行政書士・ファイナンシャルプランナーをしながら男女問題研究家としてトラブル相談を受けている露木幸彦さん。今回は夫と離婚する際に、義父から援助してもらったマンション購入の「頭金」が問題になった妻の事例を紹介します。(後編)
■【夫の不倫で離婚】夫の単独債務で購入したマンションに妻と娘が住み続けるには〈前編〉のあらすじ
相談者の寛子さん夫婦は11年前に分譲マンションを購入。義父が300万円の頭金を出してくれたが、所有権の10割は夫が持つこととし、義父も所有権を持つことを望まなかった。
今年に入って、夫と会社の後輩が不倫関係にあることが発覚。激怒した寛子さんは自宅マンションから夫を追い出し、離婚することに。
離婚後は長女が成人するまで妻子が無償で自宅マンションに住み続け、住宅ローン、固定資産税や管理費、修繕積立金等の諸費用は夫が負担し、ローンの返済を娘さんの養育費とみなすことに。夫はローンとは別に養育費を渡さないこと、それ以外の支出はすべて寛子さんが負担するという条件付きで、夫は離婚後も妻子が自宅に住み続けることを承諾。寛子さんと夫はお互いの両親に話を通さず、夫婦間だけで合意に漕ぎつけたが……。
夫:智也(40歳・会社員。年収900万円)
妻:寛子(40歳・会社員。年収400万円)
子ども:莉緒子(12歳。智也と寛子の長女)
夫の父:久雄(70歳・無職)
夫の母:節子(69歳・無職)
義父母が頭金300万円の返済を要求
「大事な話があります。頭金のことです。来週金曜の20時に、主人と一緒に訪ねるので」
何の前触れもなく、寛子さんのLINEにメッセージが届いたのです。送信の主は義母(夫の母)でした。
「何を言われるか……私には身に覚えがないんですが」
寛子さんが心配そうな顔で事務所へ相談しに来たのは、これで2回目。筆者は「頭金返済の要求では?」と伝え、できる限りの対策を授けました。
寛子さんは義母へ返事をしなかったのですが、当日になると義母、そして義父はインターフォンを鳴らすことなく、玄関からズカズカと上がり込んできたのです。寛子さんが失敗したのは夫から鍵を取り返さなかったこと。義父母が夫の鍵を使ったのは明らかでした。そしてリビングの椅子に腰をかけると、義母は一方的に言い放ったのです。
「息子から聞きました。これはどういうことですか、寛子さん? 私たちはもう年金生活。300万円の頭金は老後の備え。きちんと返してもらわないと困りますよ!」
義父母は息子が購入したマンションを嫁に奪われたと思い込み、頭金を取り戻さないと気が済まないという感じで凄んできたのです。寛子さんは開いた口がふさがりませんでした。確かに一見すると夫は寛子さんに「してやられた」格好ですが、本当にそうなのでしょうか?
「返さなきゃいけないお金だなんて、今まで言われたことはありませんよ!」
寛子さんは興奮気味に言い返したのですが、それもそのはず。息子夫婦の結婚生活が円満に続いているのに「あれは貸したお金だから」などと言えば、夫婦の仲に水を差しかねません。息子の妻の顔を立てるために不問に付してきたけれど、息子の「元嫁」に気兼ねをする必要はないと考えているのでしょう。筆者は前もって寛子さんに、「離婚をきっかけに急変するのは社会常識的にどうかと問いただしましょう」と入れ知恵をしました。これは「息子さえ良ければ、元嫁はどうなってもいい」と10年以上連れ添った息子の元嫁を奈落の底へ突き落すようなやり方を批難するという意味です。
「取れるものは全部取る!」という姿勢を崩さない
「お義父(とう)さんはお忘れではないですか? 智也さんが何をしでかしたのかを。結婚生活を破綻に追い込み、離婚せざるをえなくなったのは智也さんのせいなんですよ!」
寛子さんは力いっぱいの声量で言い返しました。息子の不倫という裏切りを棚に上げてどういうつもりなのか……。
「お義父さんやお義母(かあ)さんは私たちのことなんてどうでもいいと思っているようですね。それなら私も智也さんやお義父さんがどうなってもいい思うのは当然ですよ」と続けました。離婚が成立したのだから両家はもう関係ないと、「取れるものは全部取る!」と言わんばかりの義父母の厚顔無恥な振る舞いに対し、寛子さんも言葉を選ばずにぶつけたのです。しかし、義父は「300万円もの大金を融通したのに何の感謝もしていなかったのか!」と過去のことを蒸し返し、恨み節をぶつけてきたのです。
「300万円を貸したとおっしゃるのなら、お義父さんと私との間で『貸した、借りた』というやり取りが必要ですよね?」
筆者は事前に寛子さんに「奥さんがお義父さんから何も聞いていないのなら、そのことをはっきりさせるべきでは?」と耳打ちしておきました。寛子さんいわく「(義父に)300万円を出してもらった」と聞いたのは夫からです。直接、義父からは何も聞いていないそうです。もちろん、義父と夫との間でどのような会話があったのかは分かりません。夫に対して「いずれ返してもらうから」と言ったのなら、2人の間で借用の約束が交わされていたのかもしれませんが、寛子さんには関係のないことです。しかし、義父は「どうしても返さないのなら謝罪して許しを請うべきじゃないか」と食い下がったのです。
個人間の借金は契約から10年で時効になる
百歩譲って寛子さんが義父から300万円を「借りた」としましょう。「法律上、個人間の借金は契約から10年が経過すると時効により消滅しますよ(民法167条の1)」と筆者は寛子さんへ伝えました。寛子さんいわく借入の時期は自宅マンションを購入した10年前。そして10年間、義父が寛子さんに返済を求めることは一度もありませんでした。そのため、すでに時効期間が到来していると言っていいでしょう。そして『時効の援用』(もう時効なので請求しないでほしいという意思を伝える行為)によって義父の寛子さんに対する請求権は正式に消滅します(民法145条)。
そのことを踏まえた上で、寛子さんは心を鬼にして言い切ったのです。「お義父さんとはこの間まで身内でした。私もお義父さんと争いたくはないんです。もう手遅れなんですよ」と。それなのに義父は自分の立場を理解しようとせず、「借りた金を返さないなんて許されるわけがないだろ!」と声を荒げるばかりでしたが、寛子さんが時効を援用すると、義父は個人的な意見と法律の公式的な見解とどちらが優先するのを悟ったようでした。
しぶしぶ諦めた義父、義母は寛子さんへ今後一切、金銭を請求しないという書面に住所、名前を自筆し、拇印を押印させることに成功したのです。寛子さんはようやく胸をなでおろしたのですが、残念ながら悪夢には続きがありました。
夫が300万円を「贈与」に切り替えて請求
「父から聞いたよ。借りてない、もらったって言い張るなら僕のほうから請求させてもらうよ」
今度は夫から寛子さんへLINEが届いたのです。借用による請求が通用しないとわかるやいなや、今度は贈与に切り替えてきたのです。
夫婦が結婚期間中に築いた財産は共有です(民法762条の1)。そして夫婦が離婚するとき、お互いに共有財産を分け合わなければなりません(民法768条)。一方、夫婦の一方が自己の名で得た両親からの贈与や相続、独身時代の分は夫婦の共有ではなく、それぞれの特有財産です。(民法762条の2)。今回の場合、義父からの頭金は特有財産に当たるでしょう。
自宅購入の頭金は夫の特有財産だったのが、いつの間にか妻名義に切り替わってしまったので、その分を妻は返すべきというのが相手方の言い分です。夫は大義名分を「離婚の財産分与」に変更し、請求者を夫にすれば請求できると思っているようです。
もし、頭金の分だけ寛子さんが自宅の権利を持っているのなら話は別です。しかし、自宅の権利者は夫のみです。寛子さんは権利を持っていないので、頭金を寛子さんが受け取ったわけではありません。
夫は離婚時の契約で妻への請求権を放棄していた
ここで、離婚時に夫婦間で交わした「離婚給付契約書」の第5条(※前編を参照)に「甲乙は本件離婚につき相手方に対して本証書に記載した内容以外、何らの請求をしないことを相互に確約する」と入れておいたのが功を奏しました。この条文により、夫は寛子さんへの請求権を放棄したので、離婚後に請求するのは無理です。
寛子さんは夫へそのことを伝え、「私のことはすでに決着してますよね」とLINEを返したのですが、それ以降、夫そして義父母から音沙汰はなく、3か月が経過しました。ようやく寛子さんは頭金の悪夢から解放されたのです。
このように寛子さんは夫不在という点を除き、今までと何も変わらない生活を手に入れることができたのです。結局、一銭も払わずに離婚が実現したのは不幸中の幸いでした。
「今後の人生は娘と2人で頑張って生きていきます。コロナで外勤から内勤に変わり、まだ仕事に慣れませんが……今後も私のような人たちを救ってください。どうかお身体には気をつけて頑張ってください」
と言い残し、事務所を後にする寛子さんに筆者は、
「鍵だけは交換しておいてくださいね」
と送り出したのです。
露木幸彦(つゆき・ゆきひこ)
1980年12月24日生まれ。國學院大學法学部卒。行政書士、ファイナンシャルプランナー。金融機関の融資担当時代は住宅ローンのトップセールス。男の離婚に特化して、行政書士事務所を開業。開業から6年間で有料相談件数7000件、公式サイト「離婚サポートnet」の会員数は6300人を突破し、業界で最大規模に成長させる。新聞やウェブメディアで執筆多数。著書に『男の離婚ケイカク クソ嫁からは逃げたもん勝ち なる早で! ! ! ! ! 慰謝料・親権・養育費・財産分与・不倫・調停』(主婦と生活社)など。
公式サイト http://www.tuyuki-office.jp/