左上から時計回りに、高嶋ちさ子、飯島愛さん、上沼恵美子、河北麻友子、野村沙知代さん、田中眞紀子

 かつての芸能界において、毒舌は男の役目だった。1970年代あたりまでは、ラジオなどでも女性のパーソナリティーは癒し系やお色気系と決まっていたものだ。

 しかし『毒舌第1世代』ともいうべき、のちに世の中を席巻する女性たちのエネルギーはマグマのように煮えたぎっていた。

 上沼恵美子は姉との漫才コンビ『海原千里・万里』として頭角を現し、和田アキ子は『うわさのチャンネル!!』、泉ピン子は『ウィークエンダー』(ともに日本テレビ系)でそれぞれバラエティータレントとしての異能を発揮。デヴィ夫人が帰国してヌードを披露したかと思えば、野村沙知代さんはダブル不倫からの略奪婚で勇名を馳せていた。

 彼女たちは「戦後、強くなったのは女と靴下」という社会変化をまさに象徴する世代だったのだ。

松田聖子がムカつく

 ただ、女性が毒を吐いてもいい風潮に火をつけたのはもっと若い世代である。1980年、漫才ブームのなかでひと組の漫才コンビが世に出た。『春やすこ・けいこ』だ。彼女たちは、この年にデビューして一躍スターになった松田聖子のことを「しっかし、あの子、むかつくな」とネタにすることでブレイク。そのきっかけについて、やすこはこう回想している。

「ある日『ヤングレディ』って女性誌を見てたら、芸能人の悪口だらけ(笑)。『人生幸朗・生恵幸子』さんが“ぼやき漫才”なら“悪口漫才”があってもいいだろうって」(アサ芸プラス)

 そこで、聖子の「ぶりっこ」や「うそ泣き」を面白おかしくネタにしたわけだが、本人に会った際「ネタにさしてもろうてます~」とあいさつしたところ「むしろニコニコされましたよ」と言う。この聖子のほうが怖い(笑)。そう、女性の毒舌に市民権を与えたのは、空前の漫才ブームと不世出の打たれ強いタレント・聖子の登場という奇跡のシンクロだったのだ。

 そんな漫才コンビが第2世代だとしたら、第3世代は1980年代後半に現れたバラドルたちだろう。いわば、アイドルブームゆえの供給過多状態により居場所を得られなかった人たちによる苦し紛れの生き残り策。

 その先駆者のひとり・井森美幸は世界的芸術家・岡本太郎ですら平気でいじった。

「このおっさん、アブないです」

 若くてそこそこ可愛い女性なら、大物の男性をいじっても許される、というのは今も昔も変わらないものの、それをテレビで堂々とやれるようになったのは、このあたりからなのである。

 そしてもうひとつ、ミュージシャンの本音トークというものも人気を博した。中島みゆきは深夜ラジオの『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)で皮肉の効いたしゃべりを披露。ライバルの松任谷由実も自分のラジオ番組を持ち、独自のセンスで時代や恋愛を語った。このツートップもまた、女性が自由にトークする楽しさを世に伝えたのだ。

 とはいえ女性の毒舌はこのあと、いったん下火になる。

 バブル景気が絶頂に達し、日本人、特に若い女性は歴史上最も裕福な時代を迎えたのだ。アッシー、メッシー、ミツグ君のおかげで満ち足りていたのか、この時期、女性の毒舌はあまり聞かれず、求められてもいなかった。「金持ちケンカせず」とはこのことだろう。

 しかし、バブルは1991年に崩壊。しばらくはその余熱が残ったが、しだいに世の中は閉塞していき、毒舌がまたウケるようになった。

 というより、黄金時代が訪れる。その担い手が前出の第1世代だ。

 1997年には『快傑熟女!心配ご無用』(TBS系)という人生相談番組がスタート。和田アキ子が司会で、野村沙知代さんら海千山千の熟女タレントたちがレギュラーに顔をそろえた。特にサッチーは「男性にモテない」と悩む一般女性に対し「あなた、ワキガ?」と聞くなど、やりたい放題だったが、衆院選に担ぎ出されるほどの人気を得た。

 そんな毒舌界の女帝というべきサッチーに、果敢と立ち向かった若手もいた。神田うのだ。

2005年8月、『高須クリニック』の美容イベントに出席した野村克也さん、沙知代さん夫妻

 1998年には、サッチーがうのをビンタするという騒動も勃発。不仲だったふたりを共通の知人である美川憲一がとりなし、仲直りさせようとしたところ、

「あんた、ちょっと叩かせなさいよ」

 と言って、頬を叩いたのだという。ちなみに、不仲となった原因は、サッチーの夫・野村克也さんが監督を務めるヤクルトのエース・石井一久(現・楽天GM兼任監督)と、うのが交際していたこと。サッチーはそれをよく思わなかったのだ。プロ野球が絡んだことで世の男性の関心も集め、このバトルはワイドショーやスポーツ紙をにぎわせた。結局、石井投手とは2年半で破局となったが、うのはそのさい、

「目の上のタンコブがいなくなって、彼女的にはよかったんじゃないですか?」

 と、サッチーを皮肉った。

ギャルに説教した鈴木その子さん

 このふたりの関係はある意味、嫁姑の構図にも通じるもの。数年後には、第1世代の毒舌女性と若手による現実の嫁姑バトルも注目された。和泉節子と羽野晶紀だ。

 また、熟女と若手といえば“美白の女王”鈴木その子さんがガングロギャルを説教するというテレビの企画でブレイク。これらの騒動はいずれも、年配女性たちのたくましさを強く印象づけた。

 さらに第1世代には、政界で人気者になった人もいる。田中眞紀子だ。1998年には自民党総裁選に立候補した小渕恵三、梶山静六、小泉純一郎の3人を「凡人、軍人、変人」と形容して、話題に。こうした芸風(?)がウケて、のちに女性初の外務大臣にまで上り詰めた。

 ただ、彼女の毒舌はまさに諸刃の剣であり、首相になった小渕が重病に倒れたときには「オブチさんがお陀仏になっちゃった」と発言して、ひんしゅくを買ったりした。最終的には人気を失い、2012年に落選して今では「ただの人」である。

 2000年、1冊のベストセラーが生まれた。飯島愛さんの『プラトニック・セックス』だ。彼女はそこに、中学時代の非行や家出、同棲、性病感染、妊娠中絶、AV出演などの過去を綴り、その半生は映画やドラマにもなった。

 この告白本の成功により、カリスマ性を高め、ご意見番的なポジションを獲得する。もっとも、それ以前からトーク、それも毒舌には定評があった。むしろ、毒舌でブレイクしたといえるほどだ。

飯島愛さん(2006年)

 出世作『ギルガメッシュナイト』(テレビ東京系)にはお色気要員として起用され、Tバック姿で出演。しかし、若手芸人に「あんた、だから伸びないのよ」とダメ出ししたり、ときにはメイン司会の岩本恭生にすら「スケベオヤジ」呼ばわりしたりするのが面白がられ、サブ司会に昇格した。

 その岩本は、彼女の毒舌について「捨て身」なものを感じたという。

「そんな愛ちゃんの一生懸命さは、僕には好感の持てるものでした。(略)芸能界って、意外とフランクではなくて、上下関係が厳しく、周囲が許すか許さないかで、その人のキャラクターがずいぶん違ってくるものなんです」(『独りぼっち 飯島愛 36年の軌跡』豊田正義)

 文字どおり、裸一貫で芸能界に飛び込んだ彼女の毒舌はまさに生きるためのもの。しかも、彼女は必ず、収録後に「言いすぎちゃってごめんなさい」と謝ったという。それゆえ、誰からも許され、むしろ愛されたのだろう。

名子役から毒舌キャラへ

 同じころ『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)などで飯島さんとも共演して、やはり毒舌でブレイクしたのが杉田かおるだ。こちらは、かつての名子役。ただ、ブレイクへの過程には似たものがあった。

 10代半ばから酒やケンカに明け暮れ、借金を背負い、病気の薬で副作用にも見舞われ、自殺も考えたほど。親は離婚し、仕事も干されたりした。30代に入ると、結婚詐欺にも遭い、そこからヘアヌード写真集で巻き返そうとする。そんな過去を自伝『すれっからし』(1999年)で告白し、そのあたりから毒舌女優として再び脚光を浴び始めるのだ。

『すれっからし』には、昔を知る演出家の和田勉から「亡霊」「全然別の人」と呼ばれたことで、子役時代の栄光を捨てられたことも書かれている。

《わたしは死んだ。そう思うと身体中の力が抜けていくかのように、気が楽になった。(略)新しいわたしが生きればいいのだ。自由に生きればいいのだ、と自分にいいきかせた》

 もともと彼女は毒舌系で、子役時代には女優に挑戦したキャシー中島に対し「おねえさん、だめね。女優に向いていないわね」と言って、落ち込ませたという。妹からも「トーク番組とか、素顔でしゃべる番組に出ちゃだめ。性格が悪いのがすぐにわかるから」と釘をさされるほどだったが、その「素顔」がウケることになるのだから、人生はわからない。性格が悪いのではなく、正直なだけだったのだろう。

 飯島さんと杉田、第4世代というべきふたりの登場で“毒舌黄金時代”はひと区切り。これが落ち着くと「エンタ芸人」のブームがやってきた。『エンタの神様』(日本テレビ系)で人気に火がついた青木さやかはさしずめ第5世代。かつて、春やすこ・けいこは聖子をネタにしたが、青木の矛先は女子アナだった。もてはやされる女子への嫉妬もまた、毒舌の源泉なのだ。

 2010年代になると、いよいよあの人が登場する。いまや「ご意見番」とまで呼ばれ始めた高嶋ちさ子だ。

 本業はバイオリニストだが、勉強とゲームについての約束を破った息子に対する「ゲーム機バキバキ」事件で時の人に長嶋一茂や石原良純のような年上の有名セレブ相手にも物怖じせずにずけずけ言う姿がウケて、3人でトーク番組『ザワつく!金曜日』(テレビ朝日系)を持つまでになった。

 そこには自分もまた、いっぱしの者だという自信がプラスに働いているのだろう。本業での成功に加え、それなりの美人だし、父はビートルズを日本に紹介したことで知られる音楽ディレクター。夫も名家の出身で、高嶋政宏・高嶋政伸兄弟はいとこにあたる。

車に乗って出てきた高嶋ちさ子('19年3月)

 それゆえ、毒舌を吐かなくても生きていけるということか、今年の元日には「他人、身内への八つ当たりを減らしたいと思います」と、インスタグラムで宣言。ただ、そのイメージは揺るがないだろう。

 というのも、最近の彼女は『ザワつく!金曜日』でもそんなに毒舌を発しない。一茂や良純にしゃべらせるだけしゃべらせておき、無言でにらみをきかすことにより笑いをとっている。昔の剣豪が構えだけで相手を威圧したように、もはや名人の域なのだ。まさに、唯一無二の第6世代である。

 ちなみに、ちさ子は50代だが、少し下の年代にも小池栄子のような「ご意見番」候補がいる。宮迫博之が不倫騒動を起こしたときには、本人を前に、

「しょうもないコメントをしてるなと思いながら見てましたよ。だって期待するじゃないですか、どういう弁明するんだろうって」

 と切り捨て、話題になった。

毒舌界の“第7世代”が台頭

 さらに最近、目立つのは、もっと若い芸能人の毒舌ぶり。そのタイプもさまざまだ。大野智の年齢(当時34歳)について「もうちょっと上だと思ってた。40歳くらい?」と口走り、嵐ファンを怒らせた広瀬すずのような天然系に、テレビ朝日の弘中綾香アナのようなあざと可愛い系、ファーストサマーウイカのようなネオヤンキー系、そしてハーフや帰国子女といった「日本人ばなれ系」など、いわば第7世代である。

 彼女たちは上の世代とはうまくやっているし、可愛がられてもいる。例えば先日、結婚で話題になった河北麻友子はデヴィ夫人のお気に入りだ。アメリカ育ちの帰国子女で本音丸出しなところが、海外生活の経験豊富な夫人にとって親しみが持てるのかもしれない。

『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)では、河北に対し「爪ようじ」「ぺチャパイ」などの昭和っぽい体形いじりをしつつも「あなた、最高の秘書になれるわ」と絶賛。アメとムチを使い分けながら、うまく手なずけている。

 思えば、第1世代の夫人が何度となく舌禍騒動を起こしながらもここまで生き残れているのは、こうしたバランス感覚の賜物でもある。

 毒舌こそ、バランスが大事なのだ。それゆえ、毒舌の世界は深い。