連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『エール』(NHK)が今週で最終回を迎えた。
本作は『栄冠は君に輝く』、『六甲おろし』、『船頭可愛や』、『長崎の鐘』、『イヨマンテの夜』といった数々の名曲を手掛けた作曲家・古関裕而と、その妻で歌手としても活躍した小関金子をモデルにした夫婦、夫の小山裕一(窪田正孝)と妻の音(二階堂ふみ)を主人公にしたドラマだ。
物語は紀元前一万年前の原始時代からはじまり、「音楽と人間の関わり」が語られ、小山が作曲した『オリンピック・マーチ』が流れる1964年の東京オリンピックの開会式直前の舞台裏が描かれる。そして、第二話から裕一の幼少期が語られるのだが、紀元前1万年前からはじまるという大胆な冒頭に象徴されるように、『エール』はさまざまな新しい挑戦に挑んだ意欲作だった。
挑戦的だった『エール』
まず何より、主人公が男性だということが大きいだろう。
もちろん2014年の『マッサン』を筆頭に、男性主人公の朝ドラは過去にも存在したが、ほとんどの朝ドラは女性が主人公だ。『エール』も音を中心に見れば、朝ドラの王道だが、夫の裕一が、今までの朝ドラ主人公にはいなかったタイプで、それが本作の独自性に繋がっていた。
裕一は老舗呉服屋の息子という裕福な生まれだが、吃音で人とのコミュニケーションが苦手だったため、幼少期はいじめられていた。しかし恩師との関わりによって音楽の才能が開花し、音楽家として社会に居場所を見つけていく。
内省的で人と関わることが苦手な裕一のような青年の成長物語は、朝ドラはもちろんのこと、日本のテレビドラマでも、あまり描かれなかったものである。
また、『エール』から朝ドラは、月〜土の週6回放送から月~金の週5回の放送に代わり、土曜は一週間の出来事を解説する総集編が放送された。
話数が削減されたことには長所と短所があった。長所は話数が短いがゆえに、映像に力が入っていたこと。朝ドラでは初の4K撮影となった『エール』はきめ細やかな映像で、レイアウト(画面構成)にも力が入っていた。その意味でも本作は演出主導のドラマだったと言えるだろう。
チーフ演出を務める吉田照幸は『サラリーマンNEO』や『となりのシムラ』といったNHKのコントバラエティー番組を手掛けており、朝ドラでは宮藤官九郎脚本の『あまちゃん』に参加している。
第一話のコメディテイストは吉田演出の最たるものだが、表現のバリエーションはとても豊かだ。映像の力が際立った映画的な回、亡くなったキャラクターが幽霊になって登場するコントバラエティー回、本作の影の主役と言える古関裕而の作曲した歌を聴かせることを優先したミュージカル色の強い回もあった。
朝ドラは、過密スケジュールゆえに後半になるほど大規模ロケができなくなり、凝った演出が減って、会話劇ばかりになっていくことが多い。
力のある脚本家なら、会話劇だけで話を面白くすることができるのだが、大半の朝ドラが終盤で物語が停滞してしまうのは、大抵、スケジュールの都合である。
しかし『エール』は話数を減らし、演出家主導の朝ドラだったため、今までとは違う映像表現を多数実現していた。
『エール』で感じたもどかしさ
一方、短所は構成のチグハグさ。これは脚本の問題だ。本作は当初、林宏司の単独脚本と発表されていた。しかし林は12月に降板を発表。『エール』でのクレジットは原作、原案となっており、各話の脚本はチーフ演出の吉田と清水友佳子、島田うれ葉の三人が担当した。
一週間ごとのクレジット表記はバラバラで、吉田と他の脚本家のWクレジットの回もあった。おそらく映画でいうと監督に近いポジションに吉田が立ち、ドラマ制作を進めていったのだろうが、メイン脚本家不在の影響は大きく、各キャラクターの物語が有機的につながっていかないもどかしさを最後まで感じた。
朝ドラの面白さは長い物語を複数のキャラクターの物語が同時展開する群像劇にある。脇でちらっと登場したキャラクターが後々、重要な存在になっていく面白さこそ朝ドラの魅力なのだが、『エール』はひとつひとつのエピソードやキャラクターは個性的で面白いのだが、それらの要素が「点」のまま、綺麗に繋がらないため、物語のグルーヴ感を生み出す「線」にならない。この欠点は最後まで埋まらなかった。
良くも悪くも脚本家の力が強いのが日本のテレビドラマで、その筆頭が朝ドラである。
だからこそ、演出主導で作られた『エール』は挑戦的な試みだったのだが、全体の構成に責任を持つ脚本家がいないと、ここまでバランスが悪くなってしまうのかと思い知らされた。
また脚本家降板のほかにも、さまざまなトラブルに見舞われた作品だった。
第1回からも明らかなように、本作は2020年の東京オリンピック開催に合わせて作られた企画だ。しかし新型コロナウィルスのパンデミックにより、オリンピックは来年に延期、また裕一の師匠的存在として大きな役割を果たす予定だった小山田耕三を演じた志村けんさんが、新型コロナウィルス感染に伴う肺炎の悪化で、3月29日に亡くなられてしまう。
その後、多くのドラマと同じように『エール』も撮影休止となり、第13週が終わった6月以降は、出演俳優が(役のまま)解説をおこなう副音声が収録された総集編が放送されるという異例の事態となった。放送が再開されたのは9月14日。話数も全130回から120回に短縮。今年、放送予定だったドラマは、多かれ少なかれ新型コロナウィルスの影響を受けているのだが『エール』ほど、影響を受けた作品は他になかったのではないかと思う。
だが一方で、コロナ禍の現在だからこそ骨身に染みる名場面も多かった。
コロナ禍だからこそ胸を熱くした『エール』
放送再開以降、大きくフィーチャーされるのが、日中戦争勃発したことで、じわじわと変わっていく戦時下の空気だ。
裕一が音楽家として成功していたため、小山家は比較的裕福な暮らしをしていたのだが、話数が進むにつれ、馴染みの喫茶店や仲間たちの仕事が少しずつ立ち行かなくなっていく。戦争が続き、日本全体が貧しくなっていく中、音は大日本帝国婦人会に参加することを要請され、世の中の空気はギスギスしたものへと変わっていった。
戦時下の物語は朝ドラで繰り返し描かれており、特に目新しいものではない。しかし『エール』で描かれた戦時下が既視感のある生々しい映像となっていたのは、不要不急の外出の自粛が要請されるコロナ禍の空気と大きく重なる場面が多かったからだろう。
また、今までの朝ドラヒロインの多くは戦争を批判する被害者として描かれてきたが、裕一は、戦意高揚の歌を手掛けた音楽家という“間接的な加害者”として描かれていた。
裕一はお国のために戦う兵隊のためにと、軍の仕事を次々と引き受けていたが、次第に音たち仲間と気持ちがすれ違っていく。そして、慰問で向かったビルマで銃撃戦に巻き込まれ恩師を亡くしたことで、戦争の現実を思い知らされる。裕一は自分の犯した罪に直面し、しばらくの間、曲がかけなくなってしまう。
日中戦争勃発から終戦までを描いた15~18週と、戦争で心に傷を負った裕一たちが音楽と関わることで再生していく姿を追った19~20週は、珠玉の仕上がりだったと言えるだろう。
長所と短所がはっきりとあらわれた朝ドラだったが「加害者視点で戦時下の日本を描いたこと」に関しては見事だったと言える。おそらく、それこそが男性主人公の朝ドラを撮ったことの最大の意義ではないかと思う。