来たる1月16日、故・石原裕次郎さんが設立した『石原プロモーション』が、50年以上にわたる歴史に幕を閉じる。
石原プロ、叶わなかった“店仕舞い”
「ド派手なことが得意で、それでいて律義でも知られる芸能プロダクションですから、当初は盛大な“店仕舞い”を考えていたようです」(ワイドショースタッフ)
ところが、1月8日から首都圏に緊急事態宣言が再発令されたことで、石原プロの“閉店式”は幻となった。
「当日の午前中は、事務所がある地元の神主さんを呼んで祈祷してもらう予定でした。裕次郎さんの写真と、昨年に亡くなった渡哲也さんの写真も額に入れて並べて、見守ってもらう形にして。神田正輝さんはレギュラー出演している大阪の生放送番組があるから欠席しますが、舘ひろしさんは参加すると聞いていました」(映画業界関係者)
厳かな雰囲気で始まった後、午後は、とある場所に移動して“セレモニー”の続きを予定していた。
「裕次郎さんが眠るお墓の前に関係者一同が整列して、会社を閉めた“報告”をするつもりでした。そうした一連の行事をテレビや新聞などのマスコミに密着取材してもらい、大々的に報じてもらって、全国にいるファンにも見せたかったんだそうです」(同・ワイドショースタッフ)
石原プロの始まりは、裕次郎さんが所属していた『日活』とは別の、個人的な事務所だった。手掛けた映画やドラマがヒットし、数々の伝説を打ち立てる芸能プロに成長し、所属俳優は“石原軍団”と呼ばれるように。
「創業当初から使用していた、実際の古い“看板”が存在するみたいでね、それも持って行って、裕次郎さんの墓前に報告をしたかったようなんだけどね……」(前出、映画業界関係者)
そんな石原プロを最後まで見守ることになった“二枚看板”はというと……。
神田正輝、舘ひろしの今後
「若い役者たちは別の芸能プロに移籍しますが、神田正輝さんは1人で仕事を続けるようです。女性マネージャーも連れて行くそうですが、大阪での生放送のレギュラー番組が毎週ありますから、それで十分というスタンス。もうセリフを覚えられないので、役者の仕事は受けないそうです」(テレビ局関係者)
一方の舘ひろしは、
「やはり女性マネージャーがいて、一緒に個人事務所を立ち上げるそうです。舘さんは、石原プロが“閉店”するその日まで、あえて何の準備もしていません。“親方”と呼んで人生の師とあおぐ渡哲也さんに対して、次の身の振り方を考えること自体が“仁義を欠く”といった考えなんでしょうね」(前出・テレビ局関係者)
石原プロの浅野謙治郎専務に聞いてみると、
「事務所を閉めるというのは明るい話題ではないし、こんな情勢だからそもそもマスコミを呼んで大々的にやるつもりはなく、ごく身内だけ」
とのことで、神田と舘の今後については、
「2人は事務所を閉めるまでは何も決めない、と聞いています。今後どうするかも聞いていません。事務所は閉めますが、3月まではマネジメントのお手伝いはさせていただきます。それまでに、それぞれが行き先を決めて落ち着くまでは、私たちも協力する。それだけです」
昭和に雄叫びをあげた太陽は沈み、代わって令和の夜空に星たちが静かに輝く。