「息子さんが実家に戻ってご両親と同居しているなんて知りませんでした。ほとんど近所付き合いのない一家でしたから……」
と、事件現場の民家近くに住む女性は話す。
痛ましい事件が明るみにでたのは正月3日の午前3時半ごろのこと。
横浜市保土ヶ谷区の民家から、
「父親の意識がない」
などと119番通報があった。
駆けつけた救急隊によって、この家に住む無職・佐藤三郎さん(73)は病院に搬送されたが、同日午前5時35分に死亡を確認。神奈川県警保土ヶ谷署は同日夕、三郎さんに暴行を加えたとする傷害の疑いで、同居する長男の無職・聖一容疑者(44)を逮捕した。
なぜ、父親に手をあげたのか。
地元を担当する記者の話。
「三郎さんは重度の認知症を患っていた。昨年初めごろ病状が悪化し、聖一容疑者が介護するために仕事を辞め、昨春ごろから実家に戻っていた。ところが昨年12月30日ごろ、自宅内で三郎さんが暴れだしたらしい」
聖一容疑者は三郎さんの顔面や腹部を複数回、殴りつけた疑いが持たれている。
「警察の取り調べに対し、聖一容疑者は“父親を押さえつけようとして手を出してしまった”などと供述している。三郎さんは顔面打撲のほか、肋骨(ろっこつ)を折るケガを負っていた。司法解剖などで暴行と死亡の因果関係が認められれば、傷害致死容疑に切り替わるだろう」(同記者)
暴行があったとされる12月30日前後、近隣宅には怒鳴り声も大きな物音も聞こえてこなかったという。
「優しい子だからこそ…」
佐藤一家が引っ越してきたのは39年前。当時、大手自動車メーカーで働いていた三郎さんが20年近いローンを組んでマイホームを新築した。
聖一容疑者には妹がおり、一家4人の暮らしぶりは周囲には穏やかにみえた。
「物静かな一家です。ご両親は控えめな性格で、聖一くんと妹さんもおとなしい子。子どもたちはとっくに自立し、三郎さんが定年退職されてからは、ご夫婦で仲よく買い物に出かける姿も見かけました。お孫さんが遊びに来ることもあって幸せそうでした。でも、三郎さんが認知症になっていたとはまったく気づかなくって……」
と近所の主婦。
もともと無口だったという三郎さんは近所を徘徊(はいかい)することもなく、室内で暴れているとは想像できなかった。
聖一容疑者の母親はこの主婦に「息子とまた一緒に暮らすことになったの」とだけ話し、ほとんどの近隣宅に認知症のことを伏せていた。一家は静かに病気と闘っていた。
近所の男性は、母子の心中をこう推しはかる。
「認知症のことはご近所さんにも打ち明けにくかったのではないか。そんなに親しい付き合いをしてこなかったわけだし、ずっと家にこもっていれば周囲にはわからないから。ただ、言われてみれば、ここ最近は聖一くんの母親が買い物に行く姿ぐらいしか見たことがなかったかな」
聖一容疑者は地元の小・中学校などを経て県内の私立大学を卒業。近所では「優しい子」で通っている。10代のころは非行に走ることもなく、反抗期さえ窺(うかが)えなかった。
同級生は「そんなやついたかな、ってくらい目立たない生徒」と振り返る。
別の近所の男性は言う。
「優しい子だからこそ、仕事を辞めてまで介護生活に踏み切ったのだろう。認知症の介護は、やった者にしかわからない過酷さがある。だからといって手を出してはいけないんだけれども、優しい性格ゆえに、さまざまな忍耐を強いられる介護生活はつらかったのではないか」
三郎さんが暴行を受けてから亡くなるまでの数日間に年は明けた。3日未明、父親と同じ部屋で寝起きしていた聖一容疑者は異変に気づき、救急隊が来るまで必死に救命措置を続けていたようだ。自宅の玄関は今も正月飾りがかけられたまま、はずされるタイミングを失っていた。
◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)
〈PROFILE〉法曹界の専門紙「法律新聞」記者を経て、夕刊紙「内外タイムス」報道部で事件、政治、行政、流行などを取材。2010年2月より「週刊女性」で社会分野担当記者として取材・執筆する