12月14日に「GoToトラベル」の全国一斉停止の発表を行った夜、菅義偉首相が東京・銀座の高級ステーキ店を訪れていたことをフジテレビの『FNNプライムオンライン』が報じた。
「会に出席したのは菅首相の他、GoToの“旗揚げ役”ともされる二階俊博幹事長ら自民党幹部数名、王貞治氏に杉良太郎さん、みのもんたや政治評論家の森田実氏ら8人ほど。杉は取材に対して“野球の話をしただけの忘年会”とはっきりと答えています。この時期に不要不急の会合と言われても致し方ない」(全国紙記者)
政府はかねてより、国民に対して「5人以上の会食を避けるように」との要請を再三にわたって繰り返してきた。この14日も、都内の新規感染者数が火曜日としては最多の460人を数えるなど、新型コロナ感染拡大の“第3波”とされる現状に、予定していた忘年会を泣く泣く取りやめた国民も多いことだろう。
そんな中での、国を主導する自民党の最高幹部らによる“忘年会”が開催されたのだ。しかも、彼らが訪れたのはディナーコースが3万円以上で、ワインの注文、サービス料などを含めれば1人5万円以上になる庶民にとっては高嶺の高級ステーキ店。この会費も血税から捻出されたのだろうか。
「菅さんと言えば、12月11日には動画配信サイト『ニコニコ生放送』に出演し、にやけ顔で“こんにちは、ガースーです”と自己紹介しては“無神経”などと批判を浴びました。また、GoToの一時停止についても“考えていない”と否定したばかりでした。
しかし、後に内閣支持率暴落が報じられると一転、あっさりとGoToトラベルの停止を発表するなどブレブレ(苦笑)。そして今回のステーキ忘年会と、なぜ、ここまで国民感情を逆撫でできるのかが不思議でなりません」(ワイドショースタッフ)
前任の安倍晋三前首相もまた同様に“アベノマスク”の配布など、“なぜ、それ”というコロナ政策もあった。極め付けは「STAY HOME」が呼びかけられていた4月、星野源が歌う「うちで踊ろう」の動画に合わせて、都内一等に建つ自宅で優雅に“おうち時間”を過ごす姿を自身のツイッターなどにアップし、多くの批判に晒されたことは記憶は新しい。
自分たちは許される存在
なぜ、安倍前首相も含めた政治家は、時に国民の考えからズレた言動をとるのだろうか。政治評論家の有馬晴海氏は、「このメンツですし前々から予定していたとは思いますが(苦笑)」と、GoTo停止前からのスケジュールとはいうが、
「政治家、特に総理大臣のレベルになると一般的な国民とは、もう考え方が違うと思います。(批判が起きる背景には)まず、国民が自分と同じレベルで政治家の言動を考えてしまうということが一つ。
逆に、支持を得るために選挙などで“国民目線で”という言葉を使うように、政治家も“自分たちは国民と何らは変わりはない”と標榜しながらも、どこかで“国を動かしている”“一般国民とは考え方が違う”といった感覚があります。
なので、“自分たちなら許される”といったように、自分に甘い部分があり、国民の考えと一致していないことが考察されます」
つまりは「5人以上」という制限も、それはあくまで“一般国民”の話。政治家、しかも内閣総理大臣という“上級”、いや、“特級国民”にはルールは適用されないだろう、という意識が働いたのだろうか。
有能、無能の差は決断力
「もともと、“国民のみなさんがご自身で感染に気をつけて、経済のために(旅行や会合を)ガンガンやってください”というのが菅さんの考えだったわけです。でも、支持率が4割に下がり、このまま続けていたら来週にはさらに下がるかもしれない。そう思ったから、感染を止める、死者を減らす、医療を崩壊させない、とこれ以上の支持率低下を防ぐために舵を切ったのでしょう。
政治というのは政治家のためではなく、国民のためにあるのです。例えば(第3波が拡大する前に)GoToに“反対”する多数の国民の声を受けて、菅首相も“私もそう思います”と1か月前くらいに停止して感染拡大を防ぎ、年末年始を迎えるタイミングで緩めて(GoToを再開して)いれば旅行業者、飲食業も含めて国民にとってもよい状況になっていたかもしれません。そして正月期間を終えた1月10日くらいから、“皆さんとまた自粛しましょう”と呼びかけるようなメリハリある対応が必要だったと思います。
タイミングを見計って、良き時期に決断をするのが有能な、国民の考え方に沿った政治家だと思います」(有馬氏)
一方で、ここまで批判される要因になったのが、やはり菅首相らの会合に対する危機感と罪悪感の薄さからだと指摘する声もある。それを象徴したのが杉による“忘年会”発言だった。
「例えば、選挙などの政治的な話は政情に波紋を起こしやすいことから、政治家は本来、会合での話し合いをぼかすために“いや、ただの雑談ですよ”などと取材を煙に巻くもの。おそらくは杉さんも気を遣って、政治家を真似るように“忘年会”などと濁したのでしょう。でも、ならば国民にも“忘年会をさせろ”となるわけで、今回ばかりはぼかしたことが裏目に出た。
二階幹事長が後に“政治に関する話”と言い直したのは、まずいと感じ取ったからでしょう。お店にも事前に口裏合わせの対応もしていなかったことから、菅首相や二階幹事長とすれば、本当に罪悪感のなく集まった“自分なら許される”、特級国民の意識から開催された忘年会だったのでしょう」(全国紙政治部記者)
批判に耐えかねたのか、12月16日にはたまらず日本テレビの単独インタビューに応じて「大いに反省している」と火消しに走った菅首相。ガス欠になるのも早いかもしれない。