中尾ミエ(左)と尾藤イサオ(右) 撮影/伊藤和幸

  感謝をして遺品を手放す“感謝離”をテーマにした映画で共演した尾藤イサオと中尾ミエ。家を行き来するほど仲よしというふたりに聞いた特別な歌のこと、感謝離したいあの品物のこと。

映像初共演作で号泣

 “亡くなった妻の衣服に「ありがとう」と頭を下げ、手放していった―”(「感謝離 ずっと夫婦」)。昨年5月、河崎啓一さんが朝日新聞の『男のひといき』欄に愛妻の遺品を整理したときの心情を投稿すると話題に。感動の実話を綴った同名の単行本を映画化した『感謝離ずっと一緒に』。
 
 物語の主人公・笠井謙三と妻の和子を演じるのはともに歌手としてデビューし、俳優業でも愛され続けている尾藤イサオと中尾ミエ。60年以上の付き合いというふたりだか、実は、映像作品での共演は今作が初。

中尾「ミュージカルなんかでの共演はありますけど、完全な俳優としてのお仕事は初めてですね。尾藤さんと共演すると聞いてすぐに、何をするの? って(笑)

尾藤「そうそう(笑)」

中尾「オファーをいただいたときは、まだ台本ができあがっていなくて。だから、内容がどんなものか詳しくはわからなかったんです。そんなんでも引き受けるんですよ(笑)」

尾藤「ハハハ」

中尾「それが、わが作品ながら試写で思わず号泣しちゃうくらい素敵な映画で。号泣して見た後に、爽やかな気分になる不思議な作品です」

尾藤ミエさんと同じ試写では見ることができなかったんですが、僕もね、涙されましたですよ

中尾されましたか(笑)

 転勤の多い銀行員で長いこと仮住まい生活だった謙三と和子は、ようやく手にしたマイホームで、幸せな老後生活を送っていた。
 
 そんなある日、妻が脳梗塞で倒れてしまう。
 
 劇中の「パパ」「和子」と呼び合う62年連れ添った夫婦そのままの雰囲気のふたり。

中尾家がご近所で、気心の知れた仲ですから。演じるというより、いつもの接し方でいいやと思って。“尾藤ちゃん”って呼んでいるのを“パパ”って。でも、最近は“尾藤ちゃん”とも呼ばないんだな。“じいちゃん”って呼んでいます(笑)」

尾藤「なんかね、娘とかに呼ばれているみたいな感じで。ミエさんに“パパ”って呼ばれても、何の抵抗もないというのがおかしいよね(笑)

尾藤絶賛のシワは勲章?

 撮影期間は、驚くほど短期間だった。それは、ふたりがすでに“夫婦”の空気を纏っていたからかもしれない。

中尾「NGも“ここをもう少し掘り下げましょう”というのもなかった。だから、短期間で撮れちゃったんですよ」

尾藤「本当だね」

中尾「コロナ禍での撮影で、いろいろな仕事先で“あまり接近しないでください”と言われていたんです。でも、この作品では介護もあるから(尾藤が)抱きついてくるし(笑)。

 でも、本番以外は役者もフェイスガードをつけていたし、何より、スタッフのみなさんがずっとマスクとフェイスガードをはずさずにお仕事しているから、大変そうで。暑さもあって大変でしたよ」

尾藤「ヨイショするわけじゃないけど、今回のミエさん、素晴らしいと思う。ミエさんが“嫌になっちゃう。私、シワだらけで”って言ったんだけど、そこがいい。女性にとったら勲章じゃないのかもしれないけれど、横顔のシワなんか、ものすごくいい。映画祭に出品して、賞をとらせたいくらいです」

中尾ミエ 撮影/伊藤和幸

中尾「入院しているのに化粧するのもおかしいじゃない。この年になって、なかなかスッピンで画面に出ることってないでしょ。しかも大きなスクリーンで。もう、怖いものないですよ。裸を見られたようなものですから(笑)。ただね、自分もいつどうなるかわからない。そのときの心構えとして、今回のことを覚えておこうと思いました。そういう意味でいい経験になりました

 後遺症が残り、夫を頼る妻を献身的に介護する謙三。「和子」と呼ぶ謙三の顔はいつもにこやかで温かい。

中尾「それは、私が相手役だったからかも」

尾藤「そうそうって、俺が言うのもおかしいんじゃない?(笑)」

中尾「尾藤さんがいいわけじゃなくて、謙三さんがいいのよ。尾藤さんは、原作に忠実に演じているだけですから」

尾藤「(記者が)笑ってますよ」

中尾「だって、そうじゃない(笑)。でも、私たちが演じた夫婦の姿がそんなふうに受け止めていただけたら、役者冥利につきますね」

尾藤「一生懸命やったかいがあります」

 劇中、夫婦の思い出が詰まった曲として効果的に使われている曲がスコットランド民謡の『アニーローリー』。ふたりにとって特別な曲があるか聞くと、

中尾「自分のということになれば、それは、ヒット曲でしょ。私は、数が少ないですけど、尾藤さんはいっぱいありますから」

尾藤「いやいや。中尾さんは1曲しかないんですけど、僕は2曲あるんです。1曲多いから、僕の勝ちですよ(笑)

中尾「(笑)。でもね、音楽の力ってすごいなって思います。コンサートなんかやって、『可愛いベイビー』を歌った瞬間にお客さんは、当時の自分に帰るわけです。それも、一瞬にして。みんなそれぞれの人生があって、感じ方がある。つくづく、音楽の力って大きいなと思いますよね

捨てられない〇〇

 今作のタイトルにもなっている“感謝離”。「今年の流行語大賞に推薦したかった」と、ふたりは言う。

中尾「原作を書いた河崎さんが、“感謝離で(遺品を)全部処分しました。残っているのは写真1枚だけです”と。そう聞いて、ふと、写真って自分でも捨てられないけれど、残されるといちばん厄介だなと思いました。われわれの年代は、捨てるという言葉に敏感だから、ついついため込んでしまう。でも、感謝離だと思うと、気持ちを楽に整理ができる。そう言っても、まだできていないんですけど(笑)

尾藤イサオ 撮影/伊藤和幸

尾藤「“ありがとう”って感謝離するっていいですよね。僕もね、捨てられないものがありますよ。洋服ダンスの中の服で、かれこれ8年くらい着ていないものが」

中尾8年前の服なんて入りやしないでしょ

尾藤いや、上は入るんですよ。でも、下はパッツンパッツン(笑)

中尾「感謝して捨てなさい」

尾藤「はい、わかりました」

中尾「この作品を見ると、すべて日常のことだけど、いかに感謝するということをやっていないか思い知らされます。原作の河崎さんって、人生の終末期にこんな素敵なものを残して、奥さんにもいいご供養ができているじゃないですか。それに、人生で自分のストーリーが映画になるなんて、ありえないこと。だから、本当に最後の最後まで何が起こるかわからないと感じましたね

尾藤「この作品が公開されてすぐに77歳、喜寿になるんです。そういう意味でも記念の作品になりました。10年後の米寿でも、何かできたらいいですね

Q ふたりの初対面は?

尾藤「僕の思っているミエさんとの初対面が、ミエさんのと全然違うんです」

中尾「何よ、言いなさいよ」

尾藤「ミエさんは、音楽バラエティー番組の『森永スパーク・ショー』('62年〜'63年)に出ているスパーク3人娘のひとりだったんです。僕は、その番組のスパークボーイとして出ていて。そう言ったら、ミエさん、“え〜っ!? あんたいた?”って(笑)

中尾「私は、それよりもっと前なんです。ジャズ喫茶でブルー・コメッツをバックバンドに歌ったときがあって。そこに尾藤さんが革ジャンかなんかをね、手を通さないで肩にかけてきて。なんか粋がったやつが来たなって(笑)。それが初めての出会いでした」

尾藤イサオ(びとう いさお) 1943年生まれ、東京出身。18歳で歌手デビュー。'66年には、ビートルズ日本公演の前座として故・内田裕也さんらと出演。『悲しき願い』『あしたのジョー』の主題歌など名曲を歌うとともに、俳優業でも日曜劇場『ノーサイド・ゲーム』(TBS・'19年)など約50年にわたり数々の作品に出演。本作で、劇場映画としては初の主演を務めた。

中尾ミエ(なかお みえ) 1946年生まれ、福岡出身。'62年、デビュー曲の『可愛いベイビー』が大ヒット。紅白歌合戦に連続8年出場を果たすほか、伊東ゆかり、園まりと“3人娘”としてトリオを組み絶大なる人気を誇った。その後、女優としてもテレビ、映画、ミュージカルと活躍の場を広げ、現在『5時に夢中!』(TOKYO MX)の金曜コメンテーターも務めている。

(C)2020「感謝離ずっと一緒に」製作委員会 (C)河崎啓一/双葉社

映画『感謝離(カンシャリ)ずっと一緒に』 
イオンシネマほかにて全国公開中 配給:イオンエンターテイメント