女子1500メートルで3位になりメダルを手に喜ぶ橋本聖子(1992年アルベールビル五輪)

 東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の新会長に就任した橋本聖子。しかし、就任するや否や“7年前の黒歴史”が掘り起こされてしまった。

 その過去とは2014年にソチ五輪の打ち上げパーティーでフィギュアスケートの高橋大輔にキスをする“セクハラ行為”に及んだというもの。嫌がる高橋を前に1回や2回でなく「一度はじまったら収拾がつかない」ほどの熱烈ぶりだったという。現在も国際大会の会長に選出された彼女への追及は止まず、浅田真央に安倍晋三元首相との“ハグを強要”していた過去も報じられることに。

 改めて高橋大輔とのキス写真を確認してみる。よくもこんなに多くの人に囲まれているなか堂々とやったものだ。パシャパシャと写真を撮られるなか、周囲が引くくらいの濃厚ぶりをみせつけたあと、「口外しないように」と釘をさしたらしい。酒の力と当時の選手団会長という立場を利用した、まごうことなきセクハラ&パワハラである。要職に就くと私利私欲のために権力を行使してしまう習性は男女平等か。

 聖火にちなんで聖子と名付けられ、スピードスケートと自転車競技で夏冬あわせて7度の五輪に出場。オリンピックにすべてを捧げたストイックさから「五輪の申し子」と呼ばれた橋本聖子。セクハラの一件が発覚する前の彼女といえば、選手と議員を両立させたり、結婚後は6人の子の母(うち3人は夫の連れ子)として育児もこなすママ議員のパイオニア的存在だった。産休を制度化させたことをはじめ、さまざまな政策にも取り組んできた。

 そんな彼女がなぜ大セクハラを働いたのか。今更ながら考えてみたい。その一因に彼女の、自らに対して“抑圧を課してきた半生”があるのではないかと思う。

ボーリングのピンを倒さないと殴る父

 橋本聖子、1964年北海道生まれ。父が家に帰ってきたら三つ指をついて「おかえりなさいませ」と出迎えなけばならないほど厳格な環境に育ったという。ボーリングの大会に親子ペアで出場すればまず一投目を投げるのは父で、子どもだった彼女が2投目の“スペアを狙いに行く”役まわりだったようだ。それでいて、ピンを倒せないと殴られたそう。実に不条理である。のちにインタビューで「父との生活で教えられた厳しさ以上につらいことはありませんでした」とも語っていた。

 スケート選手を目指しはじめてから、より一層日常はストイックに。身長156センチ、自力で酸素を吸うことが困難な「呼吸筋不全症」を患い、肺活量も少なかった彼女は尋常じゃない努力を重ねる必要があった。スクワットで150キロをあげるほどの超人になったかわりに失ったものは、いわゆる“普通の生活”と呼ばれるものであろうか──。

《私、映画が大好きだったんです。と言っても、社会人になるまで映画館には行ったことありませんでした。スケート選手は映画館や喫茶店に入るべきではないと思っていたんです》(『週刊現代』2003年11 月8日号)

 なぜスケート選手は茶をしばくことさえ許されないのか、理屈は全くわからない。逆になぜボーリング場はアリだったのかも気になるが、ともあれ、同学年の女子と大きく異なった生活ぶりだったことがわかる。

高橋大輔は“初恋の人に似ている”

 むろん、社会人になった後もストイックぶりは変わらない。32歳まで続けた現役アスリート時代は富士急行に勤めながら、1日6時間を練習に費やした。むろん、恋愛などしている暇はない。

《就寝はだいたい21時を心がけていましたから、飲み会に行っても一次会で帰ってたんですよね(笑)。だから選手時代は恋愛とはまったく無縁でしたね。なかには交際している選手もいましたけれど、「恋にトキめいている姿なんか、私に似合うはずないじゃない…」、そんなふうに自分で決めつけていたところがあったのかもしれない」》(『SAY』2003年3月)

 自制がきいて、酒に飲まれず、かつ奥手なこの子がまさか後に公衆の面前でパワハラキッスとは……。人は変わる。というか、緩むのか。

 そんなこんなで1998年に議員に当選、まもなく電撃婚を果たすと次はママに。選手であり、議員であり、妻であり、母であり……。何足のわらじを履くのだという話だが、もともとスポーツ以外は経験不足な点が多かったにも関わらず彼女の人生はとにかく目まぐるしい。子どもにも忙殺される日々が続いたという。

 そして、日本スケート連盟の会長になったのが2006年。ついに高橋大輔と出会う。『女性自身』には当時の高橋への傾倒っぷりをあらわす自民党関係者の証言が報じられた。

橋本聖子のフェイスブックには高橋大輔との写真も

《女性議員の会合で、橋本議員は『大輔は、高校時代のときに憧れた初恋の先輩に似ているのよね』と、高橋選手が好みのタイプだと自ら告白していました。酔っ払っては会話のなかで「大ちゃんは」「大ちゃんは」と連呼し、うっとりしていたそうです》

──青春が遅れてやってきたのである。幼いころから自らに課してきた抑圧から解き放たれたそのとき、彼女の心はJKに戻ってしまったのかもしれない。そのファンぶりは相当なもので、他の選手そっちのけで「大ちゃんの演技だけはちゃんと見なきゃ!」状態だったそう。長らくストイックに生きてきた彼女がようやく見つけた心のオアシス。それが大輔。

 “会いに行けるアイドル”の追っかけをやる分にはまだいい、問題は当時の橋本がプロデューサー的、つまり秋元康の立場であったことだ。“アイドルにお熱な秋元康”……これはまずいだろう。乙女の心、そして欲望を実現できる権力とが兼ね備わった結果、セクハラ大臣が爆誕したのである。

 現在もセクハラ・パワハラの“余罪”はところどころで報じられているが、2014年までこの実態が表面化しなかったのはなぜか。それは「職務もしっかりこなす」一面も併せもっていたからだと思われる。

 2010年、スノーボードの國母和宏が選手団の正装を着ながらワイシャツを外に出し、腰パン状態だったのを記者に問われ「ちっうっせーな」「反省してま〜す」とかましたのはバンクーバー五輪のこと。スキー連盟から出場辞退を申し入れられた彼を指導し、改心させたのが選手団団長の橋本だった。のちのインタビューでその時の心境を《学校で悪さをした子どもを引き取りにいく心境ですよ》と回想し、愛ある説教は《まさに息子に怒っている感じ》だったと熱弁してみせる(『週刊文春』2010年6月24日号)。

 それから4年後。高橋大輔への泥酔キスを「なぜしてしまったのか」について、周囲にこう言い訳をしていたと『文春』が伝えている。

《息子に、ママのところに来なさい、という思い。最初は嫌がっていたが、その後はそんなことなかった》(2014年8月28日号)

 女性であることに頼り、ママを言い訳に使う時点で、ジェンダーレスがうたわれる世界基準からは程遠い。今回のオリンピック、マスコミが注視すべきは閉会後の打ち上げである。

〈皿乃まる美・コラムニスト〉