現在、全国に100万人いると推測されるひきこもり。近年、中高年層が増加しており、内閣府は一昨年初めて、40歳以上が対象の調査結果を公表した。一般的には負のイメージがあるひきこもり。その素顔が知りたくて、当事者とゆっくり話してみたら……。(ノンフィクションライター・亀山早苗)
山添博之さん(36)のケース
愛知県名古屋市のある町に暮らす山添博之さん(36)は、2019年第1回ひきこもり文学大賞で大賞を受賞した。タイトルは『つうじょうじん』だ。通常人とひきこもりの立場を逆転させ、人々がひきこもらなければいけない時代を描いた小説である。その中で、彼は人々を皮肉り、ひきこもりを暴力的に家から出す、いわゆる『引き出し屋』を痛烈に揶揄している。立場が違えば、こんなものだと山添さんは冷静に世の中を分析してみせた。
そして、その小説どおり、2020年の春は、新型コロナウイルスの影響で、まさに「ひきこもることが美徳」とされた。
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長身にカジュアルなファッション。どこにでもいそうな好青年というイメージ。マスクの上に覗く目はとてもやさしい光を発している。そんな山添さんのひきこもりは、小学校5年生から10年以上に及んだ。原因はいじめだ。それはある日突然、始まった。
「地域の子どもたちで行う百人一首のイベントがあって、僕が行ったら百人一首を読むように言われたんです。なんだか雰囲気がおかしかったんですよね。読み始めると、“さっさと段取りしろや”“早く読めや”と脅すように言う子がいて。地域では、父親の社会的地位も高く、いちばん裕福な家の子で、いろいろ悪さをしていると噂があった。僕も以前、犬の散歩中にエアガンで撃たれたことがある。
その子がおとなしそうに見えた僕を標的にしたみたいです。ほかの子たちも怖いから彼の側について。最初は悪口を言ったり罵倒したりだったけど、教師や親が見てないところで殴られたり蹴られたり。アザが消える間がないほど頻繁に。それで、ついに学校に行けなくなったんです」
不登校になって母の態度が急変
彼は3人兄弟の末っ子として滋賀県に生まれた。長兄とは12歳、次兄とは6歳離れている。父は公務員で、母は自営業。ごくごく普通の家庭で生まれ育ち、「おとなしいタイプだとは思うけど、学校も普通に行って友達もいた。親子関係も良好、特に母はやさしくてとてもかわいがってくれた」と言う。それがある日を境に一変したのだ。年端もいかない少年が、どう受け止めればいいのだろう。
「親はいじめのことを察していたと思う。もちろん学校だって把握していたはず。でも学校はいじめがあることを隠したかったんじゃないでしょうか。とにかく、僕は誰にも相談できず、ただ学校へ行かないという選択しかできなかった」
誰も「どうしたの、何があったの」と聞いてくれなかった。兄たちは自分の生活で忙しい。父は怒り、彼の部屋に入ってきて怒鳴ったり殴ったりした。母は、「おまえにはもう食べさせるものはない」と食卓から彼を排除した。彼は自室にこもり、夜中に冷蔵庫をあさって食べるものを見つけた。かわいがっていた末っ子の「裏切り」に両親は失望したのだろうか。
「自室にこもって自殺を考えました。遺書を書いてロープで首をくくろうとしたけど怖くてできない。生きるのはつらい、でも死ぬこともできない。ただ悩むしかなかったんです」
殺意を感じない、母の首絞め事件
中学の入学式には行った。何かが変わるかもしれないという期待があった。だが2年生のクラス替えで、小学生のとき、いじめてきた子が同じクラスになったため、また通えなくなる。
「先生が2度家に来ましたが、数分で帰りました。それ以外は何のアクションもなかった。そういうものなの? と絶望しました。僕はフリースクールの存在すら知らなかったけど、今思えば、ほかの選択肢もあったはずなんですよね」
中学生のころ、母親が深夜、彼の部屋に入ってきて、両手で首を絞めた。「死ね、死ね」「なんで生まれてきたんだ」と叫んだ。
「ところが、その母の手にまったく力が入っていなかったから、殺意は感じなかった。むしろ、自分で死ねと言われているような気がしました。“おまえなんて産まなければよかった”と何度も言われましたね」
聞いているだけで胸がつまる。行き場のない彼は、自室でインターネットに夢中になった。兄のパソコンを触るうちに勝手に覚え、ネット上でひきこもりの人たちと会うことができた。
「いつも最終的には“死のう”と思うんですが、怖くてできない。15、16歳になると僕のほうが体力があるから、親を殴り返したりもしましたね」
それでも高校を受験して合格した。少し期待しながら通ってみたが、やはり続かなかった。当時は親子関係が悪く、兄たちに比べて偏差値の低い学校にしか入れなかったから、親が恥ずかしがっているのは手に取るようにわかったという。
「夢も希望もありませんでした。ただ、親はネットの通信費を払い、僕を追い出そうとはしなかった。そのことには今も感謝しているんです」
“死ねないなら社会に出ていくしかない”
どんなに死のうと思っても死ねない。死ねないなら社会に出ていくしかないと、23歳のときに決意。ただ、長年のひきこもりと、いじめによる対人恐怖がひどかったため、精神科に行くのが順当だと判断した。親の財布からお金を持ち出して病院へ行った。ところが医師は数十秒、話を聞いただけで向精神薬を出された。言われるままに飲んでいたが、頭痛、吐き気に加えて頭がぼうっとしたりのどが渇いたりと副作用がひどく、2年で通院をやめる。
それでも、自分の現状を何とか変えなければと思い、参加し始めたのが居場所を提供するNPOだった。
「最初はまったく声も出なかったんですが、何度か行くうちに挨拶程度ならできるようになり、だんだん慣れて少しずつ話ができるようになっていきました」
同時に高卒認定試験に合格し、車の免許を取り、介護の資格も得た。彼は努力家なのだ。そしてすぐにハローワークから紹介された介護職に就く。だが、1か月しかもたなかった。
「利用者や同僚と緊密な関係を築かないといけないんですが、それができなかった。職場の人たちはいつもイライラしているし……」
介護職は慢性的に人手不足なので、ひきこもりから脱した人がよく紹介される職場だ。ただ、介護職ほどホスピタリティーを求められる業種もない。人間不信になってひきこもっている人たちが、新たな世界を求めたときに適している職場ではないだろう。当事者の背景をまったく考えていないのではないだろうか。
ひとり暮らしで人生を再スタート
24歳で実家を出て、あまり人と接することのない製造業の仕事をしながら、ひとり暮らしを始めた。この仕事は彼に向いていたようだ。
「子どものころから貯めていたお金で、敷金礼金などを払いました。最初に住んだのは家賃2万9000円の狭い木造アパートで、エアコンもなかった。それでも誰とも顔を合わせずに生活することができる。僕は解放されたんだ、自立して生きていくことができるんだと感慨深かったですね」
そこが彼の人生のスタートだったのだろう。以来、今に至るまで、家族とは没交渉だ。
「だからといって親を恨んでいるわけではないです」
彼は繰り返し、そう言う。住むところも食べるものもあった。コンピューターも使っていたし、面倒もみてもらった。産んでくれなければ存在しないので感謝している、と。
「でも、そう思えるようになったのは30歳を過ぎて、ひとりでも生きていけると思うようになれたから。それまでは不幸な人生を送っていると思っていたし、不幸の原因は親が僕を虐待したり放置したりしたからだと強く恨んでいたんです」
彼がどんなに苦しんできたのかが伝わってくる。なぜいじめで苦しんでいる子どもに、誰かじっくりゆっくり話を聞こうとしなかったのだろう。
「僕にとって、あの10数年は何もしていない空白の時期。世間を知らないから、同年代の人と話が合わない。ひきこもっていたことはバレないように隠しているし、変だなと思われないようにするのが大変なんです。いじめられたトラウマは残っていて、新しい職場に行くたび、またひどい目にあうかもしれないと怖くなる」
海外旅行でアクティブな自分に
自立してから、ネットで知り合ったひきこもり当事者と会ったことがある。一緒にドライブや観光を楽しんだが、やはりひとりでいたい気持ちは強かった。
32歳のとき、彼は子どものころからの夢だった海外旅行をひとりで決行する。
「不安はあったけど、ワクワクしました。ベルリンの空港に降り立つと、人種構成も違うし、ファッションセンスも違うし、歩き方も違うし、気温や湿度や空気の味も違う。いろいろな差異が、日本とは別次元の歴史的経緯を経た力学によって動いている世界であると感じて、別の惑星に来たようで楽しかった。
日本にいると緊張するし、あまり人と話したくないんです。どこで仕事をしているのか、どの学校を出ているのかとすぐ聞くでしょう? 息苦しくてたまらない。海外ではネットで知り合った友達に会ったり、その友人の家に泊めてもらったり。それが楽しくて、お金を貯めては海外に行くようになったんです」
これまで10か国、30の都市に滞在してきた。1度、旅に出ると2~4週間は帰ってこない。外国に出ると自分でも驚くほど開放的になり、アクティブになるという。旅を楽しむためにも、英語の勉強は欠かさない。現在TOEIC(国際コミュニケーション英語能力テスト)では895点。英語を母国語としない人がじゅうぶんコミュニケーションをとれる点数は860点である。だが彼はこれに満足していない。900点以上をとって通訳案内士などの英語を使った資格を取ることも視野に入れているという。夢は広がっているのだ。
「でもねえ、恋愛は機会がないんですよね。結婚もできればいいかなあ、いや、無理だろうなあ、できなくてもいいかなあという感じ(笑)。身近な夢で言うと、もっと海外旅行をして海外の友人をつくりたい。今、YouTubeを英語で発信して、海外のひきこもっている人からコメントをもらうこともあります。
今回の『ひきこもり文学大賞』は運がよかったんでしょうけど、うれしかったですね。読む人におもしろいと思ってもらえる文章を書く勉強もしていきたい。将来は、海外での経験値を活かして旅行記を出版したいと思っています」
マイペースで、ひとりで楽しみたい
今は製造業の仕事をいったん中断、給料から積み立ててきた資産で生計を立てている。将来的には記事執筆や動画作成などで稼げるようになりたいが、難しければ、また製造関係の仕事に再就職する予定だという。
「今は人のいない場所を選んで国内ひとり旅やソロキャンプを楽しんでいます。対人恐怖は薄れてきましたが、やはりトラウマがあるんですよね。マイペースで、ひとりで楽しみたい」
生活時間はきちんとしている。6時から7時の間には起床、運動をかねて毎日2時間は外を歩く。あとは動画を作ったり英語の勉強をしたり。食事は自炊が基本だが、まれに話題の店で外食することもある。
「これで大満足という生活ではありませんし、僕自身、人として至らない点はたくさんあると思うんです。でも今は、なんとか誰にも頼らずに、ひとりで生きていけている。もし子どものころいじめられなかったら、兄たちのように普通に大学を出て就職して、結婚して子どもがいたりするのかもしれない。ただ、それが本当によかったかどうかはわかりませんよね。今の僕はユニークな生き方をしていますけど、僕には合っていたのかもしれないし」
遠慮がちに微笑む山添さん。誰かと比べることもなく、誰をも恨むこともなく、彼は淡々と自分のできることをしながら楽しんで生きている。
かめやま・さなえ 1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆