会場入りした木村拓哉、中居正広、草なぎ剛('96年『紅白歌合戦』)

 今年で第71回目を迎えるNHK紅白歌合戦。その華々しいステージの模様を届けようと、毎年多くの報道陣が取材に訪れる。そんな紅白取材について、ベテランの記者に話を聞くと、みな口を揃えて言う。「昔の取材は、楽しかった」と――。舞台裏ではいったいどんなことが起きていたのか?(紅白の舞台裏で松田聖子が!工藤静香が!GLAYが!NHKと歌手と記者の「円満」時代から続く)

Hさん:カメラマン。初めての紅白取材は2000年。直近8年連続で現場へ
・Tさん:週刊誌記者として1994年から3年間取材。当時はまだ新人記者
Yさん:スポーツ紙の女性記者。1990〜2000年まで10年間、紅白を取材

「中居くんのひと言で変わる」

――'90年代、'00年代はじめというと、ジャニーズで人気があったのはどのグループですか?

TさんやっぱりSMAP。当時からジャニーズの中でも別格だった。囲み取材(各アーティストを取材陣が囲って取材すること)のときも、SMAPの取材陣の数は圧倒的に多かったよね。彼らもまだ若くてワチャワチャしてたんだけど、マネージャーさんが“(囲み取材を)やるよ!”って声をかけると、中居くんが“じゃぁ、やりましょう”って。その中居くんのひと言で顔つきがみんな変わって、5人全員ビシッてするみたいな」

楽屋口でSMAPメンバーを発見!('94年『紅白歌合戦』)

Hさん「僕が取材に行きはじめた2000年くらいはまだ取材陣の数も今より少なくて、記者と歌手本人の距離も近かった。だからSMAPの囲み取材のときに若手の記者が隅っこに追いやられてたりすると、中居くんが“もっと中に入んなよ!”って肩を寄せてくれたり

Tさん「中居くんの人柄が出てるね(笑)」

Yさん「SMAPと言えば、彼らはTOKIOの城島(茂)さんと仲がいいんだよね。リハーサルのときに、トイレから一緒に出てきたり、雑談しているのをよく見かけた。当時は、リハや囲み取材が自分の番じゃないときに、そうやって歌手の人たちがあちこちにいて、おしゃべりしてたりするんだよね」

Hさん「内心は緊張しているのかもしれないけど、歌手のみなさん本当に楽しそうなんですよ。囲み取材のときも、和田(アキ子)さんがいつもゴキゲンな感じで“どうせ、書かないんでしょう〜?”って言いながらもいろいろしゃべるみたいな(笑)。よく言ってませんでした?

Tさん言ってた(笑)。当時は“アッコ激怒”とか“アッコ、爆笑!”とかで記事が立つ時代だったからね

――ピリピリムード、緊張感みたいなものはどうなんですか?

Hさん「緊張感ってどうなんですかね」

私服で会場入りした安室奈美恵('96年『紅白歌合戦』)

Tさん僕は1回、廊下の階段で突っ伏してる安室(奈美恵)さんを見かけた。でも緊張なのか、ただ単に超忙しい時期でヘトヘトだったかはわからない。そのときはスタッフが彼女を囲んで、話しかけられないようにしてたね。

 あとピリピリしていたと言えば、'94年に、日本テレビ宛に届いた安達祐実さんへの小包が爆発して職員が大けがする事件があって。その事件明けに安達さんが紅白に出るってなったときは、本人の周りをスタッフが何人も囲って、神妙な面持ちで現場に入っていったよ。そのときは、ただならぬ緊張感に溢れてた」

Yさん「そんなこともあったね」

ハプニングも生放送ならでは

――本番はどんな感じなんでしょうか。これまでハプニングなどもありましたが。

Hさん「何分何秒単位で、リハ段階で少しでも押したらもう1回やり直したりしてるので、本番はもう淡々と進んでるって感じがします」

Yさん私が取材したときは、小林幸子さんの衣装の電飾がつかない、なんてこともあったな

Tさん「ありましたね。あと、紅白ならではの“早替え”がうまくいかなくて、衣装を腕にぶら下げたまま歌っていた人もいました」

Hさん去年か一昨年、氷川きよしさんが衣装を脱ぐときに、袖のボタンに引っかかって取れないときがあって。一瞬、焦ったけど、パーンって腕を振りきったんですが、それが逆にキマったんですよね。本人ものちに自分のコンサートで、“トラブったけど、気持ちよかった”みたいなことを言ってました」

Tさん「そういうハプニングも、生放送ならではの楽しみのひとつですね! 舞台裏でも、歌手の人が一般人と間違えられて警備の人に止められてNHKに入れなかったり」

Yさん「あったあった(笑)」

司会の古舘伊知郎に抱きしめられ…

――本番後にも取材を?

Tさん「僕は本番が終わった直後にも、本人たちに声をかけてた。“初めての紅白、どうでしたか?”とか」

Hさん「いいなぁ。いまは、楽屋口はゲストの芸人さんが使ってたり、演出の関係上などで、報道陣は入れないんですよ」

司会を務めた上沼恵美子と古舘伊知郎('95年)

Tさん「そっか。昔は楽屋口が報道陣にも解放されてたから、本番が終わったばかりの人も取材できた。中でも印象的だったのが、歌手ではないんだけど、古舘(伊知郎)さんが初めて司会をやったとき。

 エンディングが終わって、ほかの記者はみんな歌手を追いかけて行っちゃったんだけど、僕が“お疲れさまでした”と言ったら“ありがとう! ありがとう!!”ってアツいハグをしてくれて(笑)。当時、司会をやるのに、古舘さんもいろいろ言われてたわけですよ。だから相当プレッシャーもあって、その開放感もあったのかな」

Yさん「紅組の司会が上沼恵美子のときもあったよね?」

Tさん「そう。お互いしゃべりでやってる人たちだから、持ち味を出しつつ、NHKの規定にも合わせて……。相当緊張したと思うんだけど、その熱いハグからすごい感動が伝わってきました」

――紅白の本番のあとの打ち上げにも参加していたと聞きましたが。

Yさん「昔は、出演者たちが集まって、簡単な打ち上げをNHKの食堂でやってたんだよね」

Tさん「本当はそこにメディアは入っちゃいけなかったんだけど、まぁ時代が時代だから暗黙の了解みたいな感じで、こっそりみんな入ってて。もちろんそこで起きたことは記事にしない前提で。メディアの人も一緒に紅白を作り上げたっていう雰囲気があったから

Yさん「そう。そこでは、ベテランに初出場の新人が挨拶に行ったりしてて、それを記者が端からウォッチングしてた(笑)」

Tさん「僕がいたときは、若手がみんなアッコさん(和田アキ子)に挨拶してから帰って行ってたよ。SPEEDとか

Hさん「10年前くらい前までは、そのNHKの食堂でお昼も食べられたんですよね。歌手の人も普通に食べてて。あ、平井堅だ、みたいな。あと、加護(亜依)ちゃんがお寿司を注文してて、“ワサビ抜いてください”って言ったら食堂のおじさんに“子どもだなー!”って言われてました(笑)

Yさん「そのころはまだ未成年で本当に子どもだったしね(笑)。私はそこで郷ひろみさんと一緒になったことがあって。お誕生日席に座ってスタッフたちとテーブルを囲ってたんだけど、みんなご飯を食べてるのに、本人は食べずに分厚い本を読んでた。楽屋って新人はリハーサル室みたいなところを合同で使ってたけど、大物は個室なの。郷さんはすでに大物で個室だったはずだから、楽屋で読めばいいのにって思った(笑)」

Tさんきっと彼らは紅白の期間中はいろんな人に見られてる前提なんだよね。素の姿かわからないけど、周りのスタッフとかみんなに率先してお茶を入れてる人もいるし。そこで記者が人間性を見てるところもあるから」

Yさん「まぁ、普通は見られること意識するよね。みんなスターだから!」

中山美穂と西田ひかるに挟まれ歌う谷村新司('93年『紅白歌合戦』リハーサル)

Hさんみなさんもう、NHKに入ったときから“演じてくれてる”って感じ。キムタクとかすごいサービスあると思います

Tさん「そこも含めて、芸能人たちだからね。そういうのを間近で見られなくなっちゃったのは残念だよね」

Hさん「そうですね」

変わる取材様式、他局のカメラも

Yさん「でも紙媒体の取材は厳しくなったけど、他局のテレビ取材は規制が緩くなったというか、状況が変わった気がする。私が取材に行った当初は、他局のカメラが入るなんて考えられなかった。でも裏番組の『電波少年』がNHKホールの見えるところで生中継をやったりして、そのあたりからNHKもポケットビスケッツや野猿とか民放から生まれたものを出していって。お互にいい宣伝になるわけだから。紅白も話題になるし

Tさん「確かに。NHKも毎年、なんやかんや言われながらも演出を変えたり、話題の人を呼んだり、頑張ってますもんね。それにこれだけ続いてきた中で、大きな事件とか、変な人が乱入して誰かを襲ったとか一度もないわけで、そういう意味ではすごいと思う」

Hさん「そうですね。これまで大きなハプニングの印象ってない。でも今年は大泉(洋)さんが司会ですから。大泉さんの面白いしゃべりが聞きたい反面、大幅に押さないか心配(笑)。この前、総合司会の桑子アナが大泉さんに“1組10秒押してそれが40組分あると400秒押すことになる”って言っていて、なるほどなと

Tさん「僕は以前、始まって1分で、ディレクターが“巻いて”の指示をしてたっていうのを聞いたことがある(笑)。大泉さん大丈夫かな。違う意味で注目しちゃうかも」

Yさん「まぁ今年はコロナもあってどうなることやら。今はなにをやっても批判を浴びがちな紅白だけど、頑張って欲しいね」

Hさんそうですね。毎年会場で撮影してて思いますけど、やっぱり観客がいて、そこでアーティストが歌うっていうあの熱量ってすごいんですよね。そう思うと、ライブ感のある演出って大事なんだなって。今年は無観客開催ですが、来年には元どおりになるといいなと。僕らもまた、盛り上げていけたらいいなと思います」