今のテレビ情報番組は高齢者からの視聴率獲得に目が行きすぎてはいないか(写真はイメージです)

 東京と神奈川・千葉・埼玉の1都3県に再び緊急事態宣言が発令された。

 この二度目の宣言に関して各報道機関やSNSでは、さまざまな意見が飛び交っている。「遅すぎた」「罰則規定も入れるべき」というものもあれば「飲食店への狙い撃ちには疑問」「実効性はあるのか?」というような声もある。

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

 また日本医師会などによる「医療崩壊の危機」「すでに崩壊は起きている」という見解もある一方で、「『崩壊』は大げさだ」「新型コロナの患者を受け入れない医療機関が数多くある」という指摘も存在する。

 またGoToキャンペーンに関しても「GoToが感染拡大の元凶なので中止すべき」という意見と「旅行・飲食業界など経済を回すには必要」と言う意見の双方が見られる。

 それぞれ前者にも後者にも一定の論拠はあり、ここではそれぞれの「どちらが正しいか」は問わない。

“危機感をあおる”テレビ報道が目立つ

 そんな中で、目立つのはテレビのワイドショーなど情報番組による「遅すぎた」「医療は崩壊の危機」といった“危機感をあおる系統”の報道だ。

 そして「テレビがあおっている」という指摘も目にすることが増えている。

 この危機をあおりがちな傾向は、新型コロナウイルスの感染が拡大しつつあった昨年の春からすでに始まっていた。

 感染症の専門家が次々と画面に登場しては「クルーズ船の感染対策はまるでなっていない」「日本の対応は各国に比べて後手すぎる」と、新型コロナへの“恐怖感”を伝えながら政府・自治体などへの批判を繰り広げた。

 そして「PCR検査を!」「なぜすぐにPCR検査検査が受けられないのか?」という「PCR問題」にスタジオトークで多くの時間を割いた。

 苦渋の表情で悲観的な観測をする“専門家”が重宝されて、連日番組に登場したのである。

 それらは、少々不謹慎な表現をすれば「コロナバブル」だった。

 視聴者は不安・恐怖心から「コロナネタ」を熱心に見てくれる。

 外出が怖いので家にいてテレビを見る機会も通常よりは増えている。

 つまり、コロナを扱えば扱うほど「視聴率」が取れたのである。

 昨年春頃の、これらの放送がまったく役に立たなかったとは思わない。

 この時期の放送内容で新型コロナへの「向き合い方」を理解していった視聴者も多かったことだろう。

 一方で、一連のコロナ報道によって別の大きな問題もあらわになってきた。

 それは、視聴者の「分断」である。

 午前中の情報番組・ワイドショーを見ているのは、在宅の女性と高齢者がメインである。

 とくに高齢者にとっては、コロナウイルス感染による死亡率が高いため、「怖い」という感情が強い。

 それゆえに「感染者数は今後どうなる」「医療体制は大丈夫か」という情報を追い求める。彼らにとっては「自らの命」が心配で仕方がないのだ。

 政府や都道府県などの「お上」に対しても、感染への対応を強く求めていくようになる。

高齢視聴者が多い番組ほど不安に応えるように

 そこで多くの高齢者に見られているテレビ番組は、そんな高齢者の「不安」に応えるような番組作りを行っていく。

 高齢視聴者が多い番組ほど、その“期待”に応えている。「このままだと感染者激増」「医療崩壊の危機」「PCR検査をなぜ受けられないのか」と、高齢者の不安を“代弁”するような形の放送を行っていく。

「試聴者のみなさん、不安ですよね。検査受けられないのはオカシイですよね」

「出歩いたりすると感染者数が増えて、医療が崩壊します」

「年配の方は感染したら即、命が危ないです。でもこれだけ若い人は遊んでいます」

「それなのに政府は何をやっているのでしょう?」

 視聴者の心理は不思議なもので自らの「不安」を形にして放送してくれると、それを見ることで「みんな一緒で、みんな不安なんだ」と安心(?)するようなところがある。

 テレビによる一種の「共感力」なのであろう。

 検査体制の不備や、政府の対応などは、もちろん批判をされて当然である。

 その一方で高齢者をターゲットにしたテレビ番組が、コロナへの恐怖を結果的に“あおった”側面は否定できないだろう。

 とくに60代以上の高齢者の中には「情報源はテレビだけ」というケースも少なくない。

 スマホやパソコンを使う人は主流でなく、ネットの情報をいっさい目にしない高齢者もいる。

 そして新聞も、テレビ欄を見るくらいで中の記事を精読する高齢者は少数派だろう。

 高齢者が「コロナへの恐怖心」からテレビを見ると、そこでは自ら共感できる内容を放送している。

 こうして歪んだ共感力によってコロナをあおったテレビ番組は高い視聴率を獲得していったのである。その番組内容や出演者のコメントなどがネットニュースでも数多く取り上げられた。

 ネットユーザーはそうしたテレビ番組の視聴者のように高齢者が多数ではない。

 自らネットで、さまざまな視点からの情報を集めているケースも多い(その情報の正確性や、集めるユーザーの視点が正しいかどうかは別として、である)。

 ネットユーザーから見ると高齢者向け番組の内容は、「情報へのアクセス力が弱い高齢者に対して」「いたずらにコロナの恐怖をあおっている」ように見えてしまう。

テレビを見ない人が高齢者向け番組に反発

 そしてそのような内容を放送する番組とテレビ局に対して反発を覚える。同時にそのような内容を「テレビがそう言っていたから……」と“鵜呑み”にしてしまう視聴者=高齢者層に対してもネガティブな感情を持ってしまうのである。

 コロナ禍で会社の業績が落ちて給料が減った人、さらに仕事を失った人もいる。

 感染を避けるためにマスクをして、混雑している電車に乗って仕事にいく。

「コロナとどのように共存して、生活を成り立たせるのか」

 朝の時間帯にテレビを見ない人が、高齢者向け番組の内容をネットで知り反発する。

 一方の高齢者はネットを見ないので、自分たちがネットユーザーにどのように思われているかを知ることはない。

 このように昨年来の「コロナバブル」は、高齢者向けの番組にとっては高視聴率という“成果”をもたらしたが、一方で番組を見ない層との間に「分断」を引き起こしたのだ。

 テレビ局はもともと「ターゲット」を想定して番組を供給してきた。

 若者向けの音楽番組やバラエティー、子供向けのアニメ、高齢者向けの時代劇……。

 高齢者向けの情報番組に反発する年代も、夜には楽しんでいる番組があるだろう。

 そして朝の情報番組も「スッキリ」と「モーニングショー」のように一見同じジャンルながらも、それぞれ違うターゲットで競い合ってきた。

 それは、あくまで年代や興味の対象といったライフスタイルや興味での「棲み分け」にすぎなかった。

 しかしコロナバブルによって、朝の情報番組を見る高齢者と、見ない年代は双方が「理解し合えない」ことが一気に増えてしまった。

 従来の「棲み分け」が、今回のコロナバブルによって急速に「分断」へと転化したのである。

 アメリカでは大統領選後も、トランプ氏支持者とバイデン氏支持者の間で強い「分断」が起きている。

分断の修復はすぐには難しい

 日本のコロナバブルによる「分断」は、それとは性質が異なるが、アメリカの分断は当分の間、修復が難しいであろうことを考えると、事態は容易ではないと考えるべきではないだろうか。

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 テレビの制作者、とくに「コロナ報道」に関しては、自らが作る番組の内容が視聴者の「分断」を招きかねない、すでに招いているということを強く肝に銘じる必要があるだろう。

 私自身、いまも報道情報番組に携わる立場として、必要以上にあおらず、フェアに伝えることを自らに課していきたいと思っている。


村上 和彦(むらかみ かずひこ)TVプロデューサー、京都芸術大学客員教授
1965年生まれ、神奈川県出身。日本テレビ放送網に入社し、スポーツ局に所属。ジャイアンツ担当、野球中継、箱根駅伝などを担当する。その後制作局に移り、「スッキリ」「ヒルナンデス」「ブラックバラエティ」「24時間テレビ」など幅広いジャンルで実績を上げる。2014年、日本テレビを退社し、TVプロデュースの他、執筆、講演会など活動の場を広げている。現担当 : BSフジ「プライムオンラインTODAY」監修演出など。