幸せの絶頂にいたという高羽さん一家

 当時2歳の長男の目の前で母は殺された。犯人は40代から50代のB型の女。そこまでわかっているのに、なぜかいまだに捕まらない。奈美子さんの性格に難があると思わせるような報道は遺族や周囲を苦しめた。本当の彼女の素顔とはー。今月13日で事件から21年目を迎える今、ご主人や友人が奈美子さんの名誉のために証言する(取材・文/水谷竹秀)

ネガティブな面ばかりが
強調された「偏向報道」

〈悪げなく人を傷つけちゃうタイプの人なんだ〉

〈つまりめちゃくちゃ嫌われとるやないか!!〉

〈可哀想だけど、そーゆー人だったから仕方ないのかもね。恨みつらみ買ったな〉
 
 ネットに書き込まれた辛辣なコメントの数々。この標的にされた人物は、今から21年前に名古屋市内で殺害された主婦、高羽奈美子さん(当時32歳)である。

「死人に口なし」の被害者が、なぜかくも誹謗中傷を浴びなければならなかったのか。
 
 きっかけは、2016年2月半ばにフジテレビで放送された『最強FBI緊急捜査! 日本未解決事件完全プロファイル』という番組だった。米連邦捜査局(FBI)の元捜査官が来日し、真相を解明するという内容で、奈美子さん殺害の動機を、怨恨の線で見立てた。元捜査官は、奈美子さんの女友達3人にインタビューを行い、彼女の人物像について、こんなコメントが使われた。

《悪気がなく言ってしまうことがあるので、こっちが落ち込んでいるときにすごく楽しいことを言ってくるんです。ある意味、やっかみはあった》

《赤い車に乗り、派手っぽい感じ。ミニスカートをはいていたりとか、周りからやっかみを買い、誤解される》

《こちらが傷ついちゃうことを言ってくるんです》
 
 これが「夫も知らない妻の顔」として紹介され、番組の視聴者から冒頭のような感想が書き込まれたのだ。
 
 これによって奈美子さんはネット上で「マウントをとる性格の悪い女性」というイメージが定着してしまい、夫、悟さん(64)の妹が番組側に抗議。フジテレビは謝罪に追い込まれた。

「息子のことを心配した」

 番組でインタビューを受けた友人たちに聞いてみると、奈美子さんのネガティブな面ばかりが強調された偏向報道だったと、口々に嘆いた。

「息子さんが、あの番組を見たときにすごく嫌な気分になるだろうなと心配しました」

「言葉を選んだつもりが、オーバーに面白おかしく作り込まれた。犯人を見つけようとする愛ではなく、視聴率を狙った番組制作への愛しか感じられなかった。本当に腹が立ちました」
 
 そこで、あらためて奈美子さんの人物像を尋ねると、こんな回答が返ってきた。

明るくてテキパキと仕事をこなす。スラッとしてスタイルがよく、仕事場で上司から好かれやすかった」(高校時代の友人)

頑張り屋で情に厚い。何か悩み事があると聞いてくれ、職場でも慕われていた」(会社員時代の後輩)
 
 華やかな容姿を持ち、かつ器用で、友人や後輩思い。それが奈美子さんの印象だ。一方で、物事をはっきり言う一面も確かにあったようだ。 

まさに幸せの絶頂だった

 奈美子さんは1999年11月13日、名古屋市西区にあるアパート2階の1室で、何者かに刃物で首を刺されて死亡した。左手には防御創があったことから、犯人と争ったとみられる。
 
 奈美子さんは、リビングの入り口のところにうつぶせで倒れ、台所の食卓では、長男の航平君(当時2歳)がベビーチェアに座っておもちゃをいじっていたが隣人に無事、保護された。犯行に使われた刃物はなく、部屋が物色された形跡もなかった。
 
 愛知県警によると、玄関に残された血痕のDNA型などから、犯人は血液型B型の女性と判明。年齢は当時40〜50歳で身長約160センチ。
 
 県警は目撃情報などを基に捜査を続けてきたが、いまだに犯人は見つかっていない。今年に入ってようやく犯人の似顔絵を公開し、有力情報の提供者に上限300万円の懸賞金をかけた。

愛知県警が公表した犯人の似顔絵

 奈美子さんは当時、現場のアパートで、不動産会社で働く悟さん、息子の航平君と3人暮らし。結婚生活は4年目だった。事件発生の前月には奈美子さんが憧れていた新車が届き、家族3人でディズニーランドへ初めて出かけ、幸せの絶頂を迎えていた。友人の1人が思い出を語った。

「悟さんとのラブラブ話をしてくれて、息子が夫にそっくりでうれしいと。お互い幸せになろうねと話していました」
 
 そんな薔薇色の日々を謳歌していた奈美子さんだが、実は、友人たちにも知られざる過去があった。

ディズニーランドに行った翌月、事件が起きた

母の逮捕に泣き崩れる

「お母さんっ子でした」
 
 友人たちが口をそろえる奈美子さんの象徴的な人柄だ。20代前半のころ、母が切り盛りする居酒屋の「看板娘」としてカウンターに立つ姿が、今も思い出されるという。
 
 奈美子さんは妹と2人姉妹。両親は中学生のころに離婚し、母の手ひとつで育てられた。名古屋市内の商業高校を卒業後、製造関係の会社に就職。数年働いた後、歯科医の助手を経て、不動産会社へ転職し、悟さんと出会う。
 
 2人は社内恋愛だった。平成7年7月7日に入籍し、現場となった西区のアパートへ移り住む。奈美子さんは寿退職した。悟さんが懐かしそうに回想する。

奈美子はとにかく主婦業が好きでした。料理作って子ども育てて、旦那さんの帰りを待つ。同じ料理が2日続いたことはなく、私の両親にもよく気を遣ってくれました。パーフェクトな妻でした
 
 ところが新婚生活が始まっておよそ1年後、悟さんは社用車でたまたま耳にしたラジオで、奈美子さんの母が薬事法違反容疑で逮捕されたことを知る。母はそのとき、市内でひとり暮らしだった。
 
 報道によると、母は健康食品会社の販売員として、「がんに効く」などと薬効をうたい、無許可の清涼飲料水20数本(約94万円分)を販売した疑いが持たれた。
 
 悟さんがその日に帰宅しても、奈美子さんの口からは何も告げられなかった。このため悟さんから切り出すと、その場で泣き崩れたという。

「夕刊には顔写真も出ていました。ただ、不起訴処分になったのか、数日で留置場を出てきたので、奈美子と一緒に迎えに行きました。その後、名古屋にいづらくなり、義母は奈美子の従兄がいる北海道へ移り住みました」
 
 以来、奈美子さんも毎年、夏になると北海道に短期滞在し、息子の航平君もそこで生まれた。そうして3年の歳月が流れ、奈美子さんの母が北海道から名古屋に戻ってくることになった。翌年春には母と同居する予定で、35年ローンの新築マンションを購入した。事件発生10日前には、奈美子さんと母がそのモデルルームを下見に行っていたと、悟さんは振り返った。

「奈美子が母に『これと同じ部屋を買うんだよ』『カーテンをどうしようか?』とうれしそうに話していました。そういう姿を見て、奈美子も少しは親孝行できたのかなと」
 
 新車、新築マンション、初のディズニーランド……。夢のような新婚生活を周囲に話す一方で、母の逮捕については親友にも一切漏らさなかった。そんな心の闇が反動となり、幸せぶりを過度に吹聴してしまったのだろうか。友人のひとりが語る。

奈美子はいつもキラキラしています。背筋がまっすぐで胸を張って歩いている。凛としていて、不平不満がほとんどない。ひょっとしたら苦しいときも、そんなイメージを作ってきたのかな。彼女は他人に見せたい自分があったのかな」
 
 一方、会社員時代の後輩は、「奈美子さんは恨まれるような人ではありません。ママ友やご近所とも仲よかったし、誰かとトラブった話は聞いたことがない」と断言したが、こんな複雑な思いも口に。

「ただ、お母さんとマンションで暮らせるのを幸せいっぱいに話していたので、人によってはそれが『自慢』に聞こえ、反感を買われてしまったのかな……」

時間が止まった現場

 コンクリート製の玄関のたたきに、黒く変色した血痕がこびりついている。その血痕でできた、幾十にも重なる靴跡を見つめながら、悟さんが静かに言った。

玄関に残る血痕。幾十にも重なる靴跡が生々しかった

これが犯人の靴跡です。サイズは24センチ。最初は妻の血だと思っていたのですが、事件発生から数年後に犯人のものとわかり、自分の血が毎回報道で流されたらプレッシャーになるだろうと、今まで部屋を借り続けてきました
 
 名古屋市西区の閑静な住宅街にある現場アパート。悟さんは現在、市内の実家に住んでいるが、現場保存のためだけに家賃を払い続けている。その総額は1948万円だ。
 
 リビングのカレンダーには、
〈むしバ 母子手帳 タオル ハブラシ 720円〉
 
 と奈美子さんのボールペン字が書き込まれたまま。

アパートに配達された21年分のチラシ

 家族3人の写真が入った置き時計、食卓、化粧台、奈美子さんの赤い羽織、電話機、おもちゃ……。事件発生時からそこは、まるで時間が止まっているかのようだった。
 
 奥の和室には、ポストに投入されたチラシが山積みされ、「21年」という時間の重みを感じさせる。
 
 息子の航平君は23歳になり、現在は東京の広告会社で働く。事件当時は2歳だったため、記憶は全くない。悟さんが心境を吐露した。

「奈美子には子育てをさせてあげたかったんです。でも、こうなっちゃったので、私が代わりに一生懸命やってきたつもりなんだけど、奈美子から合格点もらえるかな」
 
 幸せな家庭が一瞬にして悪夢に変わった未解決事件。奈美子さんはなぜ狙われなければならなかったのか─。
 
 友人たちが語ったように、奈美子さんの周囲に、妬みや反感を持つ人物がいたのだろうか。はたして、それだけで人を殺めてしまうのか。
 
 そもそも妬みによる殺人という偏向報道によって傷ついた家族と友人。フジテレビに番組の意図を尋ねると、「被害者の人物像を描く際に一部配慮に欠ける表現があったため、関係者の皆様にお詫びしました」と述べ、ホームページに掲載した謝罪文と同じ回答しか得られなかった。
 
 真相は闇に包まれたまま、事件発生から21年目を迎える今年もまた、悟さんは関係者とともに名古屋市の街頭に立ちチラシを配り続ける。

●水谷竹秀●ノンフィクションライター。1975年、三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社文庫)など。

情報提供をお願いします
愛知県西警察署 052-531-0110