《タイトルを獲得できた事で将棋に専念したい気持ちが強くなりました。秋に意思を固め、数回学校と話し合いをした上、1月末日付で退学届けを提出いたしました。一層精進していく所存ですので、今後ともよろしくお願い申し上げます》
2月16日、将棋の藤井聡太二冠が日本将棋連盟を通じて驚きの報告をした。1月末で高校を自主退学していたというのだ。
あと1か月ほどで卒業できるのに、
なぜ退学?
「高校3年生ながら、段位は八段。棋聖と王位という2つのタイトルを保持していることで二冠と呼ばれています。日々の対局が多く、学業との両立は難しくなっていました」(将棋ライター)
在学していた名古屋大学教育学部附属高等学校も、17日に校長名でコメントを寄せた。
《藤井くんは、本校で学んだ生徒であることに変わりはありません。今後とも応援のほどよろしくお願いいたします。私たちもますますの活躍楽しみにしています》
あと1か月ほどで卒業という時期なのになぜ、退学しなければならなかったのか。そこにはどうやら“出席日数”というハードルが存在していたようなのだ――。
彼が高校3年生に進級した昨年4月、コロナ禍による緊急事態宣言があり、学校は臨時休校になった。6月から授業が再開されたが、同時期にちょうどタイトル戦が始まってしまったのだ。
「棋聖戦が行われたのは昨年6月から。7月には王位戦も始まり、全国各地を転戦していました。なかなか学校に行けなかったはずです」(スポーツ紙記者)
'20年7月に棋聖、翌月には王位を獲得し二冠、八段昇段を果たす。
「藤井くんは、6月と7月で計21局をこなすというハードスケジュールだったと聞いています。授業が再開されてからも、学校で彼を見たという話は聞きませんでしたね」(在校生のひとり)
7月16日に棋聖タイトルを獲得したとき、学校の担任らが記者会見を行った。
「その時点では、出席日数は足りているという回答でした。ただ、“彼に対して特別扱いはしない”とも話しています。補習などのサポート制度はあるものの、それでも足りなければ留年する可能性があることをほのめかしていました」(前出・スポーツ紙記者)
泊まりがけの対局も
「特別扱いはできない」事情
タイトル奪取後も対局が途切れず、高校に行く時間がさらに無くなってしまった。
「藤井さんは対局の前後は現地に宿泊することが多い。王位戦では福岡や札幌などで対局があり、基本的に日帰りはできません。タイトル戦の当日は欠席扱いにならないと学校は話していましたが、その前後までは認められなかったようです」(同・スポーツ紙記者)
一般的な高校では、1年間の3分の1以上欠席すると、進級や卒業が危ぶまれると言われているだけに、今回は出席日数をクリアできなかった可能性が高い。
「うちの高校は、進級や卒業が危ない人は、夏休みが終わったころに担任に呼び出されるケースが多いですね。そこで留年の可能性を伝えてまず登校を促して、補習などの提案をされるんです」(名大付属高校の卒業生)
将棋連盟を通して彼が出したコメントによると、学校との話し合いを始めたのは昨年秋ごろから。名大付属高校が進級や卒業が危ない生徒と面談をする時期とも一致する。
「私立の学校であれば“課外活動の実績”を理由に、多少の融通はきいたかもしれません。でも、国立の学校は藤井さんだからといって特別扱いすることはできない。規定通りに判断せざるを得ませんからね。学校側はなんとか卒業させたかったでしょうが、留年もやむなしという結論になったんだと思います。彼としてももう1回、高校3年生をやり直すのではなく、退学して将棋に邁進する道を選んだのでしょう」(前出・スポーツ紙記者)
藤井の退学理由について、学校側に改めて問い合わせたが、
「発表した以上のことは、個人情報になりますのでお答えできません」
とのことだった。“1日中将棋のことを考えていたい”という藤井にとって、自主退学という選択は、合理的な判断だったのかもしれない。師匠の杉本昌隆八段も、メディアの取材に対してこのようにエールを送る。
「もったいない気持ちもしましたけど、卒業という形にとらわれないのが藤井二冠らしい。将棋に専念して、さらに飛躍してほしいです」
地元の瀬戸市でも、藤井の決断を支持する声が聞かれた。
「もう進路は決まっているのだから、無理して高校に通うことはないと思いますよ」(40代/男性)
「よく今まで両立させてきたと思います。これからは将棋のことだけを考えて、どんどん勝ってもらって、8つのタイトルを全部取ってほしいですね」(50代/女性)
将棋に専念できる環境を手に入れた藤井がどこまで強くなるのか、今から楽しみだ。