映画『男はつらいよ お帰り寅さん』プレミア試写会 囲み取材&舞台挨拶での池脇千鶴('19年12月)

 深夜帯ながら、話題を集めているドラマ『その女、ジルバ』(フジテレビ系)。初回視聴率は放送している「オトナの土ドラ」枠で最高視聴率となる6.3%(関東地区)を記録。中でも今作で9年ぶりの連ドラ主演となる池脇千鶴(39)のリアルすぎる“40歳独身女性”の演技に賞賛の声が相次いでいる。

池脇千鶴の実母に取材

 日本を代表する実力派女優の原点を探るべく、地元・大阪に飛んだところ、池脇の母親が快く取材に応じてくれた。

 大阪の中心部から電車で15分ほどの場所で育った池脇。目元がどことなく娘に似ている母親も、『その女、ジルバ』の放送を楽しみにしているという。

毎週、夜中まで起きてリアルタイムで楽しみに見ています。戦後を生き抜いたジルバさんや高齢バーで働く方たちのお話も出てくるので、私自身も当時を思い出しながら見ています。ドラマ主演は久しぶりだからご近所さんも楽しみにしているみたいで、放送後は毎回お電話をいただきますね。ちなみに、ちぃちゃん(千鶴)の兄の奥さんが原作(漫画)のファンだったそうで、主演が決まったときはすごく喜んでくれたわ

 出演作を楽しみにしている母親の気持ちが伝わっていないのか、池脇からは出演作品に関する連絡は特にないという。

コロナ禍もあって最近は全然会えていませんね。少し前に連絡したときは“2月までは撮影が忙しいから電話もできない”と言われただけで、何の作品に出るかも言わないので、マネージャーさんから連絡が来て知ることも多いんです。

 私は出演作を知ったら必ず見ますよ。先月のバラエティー番組(1月6日放送の『ドレミファドン新春SP』)に出たときは驚きましたね。“ああいうのは苦手”ってずっと言うてましたから。でもドラマに出たら、宣伝のためにそういったお仕事も頑張らなきゃいけませんもんね」

 体当たり演技に定評のある彼女だが、幼いころから女優を夢見ていた。

私は中学3年の進路相談の面談のときまで知らなかったのですが、小学校のときにはすでに周りには“女優になりたい”って言っていたんですって。中学校の文化祭で演劇をやったときには、みんなが“演劇の道に行きな”って背中を押してくれたみたいです

 女優を夢見る彼女のため、同級生が『ASAYAN』(テレビ東京系)で募集された『三井のリハウス』の“リハウスガール”に応募。8000人の応募者の中から市川準監督に見出され、'97年にCMでデビューする。

(市川)準監督が“高校までは家族のそばで過ごして。社会に出るのはその後でいいから”って言ってくれはったんです。それでも当時は、高校が終わるとすぐにタクシーで新幹線の駅まで行って東京へ。そして仕事が終わると終電で戻ってくる生活だったので、ほとんど家にはいられなかったですね。多感な時期をあまり一緒に過ごせなかったことはもったいなかったと思います

 若手女優の登竜門“リハウスガール”としてデビューしたこともあり、瞬く間にアイドル的な存在に。そのため、彼女をひと目見ようとファンが実家に訪れることも珍しくなかったという。

アイドルばり人気だった池脇の幼少期

「地元の高校に通っていたこともあり、すぐにウチの住所もバレてしまって。ある日、男子高校生4人組が家の前にいて、ちぃちゃんは仕事で東京に行っていたから“どれだけ待っても、帰ってこないよ”って伝えているのに、翌日も来たんです。話を聞いたら、神戸からわざわざ来ていたみたいで。お小遣いを渡して帰そうとしても、“会えなくても、来るだけでいいんです”と言って結局、2日間家の前に座り込んでいましたね」

 しかし、いちばんのファンは母親自身だったようだ。

映画デビューとなった『大阪物語』は大阪でロケをしていたので“娘の撮影現場が見られるのも最初で最後だな”と思い、毎日野次馬として見に行っていました(笑)。スタッフの方に“どいてください!”と何度も怒られたけど、あれは幸せだったわね

『その女、ジルバ』のさえない40歳女性役など、完璧な役づくりで知られているが、母親はその点を少し心配する。

完璧すぎてもよくないと私は思っているの。人間、どこか抜かないとしんどいやん。幼いころからしっかり者だったから、“もっとちゃらんぽらんでもええ”って思っているんです。だから“頑張れ”というよりは“頑張っていたね”っていう気持ちです

 とは言うものの、娘がやりたいことを応援するスタイルは昔から変わらないようだ。

「“したい!”っていうことは、放し飼いのように好きにやらせてきました。小さいとき、“ピアノをやりたい”って言って習い始めたので、お父さんの退職金で家にグランドピアノを買ってあげたら、ずっと練習していましたね。

 “この子にはこの子の人生がある。私とは違う人生がある”って思いながら育ててきたんです。本人は人と関わることが好きな一方、ひとりでいることも好きな子でした。完璧に役づくりをするのも、小さなころからいろいろなことに没頭していたからなのかもしれませんね

 そう語った後、母親は「ありがとうね」と独り言のようにつぶやいた。それはまるで、東京にいる“ちぃちゃん”へのメッセージのようにも聞こえた――。