大仁田厚

お茶の間の人気者から、一転。文春砲が見事に当たり、急降下の展開になってしまった原田龍二。ただひたすら反省をし続ける彼が、同じく世間を騒がせた有名人と語り合う! 第23回は、“邪道”という言葉を背負い生きるプロレスラーの大仁田厚。以前から彼のファンだという原田は、大仁田の背中に何を感じ取ったのか──。

 どんなに派手に転んでも、傷だらけで立ち上がる。1年半前に犯した過ちを胸に刻んで前進する芸能界のはみだし者、原田龍二(50。彼が今回、言葉を交わすのは齢63歳の現役プロレスラー、大仁田厚(63)だ。

 大仁田といえば、現役引退と復帰を7度繰り返し、その間に参議院議員に当選して国政に進出するなど、異色すぎる経歴を持つレスラーとして“邪道”の異名をとる人物。邪道とはみだし者のデスマッチの、ゴングが鳴った!

「原田龍二×大仁田厚」対談

原田 大仁田さんにお会いできて本当にうれしいです!

大仁田 俺も楽しみでしたよ!

原田 実は僕、大仁田さんが全日(全日本プロレス)にいらっしゃるときにチャボ・ゲレロ戦を見てたんですよ! 

大仁田 本当に!?

原田 はい。ずっと大仁田さんのファンなんです……!

大仁田 すごくうれしいけど、参っちゃうなあ(笑)。そういえば、2016年にチャボ・ゲレロに来日してもらって、タッグを組んだんだよ。

原田 そうだったんですか! 見たかったなあ。'82年に大仁田さんがNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座をとったとき、ゲレロにトロフィーで殴られましたよね。あれはアクシデントだったんですか?

大仁田 アクシデントです。彼もプライドを持つ男だったから、当時は必死だったんじゃないかな。

原田 そうだったんですね。衝撃的なシーンだったので、鮮明に覚えてます。

大仁田 この世は、必死に生きてる人が全員報われるわけではないけど、諦めない一生懸命さを持っていたい、とは思いますね。

 ある意味、人生において開き直りは必要だと思う。俺なんて、何回開き直ってきたことか……。あ、でも今回の対談のテーマは反省だった。反省してます!(笑)

原田 アハハ! プロレスが好きなので、僕もついテーマを忘れてしまいました(笑)。これからも反省はしつつ、後悔していることはありますか?

表現者はどんなときも“楽しい”と思うしかない

大仁田 思い返すと「こうしておけば」とかいろいろ考えるけど、後悔はしてない。以前『しくじり先生』からオファーがあったんだけど、自分の中では“しくじり”という感覚はないんだよなあ。人生がどこで完結するかわからないけど、自分でも面白い人生を歩いていると思うよ。

原田 はたから見ても、大仁田さんの人生は唯一無二ですからね。

 僕は、この自分の人生に起きる出来事はすべて“必然”と思っているんです。この1年は自分でやらかした不祥事に首を絞められましたけど、巡り巡って自分の対談連載で大仁田さんにお会いできて、チャボ・ゲレロ戦の話ができるのも必然かなあ、と。

大仁田 必然かあ。俺はレスラーだけじゃなくて、役者をやったり、参議院議員になったり、いろいろな場所でいろんな人を見てきた、邪道の人生なんです。その経験から言うと、原田さんは「生き抜く人」だと思います。そうじゃなきゃ、全裸の日めくりカレンダーを出したりしない!

原田(爆笑)。不死身の大仁田さんにそう言っていただけて、すごくうれしいです!

大仁田 俺はそのカレンダーは買わないけどね。

原田 買わなくていいです!(笑)

大仁田 ここで社交辞令を言ってもしょうがねえから、買うなんて言わないけど、原田さんのカレンダーのニュースを見て「やるねえ」と思ったよ。いやあ、原田さんは這い上がる人だね。

原田 光栄だなあ。

大仁田 生きてるとドツボにはまることはあるけど、俺たち表現者は、いいときもどん底も“楽しい”と思うしかない部分はありますよね。

(左から)原田龍二と大仁田厚

原田 たしかに、大仁田さんは人生を楽しんでる印象があります。

大仁田 模索しながら、がむしゃらに生きるのも楽しいですよ。俺も原田さんも、いろいろな波があるかもしれないけど、それを乗り越えることが運命だし、乗り越えられる強さが問われてる時代だから。尊敬される人より、記憶に残る人間になるのがテーマですね。

原田 同感です。すでに、大仁田さんの生きざまはプロレスを知らない人にも焼きついている。これは、本当にすごいことだと思います。

ジャイアント馬場さんとの思い出

原田 大仁田さんに直接お聞きしたかったんですけど、どうして(ジャイアント)馬場さんの付き人になったんですか? 

大仁田 全日に入門したのは、本当に“たまたま”なんですよ。高校を中退して、リュックサックひとつで日本1周の旅に出ている最中に実家が火事になって、呼び戻されたんです。

 実家で瓦礫を片づけてるときに「今さら日本1周してもしかたないだろ」と親父に言われて、馬場さんとつながりがあるプロモーターを紹介されて15歳で入門しました。両親の離婚後、俺は親父に引き取られて。とにかく早く自立したい思いも強かったですね。

原田 馬場さんって、どんな人だったんですか?

大仁田 繊細な人だったねえ。読書家だし、油絵も描いていた。すごく堅実だしね。「おーい、大仁田」と呼ばれて馬場さんのところに行くと、「俺のズボンのポケットに入ってた小銭はどうした?」って言うわけ。俺はネコババしないよ。だけど、馬場さんのコーヒーなんかを買うのに、その小銭を使っちゃったからもうないわけ。内心は“ジャイアント馬場さんが小銭数えちゃダメだよ”って思ってました(笑)。

原田 アハハ! なんだか、かわいらしい人ですね。

大仁田 いやいや、全然かわいくないけどさ(笑)。『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる“ぬりかべ”みたいだし、夫婦ゲンカの仲裁はやらされるし。でも、世間知らずの俺を拾ってくれた大先輩であり師匠だし、すごくカッコよくて、大好きでしたよ。出会った師匠を好きになれるかどうかで、その後の人生は大きく左右されると思う。

原田 15歳の少年にとって、師匠は特に重要な存在ですよね。

大仁田 そうそう。聞いた話では、俺は馬場さんからいちばんかわいがられた弟子だったらしいよ。役者をやらせてもらったときは渡哲也さんに目をかけてもらったし、議員時代は九州の道路族のドン、古賀誠先生にかわいがってもらったし……。なぜか、ボスに好かれるんだよなあ。

原田 それはきっと、大仁田さんの人間力がなせるワザだと思いますよ。

(左から)大仁田厚と原田龍二

アンチコメントに「死ねるわけねぇ」

大仁田 原田さんもわかると思うけど、今は何かやればネットで叩かれる時代でしょ。こんな商売をしていると、大量に「死ね」って書き込まれることもあるから、極力ネットは見ないようにしてます。

原田 僕も基本的には見ないですね。否定的な書き込みを見たとき、どう感じました?

大仁田「お前のために死ねるわけねえだろ」と思ったね。

原田 そうですよね。そもそも、大仁田さんは危険を伴うお仕事をされてるじゃないですか。いつ死んでもおかしくない。プロレス史上、もっとも流血しているレスラーだと思うんですよ。

大仁田 たしかに、命の危険がある「敗血症」になっても死ななかった。神様が不思議と生かしてくれてるから、今さら顔もわからないやつに死ねって言われてもねえ。

原田 普通の人なら死んでますよね。爆破されても死なないのは、意味がわからない! 

大仁田 でも、あれは危ないんだよ。

原田 そりゃ危ないですよ!(笑)

大仁田 しょっちゅうヤケドしてるし、今は試合する前にPCR検査も受けなきゃいけないし……。いろいろ大変な部分はあるけど、プロレスは最後までやりたい。80歳のおばあちゃんが試合を見に来てくれたり、昔のプロレス少年が子どもを連れて観戦に来てくれたりして、今はそいつらが支えてくれてるからね。

原田 大仁田さんが登場すると、みんなが元気になりますからね。雲間から出てくる太陽みたいですよ! 

大仁田 ずいぶんヨイショしてくれるじゃねえか(笑)。今度、俺とリングに上がってくれよ。

原田 本当ですか!? 絶対に行きます!

原田龍二「本日の、反省」

 大仁田さんを読み解くキーワードは“邪道”。邪道とは言い換えてみれば、唯一無二ということ。本流の人にはまねできない生き方をされてる証拠ですよね。プロレスファンでなくてもその生きざまを目撃している、大仁田厚という表現ですよね。会ってお話しするだけで元気になれるし、もともと前向きな僕でも「落ち込んでる場合じゃない」と背中を押されました。大仁田さんは元気の先輩です!

PROFILE●はらだ・りゅうじ●1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。現在、YouTubeチャンネル「原田龍二の湯〜チューブ!」を配信中!
PROFILE●おおにた・あつし●1957年、長崎県生まれ。1973年に全日本プロレスに入門し、ジャイアント馬場の付き人を経て、NWAインターナショナル世界ジュニアヘビー級王座に就く。40歳で高校入学、2001年に明治大学に入学。同年、第19回参議院議員選挙比例区にて初当選を果たす。プロレスラーとしては2017年に7度目の引退をするが翌年、復帰。“邪道”“涙のカリスマ”として、熱い支持者を持つ。

【取材・文/大貫未来(清談社)】