亡くなった小林光則さん・美和さん夫妻

 その男A(20代)の危険な行動については、近隣住民の間でも知れ渡っていた。

「彼が少年時代、猫の首を切り、その死骸を家の周りに埋めていたそうですね。警察犬を連れた捜査員が、捜索に当たっていたと聞きます」

「最近では、爆弾の材料を持っていたと近所の人が言っていました」

 そんな悪い噂は広まる一方、Aの人となりについては、「本人を見かけたことがないからわからないんです」

 とみな、一様に口にし、謎に包まれたままだ。

 埼玉県三郷市の川沿いに立つAの家は、周囲がブロック塀で囲われ、敷地の中は二世帯住宅になっている。

 ここからサバイバルナイフや鉈など計71本の刃物が埼玉県警に押収されたのは、今から10年近く前のこと。Aは当時、通信制高校の2年生で、2011年11月、同市の路上で中学3年の女子生徒のあごを刃物で刺してケガを負わせ、さらにその2週間後には、隣接する松戸市の路上で小学2年の女児の脇腹など数か所を刺し、殺人未遂の疑いで逮捕された

 この連続通り魔事件に加え、Aは猫の首を切断したり、放火を繰り返したりした。その行動の奇異性からネット上では、1997年に神戸市で起きた連続殺傷事件の犯人になぞらえて、「第二の酒鬼薔薇聖斗」とも呼ばれている。

昨年11月に元少年は逮捕された

 そんなAの家に昨年11月、再び埼玉県警の捜査の手が入った。隣の茨城県警から「殺人のために使えるものを所持している」との情報提供を受け、家宅捜索したところ、硫黄約45キロが見つかったのだ。危険物貯蔵取り扱いの基準に反したとして、埼玉県警は三郷市火災予防条例違反の疑いで、無職のAを逮捕した。

 現場には早朝から大勢の報道陣が詰めかけ、「通行止めになるほどだった」(近隣住民)という。

 その理由は、Aがある未解決事件の捜査線上に浮上したためである。

 その事件は、Aの家から北に約40キロ離れた、茨城県境町の民家で2019年9月に起きた。会社員の小林光則さん(当時48)と妻のパート従業員、美和さん(同50)が何者かに刃物で刺されて死亡し、中学生の長男(同13)と小学6年生の次女(同12)が重軽傷を負った。

 茨城県警などによると、犯行時間は午前0時38分ごろ。美和さんが「助けて」と110番通報して事件が発覚。犯人は小林さん宅に侵入し、2階の寝室に直行。光則さんの胸や美和さんの首に刃物を突きつけて殺害した後、子ども2人の部屋に押し入り、足や腕などを切りつけた。

 子ども2人の証言などから、犯人は帽子とマスク姿の知らない男で、ベッドで寝ていた子ども2人に「降りろ」と指示し、次女には催涙スプレーのようなものをかけたという。1階の部屋にいた大学3年生の長女(同21)は無傷だった。

 現場からは、犯行に使われた刃物は見つかっておらず、部屋が荒らされた形跡もない。この状況から茨城県警は、怨恨による犯行の可能性が高いとみて捜査を続けてきた。地元の有志も、有力な情報提供者に懸賞金100万円をかけたが、犯人は特定されていない。

 事件は迷宮入りしたかにみえたが、昨年11月に逮捕されたAが突如として捜査線上に浮かび上がり、一部週刊誌がそれを報じた。

 全国紙の社会部記者が解説する。

「Aが茨城の事件と何らかの関係があるかもしれないという情報は最初、警察庁から漏れました。それでメディアが騒ぎ出し、硫黄所持で逮捕されたときには各社が現場に駆けつけました。茨城県警の署員も1人同行しています」

 埼玉県内の現場になぜ、茨城県警の署員が居合わせたのか。同県警県民安心センターの担当者は、取材に対してこう回答するにとどまった。「(Aに関する)報道は把握しているが、埼玉県警が捜査している案件なので、コメントできない」

 人口約2万4千人の境町を震え上がらせた事件現場は、うっそうと生い茂る雑木林の中にある。周囲には畑が広がり、近くの民家までは約300メートル離れ、そこだけぽつんと孤立している。2月上旬現在、雑木林の周りには規制線の黄色いテープが張り巡らされていた。

事件から1年半がたった今も規制線が張られている現場

 雑木林の中へ通じる道が1本だけ開かれているが、規制線が張られたその入り口に立つと、奥には物置の小屋や廃屋が見えるだけで、その先に小林さん一家が住んでいた一軒家があるかどうかまではわからない。

 雑木林のそばには釣り堀があり、10人ほどの客が談笑しながら釣りを楽しんでいた。

 この一軒家は、美和さんの実家だった。美和さんの父親が亡くなり、母親が1人になったため、小林夫妻が今から15年ほど前、埼玉県から移り住んだのだ。家の敷地内には当時、鯉の釣り堀があったという。

恨まれるような夫婦ではない

 小林夫妻と回覧板のやりとりをしていた近所の女性(90代)はこう語る。

「美和さんは郵便局でパート従業員として働いていました。役場のチラシを配るなど地域の活動にも参加し、おとなしくてええ人でした」

 光則さんの実家は、埼玉県でクリーニング店を営んでいた。境町に引っ越して以降も店に通っていたが、場所が遠いため、県内のゴミ処理施設へ転職したという。

 ケガをした次女と同級生の子どもを持つ別の住民女性は、こう振り返った。

「次女は明るく、礼儀正しい子で、きちんと敬語もできる。お兄ちゃんは地域の少年野球チームに所属していました。妻の美和さんとは何度もお会いしていますが、おとなしい方でした」

 このほかにも現場周辺を聞き込んだが、小林夫妻を知る住民たちは、いまだに信じられないといった様子でこう口をそろえた。

「誰かから恨まれるような人ではありません」

 そんな一家が襲われた日の夜は、激しい雨が降っていた。現場近くの中古車販売店に住み込みで働くパキスタン人男性(42)は、そのときの様子を、説明してくれた。

「小林さんは犬を飼っていました。いつもは吠えるのですが、その日は声が聞こえなかった。雨が降っていたし、友人とDVDを見ていたので気づかなかっただけかもしれません。現場周辺にマスク姿の不審人物がいたらしいですね。日本は安全な国だと思っていましたが、事件が起きてからとにかく怖いです」

 この中古車販売店には防犯カメラが設置されているが、事件発生時はパトカーが映っているだけで、不審人物の姿は確認されなかった。

 事件は発生から間もなく1年半が経過しようとしているが、今年に入って茨城県警の捜査員が、通学路における不審人物の有無について境町の子どもたちに尋ねていたという。住民への聞き込みは久しぶりのことで、Aの逮捕を受けた動きなのだろうか。

 はたして、Aは事件と関係があるのか。

 再び全国紙の社会部記者が語る。

「Aは参考人ではありますが、メディアが前のめりに騒いだだけの印象を受けます。Aと小林さん一家のつながりがまったくないんです」

 辺り一面は暗闇に包まれていた。

 犯行時間と同じ午前0時38分の現場周辺は、街灯がほとんどなく、遠くから雑木林を眺めると、真っ黒い煙が渦巻いているように見えた。初めてここを訪れた人なら、昼間以上に、その中に一軒家があるなんて想定できない。規制線が張られた入り口から中をのぞいてみても、視線の先は真っ暗で、決して足を踏み入れようとは思わない。

 つまり犯人は、雑木林の中に家があることを事前に把握していた可能性が高く、行きずりの犯行ではないだろう。

 もうひとつ気がかりなのは、深夜の時間帯に現場まで足を運ぶ交通手段だ。前述のとおり、現場は畑に囲まれた田舎町で、近くに電車も通っていない。

 もし犯人が県外の人間だとしたら、自分で車かバイクを用意しなければならない。現場は最寄り駅から約12キロ離れ、そこからタクシーを使って犯行に及ぶのは考えにくい。そもそも、そんな時間帯にタクシーが待機しているのだろうか。

 10代から20代にかけて長らく塀の中で暮らしていたAが出所したのは数年前。硫黄所持で逮捕されたときには無職だったから、車の免許を持っていないかもしれない。

元少年Aの家を尋ねると

 三郷市にあるAの家のインターフォンを鳴らすと、母親とみられる中年女性の声がした。メディアの人間だと名乗った瞬間に声色が変わり、「帰ってください」と追い払われた。置き手紙を残して後日、訪問すると口数が少ないながらも、インターフォン越しに重い口を開いた。

 母親は、茨城の事件については知っていたが、息子の関与をほのめかす報道については把握しておらず、「びっくりしている」と語った。

 Aの免許の有無に関しては、こうきっぱり言った。「持っていません。息子は車を運転できないです」

 もちろん、無免許で知人の車を運転した可能性もあるだろう。知人に現場まで車で連れて行ってもらった可能性も否定できない。とはいえ現場の取材から、Aと小林一家をつなぐ接点が見つからない限り、事件との関連性はやはり憶測の域を出ないのではないだろうか。

 昨年11月に逮捕されたAはその翌月、消防法違反罪で起訴された。初公判は今月半ば、さいたま地裁で開かれる予定だったが、直前になって茨城県警に逮捕されたため、取り消された。容疑は警察手帳を偽造販売した疑い。小林さん一家4人殺傷事件との関連性は依然としてわかっていない。

 母親が静かに語った。

「(息子のことで)家から出たくないんです。周りの目にさらされ、まだ生きていたのかって顔をされるから。(通り魔事件から)もう9年間、ほとんど外出していませんので、変わり者と思われています」

 その弱々しい声は、「犯罪者の親」という呪縛から逃れられず、ただ生きているだけの日々に疲れ切っているように聞こえた。

事件に関する情報提供はフリーダイヤル(0120-007-285)へ


取材・文/水谷竹秀
ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社文庫)など。