち着いています。もう少し生きてみます」とメッセージをくれた。

 こんな時期に思い切ったことをすると驚いたが、「こんな時期」だからこそ、うさみんさんの中で何かが切れたのかもしれない。ひとりになって精神的に自由を得たうさみんさんが、これからどうしていくのか興味が尽きない。

「このままがちこもりに戻りたくない」

 一方、家から出られないことで不自由や不安を感じている人たちもいた。当事者たちの「居場所」や「集会」が軒並み中止となり、数少ない外出の機会を奪われたことが怖かったのだと思う。外に一歩も出られないことを彼らは「がちこもり」というのだが、「せっかく居場所につながって、自分の気持ちを話せる場を得たのに、このままがちこもりに戻りたくない」と言う声も聞こえてきた。

 コロナ禍、居場所をなくした人のために、オンラインでの集会があちこちで開かれていた。いくつかにZOOMで参加してみたが、結論からいえば、私はまったくなじめなかった。ひきこもり当事者たちにとっても賛否両論だったらしい。

「ひきこもり当事者たちはネット環境が整っていない人が多い」と話してくれたのは、ぼそっと池井多さん(57)だ。彼もZOOMで当事者会を主催したが、そもそも「参加したいけど参加できない」という人がかなりいたらしい。

「ひきこもりの支援を国が考えているのなら、行政が新たな居場所など開設するよりも、すでに機能している当事者活動を後方支援すればいい。そして、貧困層が参加できるように、スマホやタブレットを該当者に配布すればいい」

 と彼は言う。ひきこもり当事者たちの実態を考えると、ウィズコロナの状況ではまずそうしたことが就労支援よりよほど優先されるべきだろう。

 とはいえ、オンラインでの当事者会にもメリットがある。地方からでも参加できること、実際に人と接するのは怖いがオンラインならカメラ機能をオフにすることで、顔を見られずに参加できることなどだ。

 匿名で顔も出さずに、人とつながることができる。それが彼らにとって、社会とのつながりをもつ第一歩になる。

「居場所」がなくなる不安感

 7月上旬、ぼそっと池井多さんが主宰する『ひ老会(ひきこもりと老いを考える会)』が都内某所で行われた。顔なじみに久しぶりに会えてホッとする人たちの笑顔が新鮮だった。コロナ禍での近況報告会では、さまざまな話が出た。

「ネットをやっていないので、こんな世の中になってリアルな居場所がなくなって寂しかった。今後も続くとしたら、どうしたらいいだろうか」

「コロナ禍においては、家にいることが推奨されたが、それはひきこもりの得意技。むしろ一般人にはそれができない弱さがあるように思った」

「働くとはどういうことか、改めて考えた。働きたいけど働けない自分だが、人の役に立ちたいという思いはある」

 それぞれの立場で思いを語っていく。そんな時間と空間の中に身を置いて、やはり人が集うのはいいなあと私は実感していた。

「人と会って話す」が生きる意欲につながる

 何度かオンラインでの集まりに参加してみたが、画面の向こうに人はいるのに、その肉体の重さや存在感をリアルに感じることができずにいた。言葉だけが上滑りしていくのだ。リアルな場だと、他者が話しているとき、別の人と目が合い、微笑みあうこともあれば、隣の人とこそっとひと言ふた言交わすこともある。そこにいるすべての人の存在感が場の雰囲気を作り上げていく。会うというのは、互いの肉体の存在を感じ合うことなのかもしれない。

 4か月ぶりに集会に出席した男性の言葉は、心に染み込んでくるようなものだった。

「ひきこもっているので、世の中が動いているのに自分には生産性がない、と不安になることがある。コロナ禍でどこにも出られないと、むしろ安心してひきこもれたから精神状態が安定していた。今日は迷ったんですが、それでも出てきて同じような立場の人たちと話せてよかったと思っています」

 人と会って話すのは疲れる。気を遣いすぎたり他人の言葉が気になったりもする。それでも、人に会うことは固まった心をほぐし、生きる意欲につながる可能性がある。

 コロナ禍はまだまだ続くだろう。失業者は増え、中にはそれを機にひきこもる人もいるかもしれない。だが、心身を休めたら、誰かに会うことは重要だ。自分の肉体をその場に運んで、同じような思いをした人の肉体から「何か」を感じ取って話し合えれば、それは社会とつながることになる。いちばん怖いのは、孤独の中に埋没していくことなのではないだろうか。


かめやま・さなえ 1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆