第51回 三田寛子
正義は勝ってほしいし、真面目にこつこつ努力する人が報われてほしい。
誰もがそう願うでしょうが、現実というものは厳しいものです。ゴマスリのうまい人が上司にかわいがられたりしますし、カネとコネのある人とない人とでは、同じスタートラインにすら立つことができません。半沢直樹が実在しないからこそ、ああいうドラマが大ヒットするのではないでしょうか。けれど、よく探してみると、いないこともない。だから我々はそういう人たちに憧れを抱きます。
夫・中村芝翫に2度目の不倫報道
たとえば、八代目・中村芝翫夫人でタレントの三田寛子。15歳で親元を離れて上京し、アイドルとなった少女が梨園のプリンスと恋に落ちます。二人は結婚を誓い合うも、伝統芸能の世界の結婚はそう簡単ではなかった。プリンスと結ばれた後はいじめにも負けず、流産を乗り越えて3人の男児を授かった。その甲斐あって、2016年には夫と息子3人、合計4人が同時に襲名するという史上初の偉業を達成した……。
宮尾登美子センセイがご存命だったら小説にしてくれそうな「いいお話」ですが、やはり現実とはそんな甘いものではないのかもしれません。2016年、中村芝翫(当時、橋之助)は襲名直前に『週刊文春』に京都の芸妓との不倫を撮られてしまいます。妻である三田寛子は集まった報道陣に謝罪し、「ここからが彼の男として、人としての見せどころ」とコメントしました。やってしまったことは消せないのだから、これからの行動で信頼を取り戻していくという意味だと私は理解しましたが、まーたやっちゃった。『週刊文春』によると、芝翫がアンジェリーナ・ジョリー似の30代女性と不倫をしていたというのです。
『文春』によると、相手の女性は歌舞伎ファンで、芝翫襲名の際は240万円の鏡台をプレゼントしたそうですから、ご贔屓筋の一人なのかもしれません。そうであれば、芝翫も無下にはできないでしょうし、芝翫は不倫関係を否定していますから、本当の関係がどんなものなのかはわかりません。
しかし、こういう報道がされることで、イメージが悪くなることは間違いないでしょう。オンナにだらしない夫というのは今の時代は間違いなくヤバ夫ですし、二度も不倫されるなんて三田サンがヤバい妻、仮面夫婦だという見方をする人もいるかもしれません。襲名時、家族の絆を押し出していただけに、たとえ3人の息子たちが「不倫をしても、尊敬する父です」と言ってもちょっと無理がある。「好事魔多し」と言いますが、幸二(芝翫の本名)何してんねんという話です。
しかし、こんなことで負ける三田サンではないと私は信じています。
「私は芸能界で成功したい」15歳で上京
三田サンはああ見えて、なかなかの苦労人です。2016年4人の同時襲名と銀婚式を記念して出版された半自叙伝『銀婚式』(中央公論新社)によると、三田サンは京都育ち。お父さまは紋付きに使う生地を黒く染める、黒染め屋さんを営んでいましたが、戦後の着物文化の衰退で家業が傾いてしまいます。最終的には商売をたたんで、タクシーの運転手になって家族を養ってくれたそうです。
そして中3のときに『セブンティーン』の読者モデルに応募し、合格。それを見た事務所から声がかかり、芸能界デビューすることになったそうです。ご両親の苦労している姿を見ていたことから、「私は芸能界で成功したい。故郷に錦を飾れるようになるまでは、絶対に京都に帰らない」と矢沢永吉ばりのガッツで上京します。『銀婚式』によると、三田サンは芸能界入りした後、実家への仕送りをし、電話代も惜しんで貯金、二十歳のときにお風呂のない家に住んでいた両親のために家をプレゼントしたそうです。相当、芯が強いことがうかがえます。
気の強い人のほうが、忍耐力も優れている
加えて、ヤバいくらい気も強い。2016年9月11日放送の『ウチくる?』(フジテレビ系)で、三田サンが19歳のときのインタビュー記事が紹介されます。それによると、《浮気は男の甲斐性やなんていわれると、ムカムカして頭がおかしくなりそう。そうなったら即、荷物まとめて家を出るの。それからダンナさんの実家に行こうと思う。自分の実家だと、負けたみたいでしょう。あちらのお母さんに“お宅の息子さんは……”なーんて文句いってる場面を想像したりしてね》と答えています。
夫が浮気をしたら夫の実家に怒鳴り込むと言っていた人が、「夫の不祥事は妻の不始末」と言われがちな梨園に嫁ぐのですから、人生わからないものですが、実はこれくらい気が強い人のほうが、「耐える女」の牙城には向いているのかもしれません。攻撃は最大の防御と言いますが、いざとなったらやってやる! ぐらいの攻撃力がある人のほうが、忍耐力も優れていると思うからです。
実際、結婚してみると、意味のわからないことで怒られることも多々あったといいますが、「わからないことだらけでも、叱られてばかりでも、絶対に負けるものか」とまたしてもファイトを燃やしたそうです。
芝翫襲名の際、三田サンとお姑さんは『女性自身』で対談していますが、ここでお姑さんから「寝る間も惜しんで、何から何まで一人で頑張ってくれているものね」と労われています。長い時間をかけて、お姑さんにも認めてもらういいお嫁さんになれたということでしょう。その昔、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)で料理が全然できないキャラだった三田サンを知っている身からすると、たいしたものだなと思います。
妻が火消しに走るのは夫にとって好都合
しかし、違和感がないこともないのです。三田サンは不倫を報じた『週刊文春』のインタビューで、「私はあなたのお母さんじゃない! と言いたい。人生のパートナーなんです」と答えています。しかし、私には彼女が芝翫のお母さんにもパートナーにも見えないのです。
というのは、『銀婚式』内ではもちろんのこと、三田サンはテレビに出るときも、お舅さんやお姑さんを「お父さま」「お母さま」と呼び、敬語を使っています。一般論で言えば、大人が他人サマに身内のことを話すときに、敬語は使わないもの。また、『銀婚式』内では「成駒屋の看板に泥を塗らない」「ご先祖さまやご贔屓筋に申し訳が立たない」と繰り返し書いています。続いていくことに意味がある伝統のお家ならではの考えでしょうが、私には彼女が「芝翫の妻」というより、何よりもお舅さんとお姑さんなど「婚家ウケ」を気にしているように見えます。そうだとすると、人前で敬語を使うのもむべなるかなでしょう。
それはさておき、もし夫の不倫が「成駒屋の看板に泥を塗る」ことに該当するのなら、三田サンは妻としての自分の気持ちは押し込めて、火消しに走らなくてはならなくなります。それは芝翫にとっては好都合でしょう。不倫しても彼女は「家名に泥を塗らない」ために怒れないのですから。芝翫は実質フリーみたいなもので、今後もこのような報道は続くのではないでしょうか。
また三田サン自身もヤバいと言われるリスクを秘めています。3人の息子がいるということは、お嫁さんが3人来る可能性があるということ。「成駒屋の看板に泥を塗らない」お嫁さんをもらうために、時には心を鬼にして、息子の恋愛を引き裂かなくてはならないかもしれません。物慣れた年齢の人なら「無理に結婚しても、結局幸せになれないのだから」と肯定的に受け止めるでしょうが、若い世代には「鬼のような姑がいるヤバい家」と言われないとも限らないですし、タレントとしてもマイナスです。「成駒屋」のことを考えすぎると、全部、彼女が泥をかぶることになってしまう気がします。
『銀婚式』を読むと、三田サンが苦労をするたびに強くなることがわかります。たった15歳で芸能界入りするときに「転んでも滑ってもただで起き上がるものか」と誓ったそうです。きっと、今回のこの騒動も糧にしてもっともっと強くなるでしょう。芝翫はそんな妻のヤバいくらいのすごさや怖さをわかっていないのかもしれません。
<プロフィール>
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ。会社員を経てフリーライターに。『サイゾーウーマン』『週刊SPA!』『GINGER』『steady.』などにタレント論、女子アナ批評を寄稿。また、自身のブログ、ツイッターで婚活に悩む男女の相談に応えている。2015年に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)を発表し、異例の女性向け婚活本として話題に。好きな言葉は「勝てば官軍、負ければ賊軍」