「撮影していたころを思い出すだけで、今でもテンションがバーッと上がってきますね」
中野英雄(56)の代表作といっても過言ではなく、当時、夢中になった人も多いであろう野島伸司脚本のドラマ『愛という名のもとに』(平均視聴率約25%、最終回32.6%)。1992年に放送されたこの作品で、中野は“チョロ”という愛称で親しまれる、証券会社勤務の青年を演じた。
朝から夜まで“吊るされ三昧”
主演の鈴木保奈美が、前年の月9ドラマ『東京ラブストーリー』で大ブレイク。次のフジテレビ系列放送の主演作となったこの作品は、大学のボート部でともに青春時代を過ごした7人が、社会に出てからそれぞれの事情でもがき苦しむ様を描いた衝撃作だ。
「当時はトレンディードラマがすごく流行(はや)っていた時代。唐沢(寿明)君が、映画だけでなくドラマにも出演するようになって、江口(洋介)君も、徐々にブレイクしてきたタイミングでした。とにかく、周囲からいろいろな期待がかかっていた一作だったんです」
この撮影をしていたころの中野は26歳。主要キャストらが若いだけでなく、関わるスタッフたちも、30歳以下の若手を中心に結成されていたという。
「同級生で作品づくりをしているようで、現場は和気あいあいと楽しかったですよ」
こう当時の様子を振り返り、いちばんの見せ場となった、チョロが自死を選択したシーンの裏側を語る。チョロこと倉田篤は、営業成績が最下位で上司からパワハラを受けており、フィリピンパブで出会ったホステスに入れ込む。ある日、彼女からカネを無心され会社の資金を横領し、それを指摘した上司に対する傷害事件を起こしてしまう。さらに、意中のホステスが他の男にも同じ手口を使っていたことを目撃したチョロは失意のなか、自ら首を吊って人生に幕を下ろすのであった。
「早朝から身体を吊るす器具をつけられて、その上からスーツを着て。一度脱いだら着るのがまた大変だからって、弁当も三脚の上で立ったまま食べていたんです(笑)。とにかく、朝から夜まで吊られっぱなし!
僕が死んでいる姿を仲間たちが発見するシーンは、まさに本番のみのワンカット勝負で。監督に“僕、どうしてこんなに待っているんでしょうか……?”と聞いたら、“今、お前を探し回っているシーンを撮影してる。お前はお前で心づもりがあるだろうから、準備しとけよ! 絶対に動くなよ!”なんて、相変わらず宙吊りのまま言われたりしてね」
「決してNGを出してはいけない!」というプレッシャーとの戦いは、聞いているだけでも過酷さが伝わってくる。ついに変わり果てた姿で仲間の前に現れたチョロは、男性メンバーの手によって縄を解かれ、地面にそっと横たわらされた。
「息を止めて寝ているのに、唐沢君が僕の胸をドンドン叩くんですよ。“起きろ、起きろ”ってね。“いや、待ってくれ! 気持ちはわかる! でも、僕は動いちゃいけないんだ。あと一発きたら、次はもう無理!”って、撮影中にものすごく必死でした。それがフラッシュバックしちゃって、あのシーンだけは今でも感動できないんですよね(笑)。
そのあとは、棺桶の中にいるシーンばかりだったし、目をつぶっているから外の様子はわからない。全身に菊をまとって、その臭いや睡魔と戦った思い出しかないかな(笑)」
正直に、ありのままに
あの頃から約30年が経った。「演技にのめり込んでいた日々だった」と当時を思い返すが、年齢を重ねるとともに心境には変化が。
「僕はいわば“下から出てきた人間”。もともと『劇男一世風靡』に入り、柳葉敏郎さんの付き人から始まって、脇役中の脇役なども経験してきました。その中で、主役の人の発言は聞くのに、下っ端の話には耳を貸さない監督もたくさん見てきた(笑)。でも僕は、間違っていないと思った意見は相手が誰であろうと、ちゃんと言います。いい作品づくりのためであれば。そして僕自身も、若い子の話をきちんと聞ける人間でありたい。
でなければ、俳優をやっている意味もないと思うんです。このやり方で干されたらそれまでだし、それくらい腹をくくっていないと、芸能界では戦えないですから」
実は中野、過去にカレー屋や古着屋の経営にも戦いの場を広げたことがある。
「役者として忙しいのは30代半ばまでで、そこからはわりと暇になりましたね。絞られました(笑)。なので新しいことも始めてみましたが、飲食系や路面店だと自分がずっと現場にはいられないので、どうしても人任せになってしまって。それはやっぱりダメだなと思ったから、すぐに辞めてしまいました。今は、ネット限定のアパレルショップに携わっています。僕が服やキャップのデザインを考えたりしていますよ。
最初こそ、全然売れなくて家族にも周りにもブーブー言われてましたけど(笑)。なんとか今は、少しずつ。商品が注目されるようになった大きなきっかけは、品川庄司の品川(祐)君がバラエティー番組で、僕があげたキャップを被ってくれたことかな……。最初は“僕、似合わないんですよ”って返されちゃったんだけど、“どこか行くときにでも被ってくれたらいいよ”って渡しておいたんです。最近では地元のスーパーでカップルが身につけてくれていたのを見て、感動しましたね」
取材日にも、自身が手掛けたブランドのファッションに身を包んで現場に現れ、「好きな服を着られることが楽しいんだ」と笑顔を見せた。
芸能生活35年。俳優であり、同じ世界で切磋琢磨する息子・仲野太賀を誰より応援する父としての顔も持つ。
「今後はもう、できるだけ正直に生きていたいかな。メンタルが強いほうではなかったから、若いころは気性も荒かった。荒くならずにはいられなかったんですよね。でもこれからは、なるべく嘘をつかずに、ありのままの自分でいたいです」
(取材・文/高橋もも子)
【PROFILE】
中野英雄(なかの・ひでお) ◎1964年12月生まれ。京都府出身。'85年、哀川翔から『劇男一世風靡』に勧誘されたことをきっかけに芸能活動を開始。'92年、ドラマ『愛という名のもとに』で“チョロ”と呼ばれる真面目な青年を演じて人気を博す。その後も映画『アウトレイジ』シリーズや『首領への道』などのVシネ、各種テレビドラマ、バラエティ番組などに出演し、現在も幅広く活躍中。