16歳でデビュー以来、歌って踊って、さらにシリアスな芝居からコメディーまでマルチに活躍してきたエンターテイナー・井上順さん。今年(2020年)の春に73歳でTwitterデビューするや、ダジャレまみれのツイートが「癒される」と話題になり、コロナ禍の中で放送されたNHK朝ドラ『エール』に出演した際にも、Yahoo!リアルタイム検索で「井上順」が1位を獲得するなど時の人になった。思わずニヤッと笑ってしまうツイートについて、そして、いつも笑顔でいられる秘訣について聞いた。
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井上順さんのツイートは1日1回が基本。“グッモー”から始まる140文字は、とにかくダジャレ満載。さすが歌って踊れるコメディアン、おっと失礼、エンターテイナーらしく、ザ・井上順ワールド全開なのである。
例えば、2020年7月17日のツイート。
《グッモー。今日も雨。昨日は仕事帰りにちょっと西武へ。必ず寄るのはここ、あなたの声をお聞かせ下さいの『お客様の声』の箱。東急本店とは一味違う佇まい。ヤッホーと声を聞かせ、オハコの歌も一節、お客様の声の“箱”だけに、ははっ。通り過ぎるお客さんのあの笑顔は、微笑みか?それとも苦笑か?》
とまあ、こんな調子。井上さんは言う。
「せっかくデパートにそういう遊び道具が置いてあるのに、遊ばないのはねえ(笑)。声を聞かせてくださいと書いてあるから『はい、こんな声でよろしいでしょうか』って箱に話しかけます(笑)。ぼくだってわかっていますよ、お店が求めているのは、紙に意見を書いてくださいって、そっちの声だってことは(笑)。だけどぼくは『お、せ、わ、に~なりました~♪ 音程はどうですかね?』と、歌って話しかけて楽しんでいます(笑)」
お返しをしなきゃいけないと思う
井上さんがツイートを始めたのは2020年の4月、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言の発令直後のこと。もしや、コロナ禍で沈んでいる世の中を明るくするために、Twitterを開設したとか?
「ぼくらの世代ってね、何かをしていただいたり何かをちょうだいしたりしたら、必ず何かお返しをしなきゃいけないってのが性分としてあるんですよ」
井上さんは渋谷生まれの渋谷育ち。今のBunkamura(東急文化村)あたりは、昔は消防署と小学校があって、井上さんの遊び場だった。
「小説家の平岩弓枝さんから〈渋谷区くみんの広場実行委員会委員長〉を平成23年に受け継いで、渋谷区のイベントに時間の許す限りお手伝いしてきました。それらが積み重なったからかなあ、今年の1月に渋谷区名誉区民という名誉な称号をちょうだいしましてね。そのお返しに何ができるかな、と考えたのが、渋谷の魅力を発信すること。それもYouTubeで」
ええっ? YouTube? Twitterではなくて?
「そう、YouTube。今の渋谷ってね、世界中から注目を集めているんですよね。ぼくの海外の友達も昔は六本木だ、銀座だって言っていたのが、最近はどこに行きたいと聞くと10人中8人くらいの割合で渋谷に行きたいと言います。せっかくなら、ぼくの目線で案内したいと思って。同じ店に行くのでも、座る場所によって、ビュー(view)が、景色が違うの。だから、この店に行くなら、ふつうに行っても素晴らしいけれど、この席に座ったらビューが最高なんだよ、なぜならば、そこから富士山が見えるから、とか。そういうのをYouTubeで発信できたらおもしろいかなと思ったんです。
ところがコロナで出歩けない。それにね、YouTubeは助けてくれる人(=撮影スタッフなど)がいないとできないんですよ(笑)。でも、あっ、Twitterでいいんだ、自分がつぶやいた感じでやればいいんだ! と気がついて。Twitterなら、写真も自分の携帯でパシャパシャ撮ればいい。ぼくは『立っている者は親でも使え』の精神なんで(笑)、近くを歩いている方に『すみません、撮ってください』と頼んでね」
嫌なことってあると思うけど──
投稿するのは渋谷の魅力だけでなく本やアートに料理など、さまざま。日々の楽しいことを見つけてはダジャレを交えてつぶやいている。
《(中尾彬さんと食事をして)元気に長生きするのは、彬かだ、はっはっは》
《(理髪店で)親父さんがカットしてもバーバーとはこれいかに》
《(以前モロッコの都市カサブランカへ旅行した時の思い出話で)そんなに着込んでカサバランカ? 》(……さらに「カサイランカ?」「カタコランカ?」まで)
「たいていは寝る前に、明日はこういうことをつぶやこうかな、と箇条書きにちょんちょんちょんと書いています。朝起きたときにそのメモを眺めると、あれ? こんなこと書いたんだなって新鮮な気持ちになってね。ツイート用の写真は必要なら、朝早くても夜遅くてもすぐに着替えて撮りに出ちゃうんです。フットワークが人一倍軽いんです。ハッハッハー! みなさんが何かの拍子に井上順のツイートを見たときに、あれ、くすっ、あはは、って、一瞬でも肩に背負ってるものをフワッと忘れてくれたらいいよね」
毎日楽しいことを見つけるのは大変だと思うが……。ネタって簡単に見つかるもの?
「見つかりますよ。1回だけね、明日何をつぶやこうか決まらなくて、ないな~ないな~ナイチンゲール、ないな~ないな~ナイジェリア、って言ってたんですよ(笑)。あ! これで遊んでみようと思いついて、そのままつぶやいて。だから結果的にネタがないことはなかった。楽しいことってね、毎日のようにありますよ。
ぼくはね、ジジイだから朝が早いんです、5時すぎには起きちゃう。パッと目が覚めたときに『ヤッホー!』なんだな、気持ちが。窓を開けて、お日さまにサンキュ~!って挨拶するんです。ハァア~ってため息で起きたことがないの。朝起きて、ため息が出たら1日つまんないよ。よしいくぞ! 今日もいいことあるぞ! という気持ちでスタートしたら、向こうのほうからいいことが寄ってきますよ」
そのためにも、外の世界に対して、自分から心を開いて向かっていくことが必要。「今日は1日に何個くらいうれしい、楽しい気持ちになれるかな」と考えているだけで、お日さまに守られて過ごせると、井上さんは話す。
「きっと嫌なことってあるんだと思うんだけど、ぼくには見えないですね」
両親から受け継いだ「素晴らしい感情」
ポジティブで明るいのは井上家の伝統。井上さんの父親も母親も明るくて賑(にぎ)やかな人だったという。
「とにかく賑やかで楽しいことが好きな両親でしたから。親父の名前は巌(いわお)というんですが、とってもハンサムなんです。ぼくが銀座に顔を出すようになったころ、『巌(がん)ちゃんの息子さんだ~。あんたのお父さんは面白くていつも笑わせてくれてたわよ』なんて、逸話を聞かせてもらったり。母親も本当に愉快な人でしたね。うちに来て『はあ、自分の映画を見るのも疲れちゃうわね』と言うから『なんの映画?』って聞くと『イングリッド・バーグマンよ』って(笑)。自分で似てると思ってるんですけど、それが本当に似ているの。だけど母は『あちらが私に似てるのよ、やだわ』なんて言ってね(笑)。ぼくはそういう親から生まれた子どもだな、って間違いなく思う。とても素晴らしい感情というか、武器のようなものをいただいたんじゃないかな」
こうしてインタビューをしている間も、井上さんは笑顔を絶やさず、楽しそうな空気に包まれている。かといって独善的ではなく、周りへの配慮もこまやか。ダジャレも井上さんにとっては大切なコミュニケーションツールのひとつだ。
「なんていうか、ダジャレって自分にとっての気休めでもあるし、その場をちょっとなごやかにできるかな、というのもある。頭の勉強にもなる。ダジャレを言うのでも考えるわけじゃないですか。人間、考えなくなると脳が劣化しますよね。筋肉も使わなければ劣化するのと同じです。だから人様にね、なんと言われようと、ダジャレは言い続けますよ~っ!」
ごめんなさいを言える自分がいるかどうか
ダジャレ以外に、井上さんが健康を保つために常に実行しているのが、迷う前に行動すること。
「百聞は一見に如かず、と言うし、自分の目で確かめることって大事だと思うんです。人から聞いてわかった気になっているけど、実際に行って見ると、あれ? ってなる。なぜかと言うと、教えてくださった方の見方がぼくと違うから。いいとか悪いとかではなく、人によって受け取り方が異なるのだからしかたない。だから実際に見ることって大事、自分で判断することが大事なんです」
映画も舞台も、時間があったら見に行く。大傑作もあるけれど、大失敗作もある。でも失敗があるからこそ、よさがわかるのだと思うと井上さんは言う。
「これをやるとなんて言われるかな、どうしようかな、って迷うなら、やってみるべきだと思うのね。ぼくだって、しょっちゅうミスをしていますよ。でもミスをして、恥ずかしいとかダメだったって落ち込む前に、ごめんなさいを言える自分がそこにいるっていうことが、ぼくのひとつの測りでもあるんです。これで終わりってことではないから。知らないことがいっぱいあるんです。そのためにも行動して失敗して謝って。まだまだ、頑張っていかなきゃいけないって気持ちが大きいです」
Twitterもそう。迷う前に行動あるのみと73歳の遅咲きデビュー。まずはガラケーでスタートし、最近になって、きれいな写真が撮れるからとスマホにアップデートした。今ではSiriとも仲よしだ。
新しい出会いに遭遇できる準備
「フォロワー数とかそういうのはどうでもいいの。たまたま井上順のツイートを見たときに、みなさんの肩の力が抜けて一瞬でもイヤなことを忘れてくれたら十分なんです。ぼくがこうして元気でいられるのは、人との出会い、物との出会い、時代との出会いがあったから。そして、そういう出会いに育てられてきたという自負があるんで、もっと欲張って、もっといろいろなことに遭遇したい。楽しいこと、うれしいことを、つぶやいていきたいですね」
ところで井上さん、新しい仕事の日には新しいものを身につけるというのは本当?
「あはは、本当ですよ。お清めの気持ちなんです。確か、50歳すぎてから始めたのかなあ。例えばね、徹子さんの部屋に行くとしても、昔から知っている方ですから、なあなあになりやすいんですよ。プライベートでいるときはかまわないけど、人様の前に出るときに馴(な)れ馴れしいのはよくない、襟を正さなきゃいけないぞ、と思い至って。その証(あかし)として行動で示そうじゃないか! よしっ、新しいものをなにかひとつ身につけていこうじゃないか! ということで下着、靴下、ハンカチ、シャツ、ネクタイ、ジャケットなどなど、どれかひとつは新品を身につけて出るようになったんです」
そのため、自宅のクロゼットには新品の下着や靴下、ハンカチなどのストックを欠かさない。いつでも新しい出会いに遭遇できる準備をしているのだという。「実はね」と井上さんがニヤリと笑う。
「今日もそうなの。おろしたての靴下なんですよ。本当はね、タグをつけたままはこうと思ったんだけど、今はタグがないのね。タグがあれば、ほら新品だよって見せられたのに、あはは! しゃべっているときに失礼なことをいっぱい言っていると思うから、そこらへんは、このきれいな新品で勘弁してもらえれば。メンゴ(笑)」
*このインタビューは明日公開の後編に続きます。後編では、50代で難聴になった井上さんが現実を受け入れて「生まれ変わった」ことについてうかがいます。
(取材・文/吉川亜香子)
<PROFILE>
井上順/1947年2月21日、東京・渋谷に生まれる。1963年、16歳で「田邊昭知とザ・スパイダース」に参加。最年少メンバーとして、堺正章とのツインボーカルでグループサウンズの幕開けに貢献する。グループ解散後の1972年にソロデビュー。『涙』『お世話になりました』などのヒット曲を生む一方で、俳優として最高視聴率56.3%を記録したホームドラマの金字塔『ありがとう』(TBS系)など数多くの作品に出演。1976年には歌番組『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)の司会者に抜擢(ばってき)され、芳村真理とともに番組黄金期を築いた。ダジャレの名人としても有名で「ジャーニー!」「ピース!」など数々の流行語を生み出した。長年にわたりオールラウンドプレーヤーとしてテレビ、ラジオ、舞台、コンサート、司会、映画などで活動。2020年1月、渋谷区名誉区民に顕彰される。同年4月、Twitterを開設。「井上順のツイッターが軽妙で魅力的!」と話題になる。
◎Twitterアカウント @JunInoue20
<ライブ情報>
「まだまだ ♪お世話になりますよ♪ 2021春」
出演:井上順、山崎イサオ、黒沢裕一、麻上冬目、柳澤香
日時:2021/1/23(土)open 18:00、start 19:00
会場:eplus LIVING ROOM CAFE&DINING
*チケット発売中/リアルライブのほかに生配信もあり
http://livingroomcafe.jp/event/inouejun0123