1月13日、俳優の綿引勝彦さんが昨年末に亡くなっていたことがわかった。
「12月30日に膵臓がんで死去。妻で女優の樫山文枝さんは、本人の意思で病気を伏せていたと話しています。2018年8月にがんが発見され、昨年2月から本格的な化学療法を始めていたそうです。自宅で療養を続けていましたが、12月25日に体調が急変。眠るように息を引き取りました」(スポーツ紙記者)
都内に住む綿引さんの実姉も病気のことを知らなかった。
「あの子は、人にはそういう弱みを見せたくないんでしょうね。文枝ちゃんがそばにいて最期を迎えられたのはいちばんよかったんじゃないかと思っています。周囲に対して、元気な姿で生き抜いたのも姉としてはよかった……」
彼がお茶の間に広く知られるようになったのは、1991年から1999年まで放送されたドラマ『天までとどけ』(TBS系)がきっかけだった。
「綿引さんは1965年に『劇団民藝』に入団し、演劇の世界へ。“コワモテ”の風貌をいかし、時代劇映画やヤクザ映画で活躍していましたが『天までとどけ』は、一転して温厚な父親役に抜擢。母親役の岡江久美子さんと一緒に8男5女の大家族“丸山家”の夫婦を演じていました。ドラマも好評で、最高視聴率は19・1パーセントと昼ドラとしては異例の大ヒット。次男を演じた河相我聞さんは、今も活躍しています」(前出・スポーツ紙記者)
“コワモテ”とは真逆の素顔
ドラマと同様、実生活でもよき夫だった。自宅の近所に住む女性は、綿引さんがとてもきれい好きだったと語る。
「ご自宅の庭の掃除はもちろん、裏にある公園の掃除までしてくれるほどでした。公園を掃除する人は私と綿引さんだけで、よくお会いして“また会ったね”って笑い合うお掃除仲間だったんです」
夫婦で散歩する姿もよく見かけたという。
「ふたりで仲よくお散歩していましたよ。綿引さんは“おはよう!”とか“おうっ!”って笑顔で声をかけてくれました。ドラマのイメージのまま、近所に溶け込んでいました」(同・女性)
近所にある行きつけの寿司店『二葉』の店主の男性も、在りし日を振り返る。
「私の母と樫山さんがもともと親しくて、お店を始めた48年前からの付き合いでした。綿引さんが元気なときは週2、3回は夫婦で一緒にいらっしゃっていました。お酒もお好きでしたが、おかわりをしようとすると樫山さんが“もうダメよ”って優しく制することもありましたね。
先代である父が亡くなったときは、綿引さんは地方での舞台があって“駆けつけられないから”と、わざわざ直筆で長文の手紙を送ってくれたんです。達筆なお手紙を読みながら、母と感激したことを覚えています」
『天までとどけ』の“家族”について話していたことも。
「“子役の俳優さんたちがかわいいんだよ。みんな大きくなっちゃってね~”って、よく言ってました。10年以上前、岡江さんといらしたこともあります。岡江さんも、あのままの明るくて気さくな方でした。まさか同じ年に亡くなるとは……」(『二葉』の店主の男性)
岡江さんは、昨年4月6日に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。立て続けに“両親”を亡くした子どもたちは悲しみに暮れている。
河相は1月13日にブログを更新。
《お母さんに続いてお父さんも亡くなってしまうなんて…未だ実感がありません》
四男・五郎を演じた須藤公一もコメントを発表した。
《お2人の事を“お父さん”“お母さん”とずっと呼べた事幸せでした 感謝しかありません。謹んでご冥福をお祈り申し上げます》
まるで本当の家族のように
長く家族を演じているうちに、実の親子のような絆ができていた。
「綿引さんにはお子さんがいなかったんですが、本当にお父さんのような存在になっていました。子役たちが撮影中、勝手に話してもアドリブでフォローしたり、彼らに手本を見せるかのようにセリフを完璧に覚えて現場に入って、NGを出しませんでしたね」(前出・スポーツ紙記者)
それだけ密接な時間を共有していたせいか、放送開始から30年という月日が流れても、いまだに“家族”の交流は続いていた。
「毎年、元子役たちが同窓会を開いてるんです。タイミングが合ったときは、綿引さんや岡江さんも参加していました」(芸能プロ関係者)
本当の家族のようだった丸山家。だが、長女・待子役の若林志穂にわだかまりができてしまった。
“長女”がいじめを告白
「若林さんは『天までとどけ』終了後も女優として活動していましたが、2001年に都内で刃物を持った男と警察官のもみ合いの末、両者が死亡する凄惨な現場に不運にも遭遇しPTSDを発症。1度は芸能界に復帰したものの、2009年9月に引退を宣言しています」(前出・スポーツ紙記者)
表舞台に顔を見せなくなっていたが、2017年7月になって週刊女性に衝撃の告白をした。『天までとどけ』のメンバーが再会する様子を放送した番組に、自分だけが呼ばれなかったというのだ。
「『天までとどけ』に待子が存在していないかのような作りになっていました。そもそも、私には出演のオファーすらありませんでした」
さらに、ドラマの撮影中に共演者からいじめを受けていたとも話した。週刊女性は当時、岡江さんを直撃して事実関係を確かめてみたが、
「絶対ないですよ。私も綿引さんも子どものように可愛がっていたし。セリフは多かったし大変だったかもしれないけど。待子はなんでそう思っているんだろう?」
困惑した表情で語り“家族”の中に溝ができてしまったことに心を痛めていた。
「綿引さんも岡江さんも、若林さんのことをずっと気にかけていました。いつの日か彼女の誤解を解いて、“丸山ファミリー全員で再度集まるのが夢なんだ”と漏らしていたんです。それなのに岡江さんが亡くなり綿引さんまで……。本当に残念だなと思います」(前出・芸能プロ関係者)
残された“丸山ファミリー”は2人の思いをどのように受け取るのだろうか。