野球人だけでなく、多くの一般人にも響く名言・金言、そしてインタビューでの“ボヤキ”で人気を博した元プロ野球選手・監督の野村克也さん。彼が虚血性心不全によって亡くなったのは、2020年2月のこと。84歳だった。
「亡くなる直前まで元気な様子でしたけど、まぁ年相応というか、みなさんのおじいちゃんたちと同じ感じだったと思います」
そう話すのは、克也さんの長男である克則氏の妻・有紀子さん。
「コロナが流行するちょっと前だったので、関係者の方々みなさん挨拶に来てくださって。葬儀もできましたけど、その後の偲ぶ会とかはできていなくて……」
彼が亡くなる2年前のこと。愛妻であり、また“恐妻”としても知られ、夫とともに人気者だった沙知代さんが亡くなった。
「家族みんな、まだ父が亡くなったことに実感がなくて。最近も義母の三回忌がありましたけど、やっぱり実感がなくて。いまだにみんな、本当に亡くなったのかなって思っていますね」(有紀子さん)
野村家の正月に欠かせない寿司店
野村家の正月は、いつも東京・市谷にある寿司店『鮨太鼓』におせちをお願いしていたという。
「私たちスタッフからは“大パパ”なんて呼ばせていただいていました。冗談も好きで、うちの板長が少年野球の監督を務めていたときには、“監督、うちのチームの調子が悪くてなぁ、いろいろ教えてくれよ~”なんて、お得意の“ボヤキ”の冗談も言ってくれましたね」
笑顔で話すのは、『鮨太鼓』の若女将である白石麻美さん。
「沙知代さんや野球界のお仲間が亡くなっていくなかで、寂しい気持ちが強かったみたいで、“次は俺かなぁ”なんて口にしていたこともありました。そんなときは私のほうから“まだこれからも大パパの楽しい話聞かせてよ”なんて檄を飛ばしたこともありましたね」(白石さん、以下同)
野村さんが遺した“人のつながり”
お店の壁には、克也さんのユニフォームが飾られている。
「(彼が)最後に袖を通したユニフォームです。貴重なものなので額縁に入れて飾ったら、“額縁のほうが俺のユニフォームより高いんじゃないか”なんて笑ってました。亡くなってからも、ご家族がぜひここに飾ってあげてくださいと言ってくださったので、そのままにしています」
名将は、生前に数多くの言葉を残した。そのなかに「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上」というものがある。
これは、“財産を遺すのは三流、仕事を遺すのは二流、立派な人を遺すものこそが一流である”という意味だ。
「うちもコロナ禍でかなり影響を受けていますけど、監督の話を聞いて通い始めてくれたお客さんがいたり、地方から足を運んでくれる方がいたり、お酒屋さんとのつながりもできたりと、本当に監督が遺してくださった“人のつながり”に支えられています」
愛弟子として知られる元プロ野球選手の古田敦也氏など、数多くの名選手を育てた克也さん。彼は球界だけでなく生前、愛したお店にも形なき“宝物”を遺していた。