JR福島駅ビル内のスターバックスは2月13日の地震の影響を受け、2月23日の時点でも休業していた 撮影/ウネリウネラ

 2021年2月13日に福島県沖でマグニチュード7.3の地震が起きてから、10日以上が経過した。福島県内では、太平洋沿岸の相馬市などで震度6強を観測。筆者が住む福島市は震度6弱だった。幸いにも津波の被害はなかったが、福島市内では25日、この地震による死者がひとり発見された。亡くなった方に哀悼の意を表するとともに、県内に住む人びとの「不安感」が心配だ。東日本大震災当時、福島県内に住んでいた人は生活を一変させられた。筆者が取材する限り、13日の地震で当時の記憶が強くよみがえり、再度の大地震や放射性物質への不安に押しつぶされそうになっている人もいる。今後さらに被害が拡大しなかったとしても、「2・13地震」の心理的影響を軽視してはならない。

不安感がずっとおさまらず、寝られない

 13日の午後11時すぎ、私は家族とともに寝室にいた。地鳴りのような音で目を覚ますと、7階建ての集合住宅が横方向に大きく揺れ、立っていられなかった。子どもたちに頭から布団をかぶせ、揺れがおさまるまで「だいじょうぶ。だいじょうぶ」と声をかけた。私自身の感覚では、揺れは数十秒間続いた。本棚からは大量の本が落ち、台所の調味料や料理道具が床に散乱していた。家の周りではサイレンが鳴りはじめた。いつでも避難できるよう普段着に着替え、家族の靴や避難用具を枕元に置いた。

 この地震以来、不安感がおさまることはなかった。余震ももちろん気がかりだが、いちばん心配なのは「福島第一原発」である。廃炉作業中のイチエフは大丈夫なのか。燃料デブリや大量の汚染水は適切に管理できているのか。そのことが不安でならず、「異常がないことを確認した」という東京電力の発表を全面的に信じることはできなかった。東電が意図的に異常を隠そうとはしていないと思いたいが、いったん暴走を始めた原発が手に負えず、異常の把握さえままならないことは、10年前に実証ずみだからだ。

2月13日の地震を受け、筆者宅の本棚からは本がなだれおちた 撮影/ウネリウネラ

 3・11当時は関東に住んでいた私ですら不安に感じるのだから、当時から福島県内に住み、今回の2・13地震でも被災した人びとの心理状態は、いかばかりだろうか。

 不安を感じていない人もいるかもしれないが、福島市内に住む40代女性のAさんは「13日の地震からずっと、きちんと眠れない状態が続いています」と話してくれた。

 13日夜、築40年超の木造2階建て住宅に住むAさんは、1階の居間で揺れを感じた。大きな揺れとともに、壁や天井がギシギシときしんだ。

「怖くて、怖くて。ワーッと叫びました。頭だけでも守らなくちゃと思って、コタツの中に潜り込もうとしたのですが、10年前の地震のことを思い出して身体がしびれ、動けなくなってしまいました」

 揺れがおさまってから家の中を見回ると、風呂場のタイルが割れ、2階の寝室の衣装ダンスが横に倒れていた。眠っていたら足や腰をケガしていたと思うと、ぞっとした。

 翌日から、Aさんは夜になると動悸(どうき)が激しくなり、十分に眠れない日が続いている。余震が起きるたび「いったい大丈夫なの?」と心配でならないという。 

「10年前の地震でいたんでいるところもあるでしょうし、次に地震がきたらこの家がつぶれてしまうかもしれません。そうしたら、身体の弱い私は逃げられないと思います。せめて一緒に住む母と息子だけでも助かってほしいのですが……」

2月13日の地震から10日が経過したJR福島駅前の様子 撮影/ウネリウネラ

地震の受け止め方に“ズレ”を感じる

 地震とともにAさんが心配するのは、やはり原発事故だ。

 10年前、福島第一原発から放出された大量の放射性物質は、風に乗って内陸部へ流れ、福島市内にも降りそそいだ。もともと神経系の病気があるAさんは体調悪化に悩み、一緒に住む息子は鼻血を出したり、帯状疱疹(たいじょうほうしん)に苦しんだりした。

 当時さらにAさんを苦しめたのが、周囲の受け止め方とのギャップだった。政府や福島県は「ただちに健康への影響はない」と言い続けた。息子が通う小学校もすぐに再開した。しかし実際問題として、自分や息子の体調は確実に悪化した。自分の心配が世の中にまともに受け止められていないという「ズレ」を感じた。

 今回の2・13地震においても、同様の「ズレ」を実感しているという。

「私自身は夜も眠れないほど不安になり、体調不良に苦しんでいるのですが、町に出ると、普通に暮らしている人が多いですし、職場も通常営業しているので、私もなるべく普段どおりに働きに出ています。被害がそれほど大きくなかったせいか、ニュースを見ても地震の報道はほとんどありません。なんだか自分の感覚とズレているなと思っています。10年前もそうでしたが、『不安』を周囲に語ることをタブーとするような風潮があるように感じます

 同じく福島市内に住む40代女性のBさんも、13日に揺れが始まったとき、ドキドキして身体が動かなくなったという。

「リビングで書きものをしている最中に揺れを感じました。“またなの? もうやめて!”という気持ちでした」

 3・11の際は子どもたちを連れて関東へ自主避難した。Bさんにとって「人生でいちばんつらい経験」である。

「まさか“同じことがもう一度起こる”とまでは思わないけれど、10年前の記憶が強くよみがえるのを止めることはできませんでした。とにかく“怖い!”のひと言でした」

JR福島駅ビル内のエスカレーターは、2月23日の時点でも安全点検のため停止中だ 撮影/ウネリウネラ

不安を感じる自分を責めないで

 福島県の太平洋沿い、相双地域で住民の精神的ケアを行う『相馬広域こころのケアセンターなごみ』の米倉一磨センター長(精神科認定看護師)は「13日の地震後に、新地町や相馬市など相双地域で支援を必要とする人が急増したという状況はありません」としながらも、「瓦(かわら)が落ちたり、家の一部が壊れたりした場合、経済的にも体力的にも復旧に取り組めない人が多いはずです。一定の時間が経過した後に、今回の地震の影響が出てくる人もいるのではないでしょうか」と話す。

取材に応じてくれた『相馬広域こころのケアセンターなごみ』の米倉一磨センター長(精神科認定看護師) 撮影/ウネリウネラ

 Aさんたちのように、3・11の記憶がよみがえり、不安が高まっている人はどう対処すればいいのか。米倉さんはこう話す。

「不安はあって当然。“不安を感じている自分を責める必要はない”と理解することが大前提です。そのうえで、不安を表現できるかがカギになります。不安を自分の中にため込まず、“怖くてしょうがなかった”と誰かに話せるといいですね。それでも解消されなければ、専門機関に相談するのも選択肢になります」

「さらなる地震が発生する可能性が高い」とされた一週間は経過したが、「少なくとも、今後10年間は大規模な余震への警戒が必要」との指摘もある。13日の地震の影響で、福島第一原発1・3号機の格納容器内の水位が低下している、という報道もあった。Aさんらの不安が解消される日は、残念ながら遠そうだ。せめて、その不安感を身の回りの人と共有し、不安を感じる自分の心を受け止めるようにしたいところである。

(取材・文/ウネリウネラ)


【PROFILE】
ウネリウネラ ◎ともに元朝日新聞記者の牧内昇平(=ウネリ)、牧内麻衣(=ウネラ)による物書きユニット(公式サイト→https://uneriunera.com)。昇平は2006年、朝日新聞社に入社。経済部、特別報道部を経て'20年に退社。現在は福島に拠点を置き取材活動を行う。主な取材分野は過労・パワハラ・貧困問題と、東日本大震災と福島原発事故。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』『「れいわ現象」の正体』(いずれもポプラ社)。麻衣を中心に出版業(ウネリウネラBOOKS)も始め、今月、第1冊目のエッセイ集『らくがき』を刊行。