「11月13日に眞子さまが“お気持ち文書”を出された3日後、“今後は返金を求めません”といった趣旨のメールが届きました。文書を読んで、眞子さまと小室圭さんの“障害”になりたくないと、決心したのだと思います」
そう話すのは、小室さんの母親・佳代さんの元婚約者で、400万円超の金銭トラブルを抱えていた竹田さん(仮名)の代理人男性。
「昨年7月に小室さん側の代理人弁護士と初めて面会し、その後、私は10数回お会いしました。
竹田さんが求める“貸した全額の返済”と“佳代さんと直接話したい”という2つの希望を伝えましたが、毎回、反論されるだけで進展はまったくありませんでした。
結局、昨年末には竹田さんから“もう返金請求はしないので、交渉を終わらせたい”という意向を受けており、こちらから終止符を打つことになったのです」(同・前)
11月30日発売の『週刊現代』にも、竹田さんが「もうお金はいりません」という“声明”記事が掲載された。
一向に進展しない話し合いの中で、70歳を越える竹田さんの体力と精神は限界に達して“泣き寝入り”する形に。
誠意ある態度とは言えなかったという小室さんサイドへの思いを聞くため、12月初旬の早朝、出勤時の竹田さんに話しかけると、
「代理人に任せてあります」
と、普段の柔らかい雰囲気とは違い、険しい表情でうつむきながら最寄り駅まで淡々と歩き、記者からの問いかけに答えることはなかった。
問題の本質に触れていない
象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院の准教授・河西秀哉さんは、今回の元婚約者の“白旗宣言”と、先日公表された眞子さまの文書について、次のような見解を示す。
「小室佳代さんの元婚約者が“返金を求めない”と宣言されましたが、これは秋篠宮さまが求められている決着ではありません。
お金の問題を解決すればいいのではなく、かなりこじれてしまったことが問題であり、納得していない多くの国民に対して説明することを求められています。
眞子さまが出された文書には強烈な表現も使われていましたが、金銭トラブルに関しての説明はいっさいなく、問題の本質にあえて触れていないように感じます」
今後、おふたりが会見などを開くことが必要になるとの見方があるが、ある宮内庁関係者は驚くべき話を口にする。
「実は、秋篠宮さまが最近“小室家が婚約を辞退する可能性もある”と、周囲に漏らしているようなのです。
小室さんの最大の目標は、国際弁護士の資格取得。実際、殿下が求める課題をクリアするための行動をとっておらず、婚約の優先順位が低くなっているように思えます。
これだけ国民から批判される縁談となってしまい、小室さんとしては“せめて国際弁護士になる夢を叶えなくては……”と考えてもおかしくありません」(宮内庁関係者)
日本で矢面に立たされている眞子さまをよそに、自分の目標へと一心不乱に見える小室さん。彼はこれまでもずっと“夢追い人”だった──。
一生懸命に仕事する雰囲気ではなかった
「圭くんは3歳から小学5年生まで地元のバイオリン教室に週1で通い、自宅でも日々練習を重ねていました。
『国立音楽大学附属小学校』に入学して“音楽家”を目指したそうですが、途中で限界を感じたのか、中学からは『カナディアン・インターナショナルスクール』へ。
最初は英語に苦戦したと聞きましたが、中高6年間でしっかりと勉強して身につけたそうです」(佳代さんの知人)
中学生のころには、音楽とは別ジャンルの挑戦を始めた。
「中学生くらいのとき、週1ペースで絵画教室に通っていたんです。圭くんは昔から絵を描くことが好きで“画家への憧れ”を抱いていたのでは。
お母さまは常日ごろから“息子にはいい就職先を見つけてほしい”と話しており、中高のインターやICU(国際基督教大学)に圭くんが進学したのも、佳代さんの意向でした」(同・前)
'10年9月にICUへと入学する直前、小室さんは『湘南 江の島 海の王子』に選ばれ、1年間にわたって藤沢市のPR活動に携わっていた。
「応募のきっかけは“アナウンサーになりたかったから”で、実際に大学2年の10月からはアナウンススクールに3か月間、入校しています。
『海の王子』時代は、藤沢市内のイベントを盛り上げたりしていましたよ。
“将来はグローバルに活躍したい”としきりに熱弁していましたが、具体的に何をやりたいのかはよくわかりませんでした」(小室さんの知人)
ICUを卒業後、グローバルに活躍したいという言葉を胸に抱きつつ『三菱東京UFJ銀行(当時)』に入行し、丸の内支社の法人営業部に勤務。
「正直、彼は一生懸命に仕事する雰囲気ではなく、デスクにいても上の空でした。
トイレで会っても視線を合わさず、こちらから話しかけても無視されて、嫌われていると思っていましたが、私だけでなく、ほかの人に対しても同じような対応だったそうです。いつもぼーっとしていたのは“ここは自分の居場所ではない”と思っていたのかな」(銀行員時代の元同僚)
案の定、約2年半で銀行を去った小室さんは昼に『奥野総合法律事務所』でパラリーガルとして勤務しながら、夜は『一橋大学大学院』で経営法務を学び始める。
いろいろな夢を追いかけては諦めてきた
'18年2月に眞子さまとの婚約が延期された後も、新たな夢を諦めることはなかった。
「'18年3月に大学院が修了し、その8月にはニューヨーク州の弁護士資格を取得するため、3年間のアメリカ留学へ旅立ちました。国際弁護士が最終的に導き出した“答え”なのでしょう。
ただ、結婚問題に関しては、金銭トラブルへの見解を述べた文書を1枚出しただけであとは眞子さまに任せきり。殿下が以前から求められている条件をクリアしようという気持ちが感じられないままです」(皇室ジャーナリスト)
そんな小室さんに対し、助言できる人物は誰もいないのだろうか……。
小室さんの父親は'02年に不幸な死を遂げているが、神奈川県に住む小室さんにとっての叔父に話を聞こうと自宅を訪れると、妻と思しき女性が対応してくれた。しかし、
「(小室家とは)まったく交流がないので……。すみませんが、何もお答えすることはありません。穏やかに暮らしたいので、もう2度と来ないでください」
と取材を拒否。小室家は親戚付き合いも希薄な様子だ。
「彼は関係者に“一時帰国する”という旨を伝えているそうで“結婚を辞退するのではないか”という話が浮上しているといいます。
“結婚は必要な選択”だと眞子さまは述べられていますが、結婚に執着しているのは、もはやおひとりだけなのかもしれません」(秋篠宮家関係者)
音楽家、画家、アナウンサー、銀行マン、国際弁護士……。いろいろな夢を追いかけては諦めてきた小室さん。
眞子さまを絶句させてしまう“その日”は訪れてしまうのだろうか──。