かつて世間の注目を集めた有名人に「あのとき、何を思っていたか? 」を語ってもらうインタビュー連載。当事者だから見えた景色、聞こえた声、そして当時は言えなかった本音とは? 第17回はNHK連続テレビ小説『澪つくし』(1985年)で、ヒロイン・沢口靖子の相手役を演じブレイクした川野太郎。お茶の間をくぎづけにした“純愛ドラマ”の舞台裏は……。
朝ドラ『澪つくし』はすべてがよかった
「BSで再放送が始まり、さっそく反響をいただいています。自分も第1話で沢口靖子ちゃんと出会う登場シーンを見たんですが“若い!”と。息子かと思いました。いま息子が25歳で、当時の自分と同じ年齢なんです」
1985年放送のNHK朝ドラ『澪つくし』で、ヒロインの相手役に抜擢されてデビューを飾った川野太郎。ドラマは最高視聴率55.3パーセント、平均視聴率44.3パーセントを記録する大ヒットとなった。いまBSプレミアムでの再放送を機に、あらためて注目が集まっている。
「ヒットの要因はいろいろあると思いますが“当たった”ってことは、すべてがよかったんだと思います。1個1個のピースがジグソーパズルのようにハマって、きれいな絵ができあがった。当時まず感じたのは“とにかく台本が面白い”と。届いた台本を次から次に読みたくなるんです」
脚本はのちに『独眼竜政宗』『八代将軍吉宗』などを手がけるジェームス三木。大正末期から戦後にかけての千葉県銚子市を舞台に、醤油屋の娘・かをる(沢口靖子)と漁師の網元の長男・惣吉(川野)との純愛を描いた。
「ヒロインの靖子ちゃんも素晴らしかったですね。とにかく初々しくて、透明感が抜群で、本当にきれい。“こんな人間いるのかな!?”と(笑)。
相手役の僕は大学を出たての新人でしたが、野球部出身のガタイのよさと、丸刈りに色黒なのが漁師の惣吉に合っていたんでしょうね」
早稲田大学の野球部に所属していた川野。レギュラーにこそなれなかったが、東京六大学野球にも出場したバリバリの体育会系だ。大学4年の11月から演劇の研究所に通って俳優を目指していた。
「留年して残りの単位をとりながら、5年生の9月に『澪つくし』のオーディションを受けたんです。人生初のオーディションだったので、まったく受かると思っていなかった。“落ちても、いい経験になるだろう”くらいの気持ちだったのが、2次・3次・カメラテストと進んで、あれよあれよと。
個人面接では“カメラに向かってニーッと笑ってください”と言われ“これは歯並びを見られているのかな?”と。いきなり、“上半身、裸になってください”と言われて、“え、NHKってそういうところ!?”とか(笑)。 もちろん漁師にふさわしい肉体か確認していたんでしょうけど」
『澪つくし』のチームを作って野球の試合
沢口靖子とはクランクインするまでの数か月、一緒に特訓を受けたという。
「新人7〜8人が週3日くらいNHKに通って。演技だけでなく、若手同士でコミュニケーションをとって仲よくさせるのが目的。スタッフさんに温かい雰囲気をつくってもらいました。
靖子ちゃんは美しさ、ピュアさが秀逸な一方で、ときどき“え、そう来る!?”みたいな天然な魅力がありました。役に命を吹き込むのに全身全霊がいっちゃって、ほかのことに気が回らない。そこが周りをホッとさせて、なごませていましたね」
番組は4月1日の初回で37・1パーセントの視聴率を記録。さらに数字を上げていく。
「本当に一気に、という感じでした。昨日まで運動部で走り回っていたのが、取り巻く環境が急変して戸惑いました」
NHKには電車で通っていたが、長身に丸刈りはやはり目立ったようだ。
「当時はマスクをする人はいなかったし、最初は帽子もかぶらなかった。わざわざ隠すほど有名人じゃない、みたいな感覚もあったから、よく声をかけられました。うれしい感覚もあるんですけど“いいのかなぁ……”と。なんか怖さも感じました」
ドラマで醤油屋は“陸者”漁師は“海者”とされ反目し合うなかで、かをると惣吉の結婚がなかなか認められない展開は「銚子のロミオとジュリエット」とも言われ、視聴者をやきもきさせた。
「ふたりは最初から好き合っているのに、ドラマではすれ違う展開が多く、なかなか会えない……。演じる僕的にもたぶん、かをるにひと目惚れしたと思うんですよね。でもふだんから靖子ちゃんと親密にしていると出会ったときのうれしさが薄れてしまうから、なるべく声をかけないようにしようと、自分を抑え込んでいました」
その禁がとけたのはドラマ中盤、ふたりがようやく結ばれてから。
「結婚して、家族の愛情になっていく。スタッフさんも急にふたり一緒に外に連れていってくれたり、“昼メシ、誘えよ”とか、けしかけられていましたね(笑)。自分自身の感情としても、ドラマなのか現実なのかわからなくなるような瞬間もありましたよ」
全盛期の朝ドラだけに、出演者は津川雅彦、加賀まりこ、草笛光子など演技巧者ぞろい。若き日の明石家さんま、根岸季衣も姿を見せる。特に親しく接した共演者の名前を聞いてみると……。
「柴田恭兵さんは本当によくしてくれました。恭兵さんは野球が大好きで、僕も野球部だったので『澪つくし』のチームを作って試合をしましたね。スタジオでもポーンと空き時間があると“太郎、バッティングセンター行こうか”と、あのビブラートの声で誘ってくれるんです。恭平さんの車にはバットが何本か積んであって“これ使う?”。またあのビブラートの声で(笑)」
大学3年から付き合っていた彼女がいた
ドラマの後半、ある重要な場面のリハーサル中、現場のスタッフが軽口を叩いて少し騒々しいことがあった。
「僕と靖子ちゃんが対面するシーンで、恭兵さんは黙って聞いているだけの芝居だったんですけど、恭兵さんがカメラさんに向かって“大事なシーンをやってるんだよ。気持ちが裂けるからやめてくれよ!”とビシッと言ってくれたんです。
“ああ、この人はすごいなぁ”って。同時に“ありがとうございます”という気持ちがこみ上げてきました」
かをるの腹違いの姉・律子を演じた桜田淳子には、こんな思い出が
「演技では勝ち気で突っ張っていましたけど、ふだんはすごく感じのいい方。素朴で、温かくて、スター然としていらっしゃらない。
実は中学生のころ、アイドル時代の淳子さんのファンだったので、言おうか迷ったんですけど、うっかりそのまま伝えてしまったんです(笑)。そうしたら、淳子さんに“で・し・た! 過去形ですか”って、ちょっと冷たく言われましたよ。
あれから35年たって、僕もそういうことを言われることが増えてきて、淳子さんの気持ちがわかります(笑)」
プライベートでは、実はひそかに交際していた女性がいたという。今だから話せることとして、川野が事情を語ってくれた。
「この際だから、正直に言います。大学3年から付き合っていた彼女がいました。ただ自分は器用なほうではないので、一度は“俳優の道を目指すから別れよう”と伝えたんです。そうしたら彼女が“1週間後にあらためて、もう1回会いましょう”と。
1週間後に“いま現在の気持ちはどうですか。好きですか。嫌いですか”って聞かれたので、“嫌いじゃない、好きだよ”と。“だったら無理してお付き合いをやめる、別れるって、いま決めることないんじゃない?”って彼女が言ったんです。“わかった。その代わり会えないよ。中途半端になりたくないし”と。それで、僕も演劇の研究所に専念して通うことができたんです」
『澪つくし』のオーディションに合格し撮影が始まってからは、たまに電話で話すくらいで距離が離れていったが、その後は『武蔵坊弁慶』『ザ・ハングマン』などの仕事の合間をぬって数か月に1度、会う機会があったという。
「これも今だから言えますが、ある方のお宅で……。親みたいな年齢の方で、とてもお世話になっていたんですけど、その方の家に別々に入っていっていました。写真週刊誌が全盛の時代でしたし、向こうは素人だから、変なかたちで書かれたくなかったんです」
『澪つくし』が自分を作ってくれた
長い交際を経て入籍したのは、ある大物俳優がきっかけだった。
「石原プロさん製作のドラマ『代表取締役刑事』でレギュラーをもらったときに、渡哲也さんの専用バスにご一緒して、待ち時間を過ごす機会があったんです。いろいろとお話をうかがっているうちに、渡さんのほうから“川野くん、付き合っている女の人はいるのかい?”と聞いてくださった。僕はそれまで誰にも言っていなかったんですけど、つい“はい”って答えてしまったんです。
“そう。付き合い長いの?”“9年くらいですかね”“ああ、じゃあ、それ(結婚まで)いくなぁ”って(笑)」
その瞬間、ポーンっと何かに背中を突かれた気がしたという。
「“まあ。男にはいろんな道があるけど、例えば(石原)裕次郎さんはスター同士の結婚、うちの奥さんは全然違う世界。でも男は好きなものは好きで、けじめをつけるときはつけるんだよね”。渡さんのその言葉が引き金になって、『代表──』が1年間の撮影でしたから、それが終わる頃(1991年)に籍を入れたんですね」
4年後にはレポーター役をつとめていた『料理バンザイ!』のスタッフのすすめで披露宴を開いた。昼ドラ『キッズ・ウォー』シリーズのお父さん役など当たり役を得る一方で、家庭では一男一女の父となった。25歳になった長男は父の背中を追って、役者の道を歩み始めているという。
いま『澪つくし』を見て、あらためて思うことは?
「デビュー作にして、自分を作ってくれた代表作です。当時スタッフに“こんなにいい役は10年に1回しかないぞ”と言われました。そのときはわかりませんでしたが、35年がたって、あらためてありがたさを実感しています。
正直、重たい部分もありましたが、自分にとっての誇りになっています」
氷川きよし座長の熱い想いに感動!
川野の直近の仕事は「氷川きよし特別公演」(明治座/9月)。第1部『限界突破の七変化 恋之介旅日記』に出演し、貫禄の演技で華をそえた。
「氷川くんは本当にすごい。第2部の歌だけでも大変なのに、必ず朝10時から芝居の稽古をするんです。“昨日思ったんだけど、あのセリフはこう変えたほうがお客さんに伝わるんじゃないか”とか。毎日少しずつ変えたんじゃないでしょうか。まったく妥協がない。最後まで進化し続ける、やり通すエネルギーに尊敬を感じましたね」
コロナ禍のなか、劇場公演は久しぶり。
「いつもとまったく違う状況でした。コミュニケーションが圧倒的に遮断されるじゃないですか……。役について演出家と話す、共演者と話す。
そんな機会も少なくて最初はどうなることやら不安だったんですが、それでも不思議な一体感に包まれましたね。
みんなで千秋楽まで、稽古も含めて1か月半以上をどう走り切るか、ひとりひとりが真剣に考えた。同じ目的に向かってベクトルがギューンとひとつになって絶対に感染者を出さないという気概がありました」
PCR検査はスタッフ、出演者、マネージャーにいたるまで全員が3〜4回受けたという。
「千秋楽の数日前には、館内放送があったんですよ。“PCR検査、最後の結果を発表いたします”。ドキッとして聞いていたら“全員……陰性でした”と。そうしたら誰かが廊下で拍手しているんです。
思わず僕も同時に拍手して、楽屋から出ていったら、氷川くんだった! 彼も自分の楽屋から出てきたんじゃないですか。みんなと喜びたかったんじゃないですか。彼も同じ気持ちだったんだ……ああ、やってよかったなぁ、と」
その瞬間を語るうちに、あらためて思いがこみ上げてきて、目頭を熱くして絶句する川野。
「そのうち、みんな出てきて。抱き合って喜びたかったけど、あんまり接近しちゃいけないから。でも、気持ちは一緒で……すごくうれしかったですね」
同公演は11月19日から29日の日程で、大阪・新歌舞伎座でも行われる。