警察に届けても、ささいなこととみなされ、捜査がほとんどされない“微罪”に苦しむ女性たちは多い。加害者たちは罰を受けないことをいいことに犯行を繰り返している。
「こちらは被害に遭って怖い思いをしているのに……憤りしかありません」
そう語るのは会社員の岩井優子さん(30代、仮名)だ。今から2か月前、都内マンションでひとり暮らしをしている岩井さんに、思いも寄らない出来事が起こった。
「その日も残業を終えて、深夜12時ごろに帰宅しました。お気に入りの韓流ドラマを見てくつろいでいたら、玄関からガチャガチャと大きな音がするんです」
CASE1 深夜のドアノブガチャガチャ男の恐怖
ドアノブは上下に激しく揺れていた。外から何者かが扉をドンドンと叩き、こじ開けようとしているではないか。
「のぞき穴を見ても暗がりで一体、誰なのかわからない。何が起こっているのかパニックでした」
あまりの動揺で110番すらできなかった、と岩井さんは振り返る。
「親しい女友達に電話をかけて、“警察ってどうやって呼ぶんだっけ?”と聞いてしまうほど。その間も扉はガチャガチャと動かされ続けていて、自衛のために包丁まで手にしていました……」
強盗か? レイプ魔か? それとも─。玄関ドアから響く激しい金属音が、岩井さんの恐怖心を煽り続けた。
「通報後は、5分とかからず3人の警察官が駆けつけてくれました。おそるおそる扉を開けると、見知らぬ男がうなだれるように座っていました。すぐに警察官に連行されていきましたが、かなり酔っ払っていたのだと思います……」
後日、岩井さんが警察から聞いた話では、「男は上の階の住人でした。酔って自宅と間違えたようで警察からは“本人も反省している”と伝えられましたが、本人から直接の謝罪の言葉すらありません」
警察は「事件性はない」と判断した。
「その日以来、深夜にひとり自宅にいるのが怖くてしかたないんです。ひょっとしたらストーカーだったんじゃないか、など悪い考えも襲ってきて眠れなくなりました」
一時は睡眠導入剤を処方してもらっていた岩井さんは、いまだショックから立ち直れていない。
岩井さんのケースは「微罪」や「軽犯罪」と呼ばれるものだ。ほかにも駅構内で女性ばかりを狙い次々と体当たりしていく「ぶつかり男」や公衆トイレなどでの盗撮などが社会問題化している。
殺人事件などの凶悪事件とは違い、命に別状はないし、お金を盗まれているわけでもない。しかし被害者は心に深い傷を負ったまま、日常生活を送ることを余儀なくされる。
一方で、加害者はそんな痛みを知ることはなく、何食わぬ顔で日々を送る。
CASE2 夜道に出没するサラリーマン風声かけ男
都内在住の看護師、藤木春香さん(40代、仮名)は「今も夜道を歩くのは、苦手です」と打ち明ける。2か月前、帰宅途中の午後10時ごろ、自宅近くで変質者による声がけの被害に遭ったのだ。
「私が住んでいるのは昔ながらの住宅地。夜は人通りが少ないものの、治安はよいと言われているのですが……」
そんな藤木さんに突然、声をかけてきたのは、サラリーマン風の中年男性だった。
「『僕のニオイ、かいでみない?』って言うんです。今でもその男のニヤニヤした顔が忘れられません」
自宅近くということもあり、後をつけられることを恐れた藤木さんは、男をまくように遠回りをしたが……。
「後ろにいたはずの男性が目の前から歩いてきたんです。私の通り道を予測して、先回りしたんでしょうね」
あまりの恐怖に藤木さんはすぐに交番に駆け込んだ。
「その日は、警察官が5人がかりで送ってくれました。被害届も出しましたし、警察もパトロールを強化すると言ってくれました」
しかし、男性の正体はいまだにわからずじまい。
「変なことを言われただけ、と思われるかもしれませんが、実際にそんな目に遭ったら恐怖ですよ。警察に毎日、自宅まで送ってもらえるわけではないし、いますぐにでも逮捕してもらいたいですね」
CASE3 犯行を繰り返すコインランドリーの下着泥棒
「5年前、当時住んでいたアパート近くのコインランドリーで下着泥棒に遭いました」
そう被害を訴えるのは、沖縄県に住む会社員の金城真由美さん(30代、仮名)。
「梅雨の時季で洗濯物がなかなか乾かなくて。週末には下着からタオルまで、コインランドリーでまとめて洗濯していたんです」
洗濯から乾燥まで終わるのに小1時間は要する。
「ほかの家事もあったのでいったんアパートに帰り、乾燥が終わるタイミングで戻ったのですが、明らかに洗濯物の量が減っていて……」
乾燥機の中を見ると、Tシャツやバスタオル類はそのままに、金城さんの下着だけが姿を消していた。
「やられた、と思いましたね。警察に届けようと思い、実家の親にも電話で相談しました。しかし開口一番、“目を離したお前が悪い。逆恨みが怖いから、被害届を出すのは、やめておけ”と強く言われ、断念しました」
コインランドリーには防犯カメラはついておらず、目撃者もいないという。
「日がたつにつれて、“ひょっとしたら狙われていたのかも”とか“家がバレていないか”と考えると2度とコインランドリーに足を運べなくなりました。知人から聞いた話では、似たような被害が近所で続いており、犯人はいまだ捕まっていないようです」
以来、金城さんは洗濯物はもっぱら室内で乾かしているという。
警察は常に人手不足……捜査できない事情も
こうした微罪を犯す加害者は、なぜ逮捕されないのか。元刑事の沼沢忠吉さんは次のように語る。
「人気刑事ドラマでは、『事件に大きいも小さいもない』という台詞もありましたが、やはり事件によって優先度合いは変わってきます。殺人など大きい事件にかかりきりになると、被害が小さい事件が後回しになってしまうのは現実です」
過去には沼沢さん自身も微罪の事件を担当し、下着泥棒を逮捕したこともある。
「軽犯罪における捜査が難航する背景には、主に2つの要因があります。ひとつは証拠の少なさです。本来、逮捕状は、さまざまな証拠に基づき、裁判所が強制捜査の必要を認めれば発布されます。そして、この逮捕状があれば、犯人の逮捕が可能になりますが、微罪ではそこに行き着くまで証拠を得られないことも多いのが現実です」
防犯カメラに犯人が映っていても捕まえることはできないのか?
「映像では名前や住まいはわかりません。また実際の捜査では、過去の映像の解析や聞き込みを行うなど膨大な時間と人手を要します。指紋の鑑識も、そもそも加害者の指紋自体が残っていない、なんてことも多いんです」
またもうひとつの原因は、警察の人手不足の問題だ。沼沢さんがいた茨城県では警察官1人当たり600人以上もの市民をカバーしなくてはならないというデータもある。
「現場では常に人手不足なのが警察の現状です。僕も現役のころは、1か月の残業時間が360時間を超えたこともありますね。微罪の捜査が難航するのは、警察の怠慢や言い訳だけでないことも知ってもらいたいです」
続いては、加害者を罰する難しさを法律的な側面からも見てみよう。杉浦ひとみ弁護士は、次のように解説する。
「前出の事例ならドアノブガチャガチャは住居侵入(未遂)、下着泥棒は窃盗罪です。しかし、被害者が相談をして警察が発動できるのは、『法で決められている行為』と限られているんです。犯罪になる行為、それを犯したときに科せられる刑罰は、あらかじめ法律で定めておかなければならない、という考え方があります」
これは罪刑法定主義と呼ばれるものだ。
「かつて中世の社会などでは、国王が国民を根拠なしに勝手に処罰することができました。つまり“あの人が怪しい”“襲われるかもしれないから不安”という理由だけでは、国家権力が証拠もなしに逮捕や処罰ができない、というわけです。被害に遭うのはつらいことですが、被害感情だけでは加害者は罰せない。その反面、この考えがあるからこそ、私たち市民の自由や権利も守られているのです」
事実関係をまとめて、相談の際に証拠提出
では万が一、私たちが被害に遭った場合、どのように救いを求めればいいのか?
前出の沼沢さんいわく、
「警察に電話で相談してみたいという場合は、生活安全総務課に相談をしてみてください。相談の際は証拠を集めることも大事ですね。例えば、被害者のスマホに残された加害者からのメールや電話の履歴も立派な証拠になります」
抱きつきやぶつかりなど、物的証拠がない場合でも何時何分に何が起きたか、言われたのか、事実関係を書面にまとめるのもアリだという。
「ただ、“警察なら黙って捜査してくれて当たり前でしょ”と横柄な態度を取られたら、ヤル気をなくしてしまう。過度な権利意識をふりかざすのは控えたほうがいいですね」
前出の杉浦弁護士は、次のようなアドバイスをくれた。
「“嫌な思いをしている”と訴えるだけでは警察も動けません。可能なら、自分で法や条例を下調べして見当をつけたうえで相談してもよいでしょう。法的な根拠を被害者みずからが示すことで、警察の発動を促せるかもしれません」
今はネットで、軽犯罪法や各自治体の迷惑防止条例の内容を気軽に見ることができるので、頭の片隅に入れておいてもよさそう。
「また被害者が泣き寝入りしないためには、民事で訴えることも可能です。民法の定める不法行為として損害賠償請求をすることができます。
なかには“お金を請求するのは卑しい”と思う人もいるかもしれませんが、怖い思いが消えることはないわけで……。法律は金銭に換算して救済する方法しか認めていないのです」
心に受けた傷を回復させるためには、「全国には、警察や自治体によるワンストップの被害者相談センターが設置されています。内容によっては、専門の機関なども紹介してくれますよ」(杉浦弁護士)
自尊感情満たすために加害を繰り返す男
問題行動を繰り返している加害者たちもいる。痴漢や盗撮など性犯罪者の再犯防止プログラムを日本で先駆的に実践している精神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳さんはその加害者心理を次のように分析する。
「微罪を犯す人たちの問題行動はストレスへの対処行動のひとつ。クレームを言わなさそうな人や自分より弱い立場の人を選んで、相手を傷つけることで自尊感情を満たし、さらに支配したいと考えています。また下着の常習窃盗などは“盗むことで女性とのつながりを感じられる”という『歪んだ承認欲求』もその背景に見受けられます」
彼らにとっては、ストレスへの対処行動は手ごろであることもポイントなのだとか。
「日常の中ですぐできるからこそ繰り返す。そのたびに対象行為へのハードルが下がる。これも微罪の特徴ですね」
実際に加害者が更生することはあるのか?
「刑事事件になってはじめて加害者は治療につながります。そこでは罪悪感というよりも、仕事や家庭、社会的な信用や世間体を失いたくないという思いが先行していますね。私が勤めている榎本クリニックでは、痴漢をはじめ盗撮や下着窃盗などの常習者を性依存症とみなし、再犯防止プログラムを行っています。治療には時間もかかりますが、3年以上通院している長期継続者では再犯した人は非常に少ないです」
被害女性は“私がそんな格好していたから”“夜道を歩いていたから”など自責してしまうこともある。これについて斉藤さんは、「この考えの背景には、『女性だったらこうあるべきだ』という男尊女卑社会の刷り込みも大きい」と指摘する。
被害者にとって理不尽きわまりない微罪は、警察に届け出ることも、加害者の更生もその道のりが険しい。
しかし、その現実に絶望せず、知恵を備えることこそが、私たちの最大の武器と自衛策になるのだ。
・精神保健福祉士・社会福祉士 斉藤章佳さん
榎本クリニックにソーシャルワーカーとして長年勤務、さまざまな依存症問題に携わる。著書『男が痴漢になる理由』『小児性愛という病』『セックス依存症』など多数
・探偵・元刑事 沼沢忠吉さん
茨城県警で約20年、事件を担当。現在はDVやイジメ問題などに特化した探偵事務所「寄す処探偵社」と芸術家の活動支援施設「Art Space 寄す処」を運営弁護士
・杉浦ひとみさん
東京アドヴォカシー法律事務所。弁護士として子ども、障害者、犯罪被害者、女性など社会的弱者の人権分野に重きを置いた訴訟も多く手がけている
取材・文/アケミン