現在、全国に100万人いると推測されるひきこもり。近年、中高年層が増加しており、内閣府は昨年初めて、40歳以上が対象の調査結果を公表した。一般的には負のイメージがあるひきこもり。その素顔が知りたくて、当事者とゆっくり話してみたら……。(ノンフィクションライター・亀山早苗)

※写真はイメージです

番外編・ひきこもり親子対論

 ひきこもり当事者である“ぼそっと池井多さん”(58)は、『ひ老会』など高齢化したひきこもりの当事者会を主宰するほか、『ひきこもり親子公開対論』を開催している。ひきこもりの子をもつ親と、別の家庭のひきこもり当事者がそれぞれの主張を述べ合う会だ。

「本当の親子では対話はなかなかできない。まずは、ほかの親子で対論を経験すると、見えてくることがあるのではないか」

 そう考えて会を企画した。そこには20年あまり親と音信不通状態のぼそっとさんの思いがこめられている。彼はほかの親との対論から、聞くことのできない自分の親の声を聞き取ろうとしているのだ。

 第8回の『ひきこもり親子公開対論』は、かつて強迫性障害に悩まされたぼそっとさん自身と、同じ病の息子をもつ母である平田良子さん(59)が登壇した。

 2019年6月、本連載に登場してくれたぼそっとさん(記事はこちら)は、母親からの虐待に苦しめられながら育った。

 一方の平田さんには29歳になる息子がいる。「よかれと思って息子のためにしたこと」が息子を苦しめていたのだと今になってわかったという。そんなふたりの対論とは──。

母親からの虐待が原因でチック症に

ぼそっと池井多(以下、ぼそっと) 私は5歳のころからチック症に悩まされたんです。それもあとから思えば母親からの虐待が原因でした。

平田 うちの息子も4歳から小学校高学年までチック症でした。ぼそっとさんはどういう虐待を受けていたんですか。

ぼそっと 代表的な「スパゲティの惨劇」というストーリーは、母の虐待を象徴化したものです。母は「夕食に何が食べたい?」と聞くんですが、私は食べたいものを自由に答えられるような育てられ方をしていないから黙り込んでしまう。すると「スパゲティが食べたいわよね」と母があらかじめ用意した腹案に同意させられる。特に食べたいわけでもないスパゲティを前に母への恐怖もあって、さっさと食べることができない。すると母はキレ、台所のシンクにスパゲティの皿を叩きつける。そこへ父が帰ってくる。

「この子がスパゲティを食べたいというから一生懸命作ったのに、“こんなもの食えるか”って捨てたの」

 母はそう父に訴え、4歳だった私の“有罪”が確定する。「怒ってやって」と母に“命令”された父は、ズボンのベルトを手に、私を鞭(むち)打つわけです。屈辱に耐えるしかありませんでした。こういったことが繰り返されたわけです。

「死んでやるからね」という母からの脅迫

平田 ご両親の力関係はどういう感じだったんですか。

ぼそっと 父は母には逆らえなかったですね。

平田 うちは夫婦関係では私のほうが強いんだけど、夫は息子には厳しかった。夫は努力して勝ち得てきたと実感している人なので、公園でサッカーをやっても、「どうしてできないんだ」と怒りだす。息子はよく泣いていました。

ぼそっと 私は中学受験に向けた準備の時期に地獄が始まり、強迫症状が拡大しました。母の切り札は、「お母さまの言うことを聞かないと死んでやるからね」という脅迫の言葉。殺してやると言われれば、逃げる選択肢がある。でも「死んでやる」と言われると、こちらは何もできない。コントロール不能な抑圧をかけられて葛藤がたまっていったと思います。

平田 息子は小学校1年生の2学期に転校して、転校先でいじめられました。それが好転したのは5年生のとき。ようやく友達とも関われるようになったんです。高校は進学校へ行ったものの、勉強では早々に落ちこぼれた。赤点だ、追試だと学校から連絡が来るわけですよ。それで親子でケンカが絶えなかった。

ぼそっと ケンカができるのは少し羨ましいような気がしますけどね。私は脅迫による絶対服従でケンカすらできなかったから。

平田 でもケンカはどんどん激しくなって。高校2年のとき、口論の末に息子が発泡スチロールの箱を蹴ったんです。それで私が壊れてしまった。包丁を持って、「おまえを殺して私も死ぬ」と叫んで。彼はそれでひどく傷ついたみたい。

 息子の頭突きで鼻を骨折したこともあります。夜中に病院で治療してもらって。帰宅して寝ていたら息子が枕元で泣いていました。お互いに爆発しては穏やかになる。その繰り返しでした。

よその子は褒めて息子は褒めない

ぼそっと そこに至るまでに、彼の中ではいろいろな思いがあったんでしょうね。平田さんはご自宅でピアノを教えてらしたんですよね。

平田 ええ。

ぼそっと 私の母は家で英語を教えていたんです。私はいつも、ほかの生徒の引き立て役として扱われました。

平田 そういう面はあったかもしれません。息子もピアノをやっていましたけど、「よその子は褒めるのに僕のことは褒めない」と言われたことがあります。欲が出ちゃうんですよ、息子には。もっとできるはず、もっと伸びるはずだと。他人の子は冷静に見られるのに。

ぼそっと 母がかねてから入れたがっていた大学に合格した夜、母は「よくやった」も「ありがとう」もなく、ただ「明日から英語を勉強しなさい」と言ったんです。絶望的な気分になりました。マラソン選手がゴールしたら、すぐ次のマラソンに出ろと言われたようなもの。どんなにがんばっても報酬がない。

 ただ、もし母がこの場にいたら、自分が強要してきた事実はすべてなかったことにして「息子は自分の意見を言い、やりたいことを選択してきた」と言うと思います。でも実際は、私が“母は何を望んでいるか”をいつも読んでいた。本当の希望を言ったら、母がまた「死んでやる」と言い始めるのがわかっていたから。

強迫症状が悪化し、無理やり入院させたが

平田 うちの息子はぼそっとさんより荒れていましたね。大学受験に失敗して予備校に通い始めたんですが、9月から様子がおかしくなった。ある日、「予備校の帰りにホームレスの人とすれ違ったから」と帰宅後、粘着テープで身体をコロコロしていたんです。日がたつにつれ、そのコロコロの時間が長くなっていく。見ている私もイライラが募っていって……。

ぼそっと それも強迫症状のひとつだったんでしょう、私も経験があります。

平田 2か月後に、今度は手洗いが始まりました。夕飯を食べたいから椅子に座るけど、手を洗わないと気がすまない。戻ってきて箸を持つとまた手を洗いに行く。自分の部屋は神聖な場所なのに自分は汚染されているから部屋に入れないと、リビングで寝る。

 無理やり病院に連れて行って入院させました。ところが病院の中では強迫症状が出ず、1か月足らずで退院。帰宅後は症状が悪化、昼夜逆転し、和室の壁によりかかってひざをかかえて何かに怯えている。薬をやめるといらつきがひどくなる。悪循環でしたね。手は血だらけになるくらい洗っているのに、お風呂には入れない。真夏の暑いときにお風呂に入らないから彼が寝ているリビングの床には、身体の跡が残っているんです。

ぼそっと 私は抑圧が大きくて反抗することさえ知らなかったのかもしれません。唯一、親に逆らったのが有名企業に決まっていた内定を断ったこと。大学を卒業するときになって、ようやく「このままだと一生、母の敷いたレールの上を歩く人生になる。それどころかこんな立派な大人になれましたと虐待してきた母に感謝しなければならなくなる」と思ったからです。そのころはすでに身体が重くて布団から出られない「がちこもり」でしたね。

殺すか殺されるかという状態に

平田 うちはその後、病院からの提案で、息子だけ近くのウイークリーマンションで生活し始めました。すぐに友達と映画を見に行ったので、功を奏したかと思っていたら映画を見ている途中で急に不安にかられたと帰ってきた。部屋にこもる彼に、私が食事を運びました。しばらくして自宅に戻って通院するようになりましたが、数か月すると動けなくなる。10か月ひきこもっていたかと思うと、急にカウンセリングを受けたりもする。エネルギーがピタリとなくなる感じなんです。

 手洗いが落ち着くと、怒りの感情が増大して暴力がひどくなりました。私が肋骨を骨折したこともあります。あるとき、夕飯を作ってからピアノのレッスンをして戻ってきたら、おかずが減っていた。軽く、「またつまみ食いしたでしょ」と言ったら、「なんでいつもオレだと思うんだ」とキレて。リビングのテーブルを投げて、私も投げられて床に頭を打ちつけて。負けるものかと応戦したんですが、壁の角に頭をぶつけそうになって、これはまずいと110番しました。殺すか殺されるかという状態でしたね。ふたりで運ばれた病院のスタッフから「自分の命を大切にしてください」と言われたとき、彼は「僕は死にません。殺してやりたいやつがひとりいるけど」と私を見た。そんなに恨まれているのかとびっくりしました。私はすべてよかれと思って、息子のためにいろいろしてきたのに……。

ぼそっと 私の母もそう言うと思いますよ。息子のためによかれと思ってやったって。でも私の場合に限っては、「嘘つくな、すべて自分の虚栄心を満たすためだろう」と言いたい。

平田 家族カウンセリングを受けたとき、息子が私を『毒親』と言ったんです。初めての子だからわからないなりに必死に育てたのに、彼にはすべてがプレッシャーであり負荷だったと初めて気づきました。それで「私の育て方が間違っていた、悪かった」と謝ったんです。でも時間は戻らない。「これからいい方向にいけるよう一緒にがんばっていこう」と言ったんですが、彼は「一生許さない。一生オレのめんどうをみろよ、親なんだから」と。

 息子は今、アパートでカウンセラーや支援センターの人に支えられながら生活しています。

今はただ、笑いあえたらいいな

ぼそっと 私も両親にとって初めての子なんです。最初の子というのは、よくも悪くも親の未熟さにさらされるものかもしれませんね。私は心理学や精神分析を学んで、自己分析を重ねました。その結果、自分がひきこもるのはやはり親に原因があるとわかったので、家族会議を開こうと父親に手紙を書いた。ところが実家に戻ってみると、母親は自分に非はない、虐待などあるわけがないと完全に私の言うことを否認しました。父も弟も母に従って耳を貸さない。あげく「2度とわれわれ家族に近寄るな」と弟から電話がかかってきて、私は追放され、もう20年以上、没交渉です。

平田 それはつらかったですね。私も今はなるべく息子と直接会わないようにしています。距離を置いたほうがお互いに冷静でいられるから。ただ、今年、息子の誕生日に心をこめてカードと現金を送ったんです。でも送り返されてきました。今さらこんなことをしてと思っているんでしょうね。私は関係をやり直すには遅くないと思っているけど、息子は違う。そこをどう埋めていけばいいのか……。

ぼそっと タイミングも大事なのでしょうね。今、私は親との対話を望んでいますが、若いころはどうせ言いくるめられるから、と逃げていた。

平田 以前は息子の同級生と比べて落ち込んでいました。ただ、『親の会』に入って勉強するうち、世間を気にするのはやめようと思えたんです。仕事をしなくても家庭がなくても、息子なりにがんばっている。それでいいかな、と。

ぼそっと 息子さんも他人と自分を比べて落ち込んでいると思いますよ。私がいまだにそうですから。

平田 息子は結局、せっかく入った大学も中退しました。オレの時間を返せと言われて切ない思いもしたけど、今はただ、笑いあえたらいいな、と。望むことはそれだけです。

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 親は親なりに愛情をかけて育てた。だがそれは、子が欲しがっている愛情ではなかった。心配だから干渉する。子からすると支配としか思えない。そんな親子関係は多いのではないかと思う。その歪みがずっと続き、子が精神を病んでいくところまでいくのか、いつしか適切な距離をとってお互いをあきらめるかのように落ち着いていくのか。その違いはどこにあるのだろう。ぼそっとさんも平田さんも今も苦しんでいるのだ。どちらも悪くないのに……。それが親子関係のむずかしいところなのかもしれない。


かめやま・さなえ 1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆