「こうしてお話ししている今も“これでいい”という気持ちと“言いたくない”という気持ちとが揺れ動いています」
悲壮な覚悟を持って、そう語りだしたのは靴職人、アーティストとして活動する花田優一氏。“平成の大横綱”と呼ばれた貴乃花光司を父に持ち、母は元フジテレビアナウンサー・河野景子さんという有名な一家の長男だ。
優一氏と貴乃花の親子ゲンカ――優一氏がテレビやイベントへの出演など表立った活動が増えた'17年ごろから、貴乃花から優一氏への苦言や突き放すような厳しい態度がテレビや新聞、雑誌を賑わせてきたのはご存知のとおり。
そこに貴乃花の元弟子・貴ノ岩暴行騒動に端を発する日本相撲協会とのトラブル、決別退職、そして妻であった景子さんとの電撃離婚……といった騒動が立て続けに起こり、それらの元凶が“長男・優一だ”とする報道がなされたこともあった。“不肖の息子”と言われ続けてきた優一氏が意を決して告白するのは、貴乃花と世間からの声に対する、自身の葛藤だ。
「いままでずっと、僕は父については黙ってきました。父の発言に対して僕がひとつひとつコメントしたり、あるいは反論したり、父を悪しざまに言ったことは1度もありませんし、言いたいと思ったこともありません。そのいちばんの理由は“家庭内のこと”だと僕は思っていたからです。家族間での意見を世間様に晒すというのはみっともないことだと思っていたからです」
発言は風化すると真実にすり替わる
'17年1月に初めてテレビ出演して以降、自身もメディアや世間一般からよくも悪くも注目を集めるようになった。
「ただ、だからこそ“何があっても父の悪口になるような発言はしない”ということが家族の、僕と母で取り決めたルールで。父や世間から何をどれだけ言われても黙っていれば、いずれ風化していくと信じていました」
優一氏の気持ちが変わったのは、1月22日に行われた、セキュリティー会社のオンライン会見。貴乃花が新CMキャラクターとして登壇したのだが、その席で貴乃花の口から衝撃的な発言が飛び出した。
《息子は完全に勘当しております》
翌日には、ニュース記事として報道されたこのひと言に、優一氏は強いショックを受けた。同時に、憤りを覚えた。
「その場にいた記者の方々から僕のところに取材依頼がありました。もちろん、これまでどおり僕はコメントは出さずに黙っていました。でも、なぜ、僕に対してわざわざ強い言葉をメディアの皆さんの前で使うのか。やはり、納得できるものではありません。これまでも何度も、父は僕に対して限度を超えた事実と違う発言をしてきました」
'17年11月に起きた“貴ノ岩傷害事件”に端を発する日本相撲協会との全面戦争でも、貴乃花の言葉に多くの人々が耳を傾けた。発信力ある公人の言葉は重く、強い。
「影響力のある父の言葉がニュースになり、それが風化すると、同時にいつの間にか“真実”として世間に認識されていく……今回もきっと、このままだと真実になってしまう。その影響が僕にだけ降りかかってくるなら、いくらでも我慢します。でも僕にも仕事がある。僕には靴を待ってくださる方々、絵を購入してくださったお客様がいて、一緒に仕事をしてくれている関係先の方々、チームの仲間がいる。メディアを通して、間違った真実ができあがってしまうことで、お客様や関係先にまで大きな迷惑がかかる」
優一氏ひとりの問題ではなくなってきた、ということだ。
「言ってみれば僕も人気商売です。靴も絵もお客様に“この人に作ってもらいたい”と思っていただいて、初めて成立します。1足1足、1枚1枚、丹精を込めて作っています。真剣勝負している場所で事実と違うことを広められてしまうというのは、作品を見る視線までもが歪められてしまいます。たとえ父であっても、これ以上見て見ぬふりはできないと思いました」
アルコールに溺れて妻・景子さんにあたり……
父子、そして家族に不協和音が流れ出したきっかけは何だったのか。すべての始まりは優一氏が靴作りの勉強のため、イタリア・フィレンツェに単身留学していた今から7年ほど前にまで遡る。
「父と母の離婚にも関係してくるのですが、そのころから家庭内は崩れ出していました」
原因は酒だった。貴乃花が、急速にアルコールに頼るようになったという。
「もちろんそれまでも飲んでいましたが、父の酒量がもうめちゃくちゃに増えだして。毎日毎晩、水1滴すら飲まずにワインをボトルで3~4本を空けるみたいな飲み方になって。ただそれでも、父が仕事に真摯に全力で取り組む姿や、家の外で戦っている姿を誇らしく感じていましたので、僕たちは最初のうちは心配しながらも“飲みすぎには気をつけてね”というところでした」
だが、貴乃花は酔いに任せて、妻・景子さんに強く“当たる”ことが増えていく。
「'15年の春ごろでしたが、イタリアにいる僕に妹から電話がかかってきたんです。泣きながら“もう無理だよ”“パパのママへの態度がひどすぎて”と。妹たちは当時、小学生と中学生でした。両親の大ゲンカに耐えられず電話をしてきました。ほとんど泣いたことがない妹からの電話でしたので、ただごとではないと翌日、飛行機に飛び乗って、父と母の仲裁に帰りました。父が抱えきれないほどの苦しみの中で戦ってきたことは、家族がいちばん理解しています。ただ、父には母しか甘える人がいなかったということです」
母と妹たち、そして父を案じた優一氏は、「修行後もイタリア国内で生活する」予定を変更し、日本へ帰国する。'15年10月のことだった。
だが、優一氏が帰国しても家庭内の状況は変わらなかった。それどころか、貴乃花のアルコールへの依存ぶりと景子さんへの“目に余る態度”はエスカレートし続けた。
「父が母に対して、息子と娘が隣で聞いてられないような、母の人格を否定するような言葉を浴びせることが増えました。母は普段どおり食事やお酒を給仕しているだけ。どう考えても普通のモラルとしてありえませんでした。そういうことが何年もずっと続いたんです。母はその中で、いつも笑顔で堪えていました」
そうなる前までは、たとえ夫婦ケンカしても愛娘たちが「パパがひどすぎ!」ととがめれば、「そうか。ママごめんな」と、自分の非を認められる父だった。だが、その父はとうとう自分自身を制御できない状態になってしまう。
「あるとき……'17年の年明けだったと思いますが、家族で食卓を囲んでいて。ダイニングに母ができたて料理を運んできたんです。すると父が突然キレて、そのアツアツの料理を母に投げつけて。一歩間違えたら大やけどです」
その瞬間、優一氏の堪忍袋の緒が切れた。
「“ふざけるんじゃねぇ! いい加減にしろよ!”と。あんな言葉遣い、それまで反論もしたことがない中で、あの瞬間だけです。それでも、父の態度や行為が改善されることはなかった」
ちょうどそのころ、優一氏は靴職人として日本で活動をスタート。テレビ番組などにも出演し始めていた。東京・品川区内の高級住宅街にある実家から徒歩数分のところに部屋を借りて、ひとり暮らしをしていた。景子さんと妹たちの心身を案じた優一氏は、その小さなワンルームマンションに3人を一時的に匿った。
「“パパが落ち着くまでここにいて”と。家族4人で小さな部屋で生活をすることになりました。その間に、僕と父できちんと話をしたいと考えていました。“今の状態では母と妹たちを家に帰せません”、そのためには、“お酒をやめてもらえませんか”ということを納得してもらわないといけない、と」
1時間半続いた父の“かわいがり”
長男が父である自分に反旗を翻したと感じたのか、貴乃花は怒り狂った。
「父から僕の携帯に嵐のような着信が入るようになりました。電話に出ると“テメェ! 俺の家族を奪いやがって!”と電話の向こうで怒鳴っていて、とても話し合いができる状態ではありませんでした」
それでも優一氏は父と向き合おうとした。貴乃花の怒号を聞きながら「今のままでは帰せません」と繰り返した。
「そんなやり取りが何日か続いたんですが、とうとう“お前がケンカを売るなら買ってやる!”といって、父が僕の家までやって来たんです。お酒が入っていたのかもしれません。いや、お酒が入っていたのか、いないのかもわからない状態でした」
怒りに身も心も支配されてしまった父と向かい合った場面を、はっきりと覚えている。
「'17年2月12日の夕方でした。外へ出て行くと、父が見たこともない形相で突然つかみかかってきました。そのまま道端で1時間半くらいつかみ合って……殴られて……。通りがかった人も、ギョッとして、逃げるように通り過ぎて行きました」
初めて受ける横綱の力は恐ろしいほど強く、優一氏は恐怖を感じた。「人目につくから家に行きましょう」と優一氏が言った。貴乃花に髪をつかまれたまま、引きずられるようにして実家の中へ連れていかれ、誰もいない広いリビングに正座させられた。
「さらに理不尽に僕を痛めつけると気が済んだのか、父は“帰れ!”と吐き捨てるように言って、解放されました」
やっとの思いで母と妹たちが待つマンションに帰った。
「母があまりに心配するので病院に行きました。でも“父にやられた”とはさすがに言えないですから“酔った親戚とケンカになって”とウソをついて診てもらいました。父と息子の間ですむことだと信じていました」
数日後、貴乃花は優一氏のもとを訪れ謝罪したという。
「母にも頭を下げてくれましたし、“酒はやめる”とも約束してくれました。それで母も妹たちもやっと実家に戻ることになりました」
だが、この事件を境に、家庭内はさらにギクシャクしだす。貴乃花は品川区内の自宅には、ほとんど帰ってこないようになった。ほぼ毎日、江東区内にあった『貴乃花部屋』の自室で寝起きするように。
「もちろん父の仕事上、お弟子さんの近くにいなければいけないこともあります。しかし、僕や母に対する“気まずさ”もあったのかもしれません。でも、僕らは“お酒はやめてくれたし、とにかくよかった”“これも笑い話になるね”と話していました。みんな、また家族5人で笑ってご飯を食べられる関係に戻りたかったですから。父がいつ帰ってきてくれてもいいように、父の座る椅子はいつもキレイにして待っていました」
貴乃花の巡業先に優一氏自ら出向いて、靴職人としての仕事のことや近況を報告した。息子から寄り添うことで関係を修復しよう……そんな日々が続いた。だがしかし、息子の期待は裏切られた。
「2か月もすると酔っ払った父から電話がかかってくるようになりました。“お前が俺の家族を壊した!”“お前が俺の家族を奪った!”と呂律の回らない大声で怒鳴り続けるような電話でした」
貴乃花が日本相撲協会を退職するころには、その連絡すらもなくなり、完全に音信不通に。
「“連絡もよこさない”と父は言っていますが、父が携帯番号を突然変えてしまったので、こっちが連絡したくてもできません。母と離婚したときも、父から僕ら子どもたちに電話1本、メール1通ありません。連絡もとれないのに“連絡がない”とか“勘当だ”というのは理解できません。“離婚は優一のせいです”という週刊誌のインタビューを見たときは、膝から崩れ落ちるような気持ちでした」
昨年11月に週刊誌に掲載された優一氏の“バイク窃盗疑惑”――貴乃花が所有していたオートバイを優一氏が盗み出して勝手に売却してしまった、と報じられたが、これも「事実と違う」と言う。
今の父がやっていることは逃げているだけ
「父と母が離婚した後、突然、父の代理人から“家から退去するように”という通達が届きました。家族で住んでいた実家の家財道具を全部引っ張り出して、母と妹が新しく住むところを見つけて、引っ越しを完了するというのは簡単ではなかったです。その中で、あのハーレーダビッドソンをどうするか、という話に」
退去に際し、貴乃花の関係者2人が“様子を確認したい”と立ち会った。その中で“お互いに必要のないものは捨てる”“売れるものは売る”という話になったという。
「たしかに父が買ったバイクなんですが、もう7、8年ずっと埃をかぶったまま。エンジンはかからないし、タンクからガソリンが漏れているような状態でした。父のもとに運ぶにしてもレッカーで運ばないといけない。その費用はどうするのか? すると立ち会った方が“親方がバイクは優一がどうにかするだろう、って言ってましたよ”と」
地上2階、地下1階の大きな家。家財道具の処分費用や引っ越し費用は重い出費だ。それら退去にまつわる費用はすべて景子さんが負担した。優一氏は「それならば」と、バイクの売却代金を退去費用の足しに、と考えた。
「だからその場で“査定してもらって売れるなら、その代金を引っ越し費用に充てさせてもらいたいんですが、いいですか?”と関係者の方々にお話ししました。すると“それでいいと思いますよ”と」
警察から“お父さんがバイク盗難の被害届を出すと言っているんですが、どういう事情ですか?”と連絡が入ったのは、引っ越し完了から数か月後のことだった。事情を説明すると、貴乃花側は納得し、優一氏も説明不足だったことを謝罪した。事件化することはなく解決した、はずだったが、なぜか週刊誌で報道される騒ぎに……。
「本来の父は本当に優しかった。人に手を上げるなんて絶対になかったし、他人の悪口を言うことすらありませんでした。何があっても、僕にとって父は父ですので、どうなろうとも受け止めますが、人が変わってしまいました。最高に強くて、最高にカッコいい男だった。父のようになりたくて、ただただ憧れていましたが、今の父がやっていることは逃げているだけ。本当に強い男は、そんなこと絶対にしない。僕の知っている貴乃花は、仕事でも私生活でも絶対に逃げたりしません」
それでも優一氏は、父として、男として、ひとりの人間として、貴乃花に今も絶対的な尊敬の念を抱き続けている。そして、待ち続けている。
「父が成し遂げてきたことをいちばん近くで見てきました。誰もが成し遂げられることではないことをやり切ったことへのリスペクトは消えませんし、何より僕も妹たちも、父の大きな愛でここまで育ててもらいました。いつか全部笑い話にして、家族で食卓を囲める日が来ると信じていますし、それが長男としての責任だと思っています」
◆ ◆ ◆
インタビューの中で語られた、モラハラやDVにも等しい貴乃花の行為について、週刊女性は、もうひとりの当事者である景子さんに話を聞いた。
「正直、この件については何もお答えしたくない思いです。ただ息子がこのような話をする状況になったその気持ちもわかります。愛情あふれた父と子が対立しなくてはいけないこの状況が苦しくもあります。親子であることに変わりはないですから、いつの日か、父と子で普通に語り合えるよう、どうか静かに見守っていただけたらという思いです」
また貴乃花の所属事務所にも同様に事実確認を求めた。
「完全に事実無根です。とても看過できる内容ではありません。ないものは本当にないので」(担当者)
息子の必死な叫びは、父には届くのか――。