草津温泉には雪が降り、湯畑を囲んで情緒ある風景が広がっていた。この観光地の各所でつい最近まで「新井議員をリコールに!」と大書きされたポスターが貼られ、投票を呼びかける街宣車が走り回っていた。
群馬県草津町で12月6日、唯一の女性町議である新井祥子氏(51)のリコール(解職請求)投票が行われ、賛成2542票、反対208票とケタ違いの大差で新井氏は失職した。
取材場所に現れた新井氏は、自分を落とすために実施された住民投票を振り返り、
「多くの町民は普通に接してくれたのでありがたかったが、住民投票に必要な署名を店頭で集めていた店にはさすがに行けなかった。そもそも住民投票は町民が権力者を落としたいときに使う手段であり、権力者側が気に食わない人間を排除するために使うのはおかしい。民主主義の根幹を揺るがす由々しき問題だと思っています」
と努めて冷静に語った。
「反対票を投じてくれた208人に感謝」
騒動の発端は、昨年11月に配信された電子書籍での新井氏の重大告発にある。2015年1月8日、町長室で黒岩信忠町長(73)から強引に肉体関係を結ばされたと暴露した。
町長はすぐさま「事実無根で全部つくり話」と猛反論。新井氏を名誉毀損で刑事告訴するとともに、民事裁判も起こし、新井氏や電子書籍のライターら3人を相手取り総額5000万円の損害賠償を求めている。
町議会も同調し、新井氏の言動が「議会の品位を傷付け破廉恥だ」などとして昨年、懲罰動議にかけ除名処分に。新井氏が県に不服を申し立てて今年、議席を回復すると、今度は解職を求める住民投票実現に向け署名活動を始め、必要とされる「有権者の3分の1」の署名をわずか2週間で「3分の2」以上にあたる3180筆も集めた。
町長も集会に顔を出し、新井氏の解職を求め熱弁をふるった。
結果をみれば、署名の数も、解職賛成票も、圧倒的多数の町民が新井氏に「ノー」を突きつけたことになる。
しかし、新井氏は「私はそうは思わない。解職反対票を投じてくれた208人に感謝している」とした上で、こう分析する。
「解職賛成票は署名より600票以上も下回った。リコールに賛成しなければいけないと圧力をかけるような空気の中、立場の弱い人らは署名を断りにくい側面もあっただろう。でも投票はだれが入れたかわからない。実際に“ゴメンね、表立っては応援できないけれども解職には反対票を入れるから”と励ましてくれた有権者もいる。圧力的な町長の政治に内心はうんざりしている人がいるんです」
「議員の肩書を利用してウソを伝播した」
この住民投票の是非については、有識者の批判的な見解がメディアで取り上げられるなど物議をかもした。唯一の女性町議を権力を持った男性が寄ってたかって……という構図に不快感を覚えた人も少なくない。新井氏の告発が真実ならば、性被害者の口封じとも取れるからだ。
黒岩町長に「やりすぎではないか」と質問をぶつけると、こう返ってきた。
「やりすぎとは考えていません。コロナの影響もあって、私が新井氏を訴えた刑事事件と民事裁判は遅々として進まず、そうこうしている間に新井氏は“性被害者の町議”として町外でも活動を続けてきました。議員の肩書を利用してウソをどんどん伝播していくのは許せない。外国メディアは“性的暴行を加えた町長が、被害を訴えた女性町議のクビを権力で切った”などと間違った捉え方をして、ウソのニュースが世界中に広まっている。
何度も言いますが、私が新井氏と男女の関係を持つことはあり得ません。全部つくり話なのに、新井氏は“性被害を告白した勇気ある女性”と褒められてすらいる。住民投票は、新井氏の言う性被害について私がシロかクロかを決めるものではなく、言いっぱなしで証拠を出さず、議会で説明責任を果たそうとしない新井氏の議員としての資質を問うものだったのです」
「事件当日は前副町長が同席していた」
騒動から1年。町長か新井氏のどちらかがウソをついているのは間違いない。性被害があったかどうかをめぐる争点がいくつか考えられる中、無視できないポイントが2つ浮上している。
ひとつは週刊女性既報(2020年8月18・25日号)の「事件があったとされる日の同席者」について。潔白を証明するため証拠探しに熱心な町長は、今夏、取材に「当日は同席者がいたことがわかり、部屋に2人きりではなかった」と訴えていた。
黒岩町長はあらためて、
「じつは同席者は前副町長なんです。騒動になってから前副町長が在職当時の手帳を見返したところ、事件があったとされる日に自分宛てに新井氏のアポイントメントが入っていたことがわかり連絡をくれました。几帳面な性格でびっしりメモを残しており、後から書き加えるような偽装工作はできない。警察に報告するまではどのような妨害を受けるかわからないため個人を特定する情報は伏せましたが、もう報告は済みましたので明らかにします」
第三者の証言は重い。町長はそれまで、事件当日に新井氏と面会したことだけは認めながら、「年始挨拶で訪問客が多い日」「女性と会うときはドアを開けっ放しにする習慣がある」「窓からは交番が見える」などと犯行に不自然な状況下だったことを主張するにとどまっていた。これらは“状況証拠”にはなり得るかもしれないが、決定打に欠ける。
新井氏に副町長の同席について尋ねると、
「たしかに副町長を訪ねて行ったことはありますが、全く別の日です。これは確信があります。裁判があるので詳細は話せませんが」
と自信たっぷり。手の内は明かしたくないという。
「町長は自分に都合よく決めつける」
2つめのポイントは、「事件当日に録音したとされる音声データ」の存在。新井氏が今年10月、自身のフェイスブックに投稿した音声データこそが「当日のやり取りを新井氏が隠しどりしていたものだ」(町長)という。
町長はこう続ける。
「録音されているのはたしかに新井氏と私の声です。やり取りを文字起こしすると、電子書籍での事件当日のくだりとほぼ同じ内容。このあと私が新井氏に迫ったことになっている。つまり、私に襲われている場面も録音されているはずなんです。そこで“録音テープの続きを出しなさい”と新井氏に要求したところ、しらばっくれて出そうとしない。私がほかの議員を批判するくだりが録音されているため公開して人格攻撃に使いたかったようですが、当日何もなかった証拠を新井氏が持っていることを明かしてしまった。完全に墓穴を掘ったんです」
物的証拠になり得る音声データの存在もまた大きい。新井氏に事実関係を確認すると、呆れたような表情でこう答える。
「あれは事件当日の録音データではありません。町長はいつも同じ話をするので似たような会話になっているだけ。何度もこの話を繰り返しているんです。町長はすぐ自分に都合のいいように決めつけますが、実際は事件があったあとの録音です。隠しどりした理由ですか? 自分の身を守るためです」
と、またもや両者の言い分は真っ向から対立する。
刑事事件の捜査と、民事裁判の進展が待たれる中、町長はこう憤る。
「新井氏は何ひとつ証拠を出さず、議会で不審な点について説明を求めても“裁判で明らかにします”と逃げてばかり。立証責任のない私のほうが真相解明に積極的だ。被害が事実というならば、新井氏は強制性交等罪で私を刑事告発すればより重罪で罰することができるのにそうしようともしない」
「公費を870万円もかけるなんて」
ほかにも町長は、民事裁判を審理する前橋地裁に対し、新井氏の議員報酬を仮差し押さえるよう申し立てた。つくり話による損害賠償が認められたときに備え、新井氏が「払えない」とならないよう1000万円分の差し押さえを求めたところ、裁判所は今年10月に200万円について認めたのである。
新井氏は、
「もう失職したので議員報酬はなくなりますが、直前の2か月も報酬の振り込みはゼロでした。議員活動や町政の問題点などを町民に紹介する私の広報誌『しょこたん通信』の印刷費や新聞折り込み代金が払えなくなったのが困りましたね。外食を控えてコンビニのおにぎりで済ますなど切り詰めた生活でどうにかしのいできました」
と言えなかった苦労を明かす。
また、同町は今年10月、新井氏が住民基本台帳に不実記載をしていたとして前橋地検に告発状を提出している。届け出ている住所地に住んでいないというのだ。
新井氏にこの点を尋ねると、
「居住実態がないかのように疑われていますが、そんなことはありません。過去の議員落選中に朝早くから夜遅くまで仕事で草津にいなかったため周辺住民とあまり顔を合わせなかっただけです」
と反論。
さらに、「もしリコールが成立しなかった場合は『不実記載』をデッチあげて私を落とすつもりだったのではないか。何がなんでも辞めさせたかったんでしょう」とした上でこう付け加える。
「そもそもコロナ禍で公費を870万円もかけて私のリコール投票をすることがまず信じられません。町中に私のリコールを求めるポスターを600枚も貼り、観光客は草津に着いた途端それを目にして“何コレ”って驚いていました。これが町民や町のための政治といえるでしょうか」
一致したのは「裁判で真実を明らかに」
ウソをつかれているほうのダメージやショックは大きい。それだけに両者のつばぜり合いは必然、激しくなる。
町長は力を込めて言う。
「リコール成立後、町外の人がやって来て役場の前で“町長辞めろー!”と拡声器でガンガンやられましたが真実はひとつ。必ず裁判で濡れ衣を晴らします。新井氏はリコールに絡めて“立場の弱い女性”とアピールして議論をすり替えています。町議は町長の仕事をチェックする立場ですから弱くなんかありませんよ。
それと、女性町議はゼロになりましたが、男性だけの町議会にしたいわけではありません。むしろ女性目線を町政に取り入れたいので新しい女性町議の誕生を心待ちにしています」
一方、新井氏もまた憤りを隠さずに言う。
「ウソをついているのは町長のほうです。町長は私が刑事告発しないと決めつけていますが、どのタイミングで訴えるのがいいか常に考えています。ただ、反撃するのは負担が大きいのも事実。町長と違って裁判慣れしていないため、係争中の裁判などで手一杯なところがあるんです。
今回のリコール成立で、ほかに町長から性被害を受けた女性は余計に声を上げづらくなるかもしれません。でも、私は裁判で真実を明らかにしていきます。議席は失いましたが、町議会を傍聴し、議会をチェックして町民のための政治活動を続けていきます。理不尽なことには声を上げ、闘っていきます」
騒動はまだまだ続きそうだ。
◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)
〈PROFILE〉法曹界の専門紙「法律新聞」記者を経て、夕刊紙「内外タイムス」報道部で事件、政治、行政、流行などを取材。2010年2月より「週刊女性」で社会分野担当記者として取材・執筆する