仲よく見えても裏では“バチバチ”の関係というのは、一般社会も芸能界も同じこと。人間関係がこじれたままの人、和解した人……。芸能評論家の宝泉薫が、華やかな世界の“裏”に迫ります!
花田家の確執はもはや“お家芸”
こじれるとよけいに厄介なのが、親子の仲。
最近では、元横綱・貴乃花と息子の花田優一がバトルを展開した。優一が『週刊女性』で父の「モラハラ」などを告発すれば、貴乃花は『週刊文春』で猛反論。ただ、この一族にとって確執は珍しいことではない。
貴乃花の伯父にあたる初代若乃花は、韓国人女性とのあいだにもうけた隠し子に暴露本を書かれたし、貴乃花は現役時代に兄である三代目若乃花と完全衝突。相撲が国技といわれるように、確執は花田家のお家芸ともいえる。
そんなDNAを強化したと思われるのが、若貴兄弟の母でもある藤田紀子。離婚については、自身の不倫を棚に上げ、前夫(初代貴ノ花)のせいにしてきた。また、絶縁状態にある貴乃花についても今年1月、
「(前夫が言った)まったくのデタラメを本人が真に受けている。(前夫は)そういう人」
と発言。優一は今回の告発について、今年1月に貴乃花が発した「息子は完全に勘当しております」という言葉へのリベンジだとしているが、こうした祖母の言いたい放題ぶりも影響しているのだろう。
一方、花田家と並ぶスポーツ界の名家でも確執が起きている。長嶋一茂は一昨年『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系)において、父・茂雄とはしばらく会っていないとして、
「男として、親子関係のことって、墓場まで持ってかなきゃいけないことってあるじゃない」
と語った。その背景には、長女で妹の三奈が父の介護と資産管理を引き受けている事情があり、一茂はすでに財産放棄もしている。天然エピソードの宝庫である父は現役時代、小さかった一茂を野球場に忘れて帰ったことがあるが、この父子は離れ離れになる運命だったのかもしれない。
似た者同士の聖子と沙也加
芸能界に目を移せば、渡辺謙と杏の関係がややこしい。杏が18歳のとき、渡辺は杏の母とドロ沼離婚。母が抱えていた巨額の借金は、杏が働いて返済した。しかし、その後、杏と母との間に金銭トラブルが発生して裁判ざたに。昨年、絶縁というかたちで決着した。
そのぶん、父への感情は好転したのか、関係は修復。“ジイジ”こと渡辺の別荘に子どもたちを連れていくなど仲よく交流しているようだ。
かと思えば、似た者同士ゆえにギクシャクしているのが、松田聖子と神田沙也加。自由奔放な大スターの娘に生まれたことで、子ども時代はイジメにも遭った沙也加だがこちらも恋愛に関しては母譲りだ。
デビューしてすぐ、ミュージシャンと恋におち、聖子は猛反対。そんな母親が煙たかったのか、沙也加は俳優・村田充との結婚式に聖子を呼ばなかった。また一昨年、村田と離婚した際には、ジャニーズアイドル・秋山大河との不倫が取りざたされた。
とまあ、自分に甘く、相手には厳しいふたり。かつては『紅白』で共演したこともあったが、今では事務所も別々で、没交渉状態となっている。
また、聖子のライバルだった中森明菜は20数年前に実家と絶縁。父親は女性誌にこう明かした。
「あの子は勝手に家族の戸籍から、自分だけ籍を抜いてしまったんです」
ほかにも、吉永小百合はステージママだった母親に結婚を反対され、絶縁状態に。結婚式に両親はいなかった。大スターならではの、家族関係の難しさだろうか。
そんななか、希望も感じられるのが三國連太郎と佐藤浩市のケースだ。生涯で4度結婚した三國にとって、佐藤は3人目の妻との間にできた子。しかも、同じ道に進んだことから、お互いが壁を作り合うような関係だった。
'96年の映画『美味しんぼ』で初共演した際にも、会見で「佐藤くん」「三國さん」と呼び合う姿が話題に。しかし、交流はあり、役者父子ならではの理解や共感が終生、成立していたようだ。
佐藤の息子・寛一郎が役者デビューしたときには「あの子は愛されて育っているから、役者に向くのかな」と心配していた三國。一方、佐藤に対しては「浩市を傷つけた。人間不信にしてしまった」としながらも、
「傷が深いぶん、あいつはいい役者になれる」
と、語っていたという。確執もまた、役者としては隠し味になるのだ。
ライバル対決の果ては……
芸能界は競争社会。ライバルとぶつかることもある。若き日の木村拓哉にとって、萩原聖人がそうだった。
2012年には『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で『若者のすべて』(フジテレビ系・'94年)の撮影中、こんな挑発をされたことを明かした。
「俺らは役者としての芝居やるんで、アイドルの芝居はどうかわからないですけど」
また、萩原が自分のこだわりで撮影を止めまくるたび「いちいちイラついてくる」とか、萩原が趣味の麻雀雑誌を読む姿を見て「バカじゃねーの」と思っていたという回想も。
これに対し、'19年には萩原が『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)で「事務所がとにかく小さかったんですよ。芝居でだけは負けたくない」という心境だったと告白。なお、ふたりは'07年と'18年にも共演しており、わだかまりはないようだ。
お笑いでは、今田耕司と中山秀征が似た関係だった。深夜バラエティー『殿様のフェロモン』(フジテレビ系・'93年~'94年)で一緒にMCをやった仲だが、当時、今田は東京進出したばかり。ナメられてたまるか的な空気をかもしだし、うちとけようとしなかった。そのため、番組終了後、ふたりは共演NGということが業界の定説となった。
しかし、20年後、共通の友人を介して和解。今田はMCを務める『アナザースカイ』(日本テレビ系)にも中山を呼び、当時の心境を告白した。
「東京のお笑い界にね。ダウンタウンさんに持たされた“銃”を乱射してた(笑)」
かと思えば、現在進行形の「不仲」もある。ウーマンラッシュアワーの村本大輔は、平成ノブシコブシの吉村崇、山里亮太とも共演NGとのこと。最近、メディア露出が激減している理由は「政治ネタ」とされがちだが、バラエティー出演の多い芸人たちとの関係も影響しているのだろう。
ミュージシャン同士では、かつて桑田佳祐と長渕剛のバトルも騒がれた。発端は1994年に桑田が発表した『すべての歌に懺悔しな!!』。歌詞のなかに「常識なんかは通じねェ」「ドラマの主役に燃えている」といった長渕批判ともとれるフレーズがあったのだ。
そこで、桑田は会見を開いて「自分を含む芸能ロックシンガーを揶揄したものだ」と釈明。長渕に謝罪文も送ったが、長渕は雑誌で「俺は桑田佳祐を許さない」とタンカを切った。ただし、このバトル、数か月後に長渕がクスリで逮捕されたことから、うやむやに。
この年にはもうひとつ、バトルが勃発していた。国際的ライブイベントの打ち上げの席で、YOSHIKIが布袋寅泰と大ゲンカしたという。
それから26年後の昨年、その遺恨がクローズアップされた。12月25日、YOSHIKIが自宅のあるロサンゼルスから『紅白』にリモート出演することについて、こんなツイートをしたのだ。
「もちろん日本に帰りたい。でも、いま自分のいるLAはコロナで深刻な状態になっているから、だからこそ今はここにとどまるべきだと思う」
ところが、この前日、布袋がロンドンから予定を早めて帰国。翌年1月のライブに備えてのものだが、こちらは真逆の判断だ。それゆえ、前出のツイートが「あてつけ」のように映り、実際、ネットでは布袋バッシングも起きた。
ちなみに、'94年のケンカについては和解したというものの、以来ふたりが同じステージに立ったことはない。YOSHIKIがドラムを叩き、布袋がギターを弾くという光景は夢のまた夢だ。
元カノ同士の微妙なカンケイ
男性に比べ、わかりにくいのが女性の「不仲」。例えば、ダレノガレ明美はトリンドル玲奈とのツーショットをインスタで公開。こんなコメントをつけたことがある。
「仲悪い説出てますが、仲悪くないです!!笑(略)私のせいで誤解されてごめんね」
女性が生きるうえでは、敵をつくらないことが最優先なのだろう。
ただ「恋敵」ということから、関係がギクシャクしたり、周囲が忖度することも。二宮和也と噂のあった長澤まさみと佐々木希や、妻夫木聡との交際が報じられた柴咲コウと優香、堤真一の“元カノ”同士という鈴木京香と深津絵里などは「共演NG」だという。
そういえば、鈴木は昨年、その名も『共演NG』(テレビ東京系)というドラマに主演。不仲の役者ばかりがキャスティングされるという世界がフィクションとして描かれた。実際に、そういうドラマが作られたら、大混乱とひきかえに高視聴率が期待できるかも!
涙のバトルも
売れるためには、攻めの姿勢も大切だ。猿岩石でのブレイクから1度消えたあと「あだ名」芸で復活した有吉弘行。“おしゃべりクソ野郎”と呼ばれた品川祐のようにキャラ立ちにつながった人もいるが、本気で怒ったのが菊川怜だ。
2008年にバラエティー番組『悪魔の契約にサイン』(TBS系)のなかで“行き遅れ”“人生ラストチャンス”などといじられ、収録中に泣き出すハメに。それを有吉が「どうも、すみませんね」と軽く受け流したことで「あいつ、ムカつく!」とキレてしまった。
それでも、有吉は「こっちも仕事なんだよ!」と言い返し、収録後の楽屋でも心からの謝罪はしなかったという。いま以上に毒舌のヒールキャラに徹していたからか、両者の相性が悪かったのか、ただ、有吉のあだ名芸に傷つき、恨んでいる人はまだまだいるかもしれない。
そんな有吉と長く共演しているのが、マツコ・デラックスと田中みな実。しかし、このふたりはビミョーな関係だ。
きっかけは、'11年の『さんまのホントの恋のかま騒ぎ』(TBS系)。ぶりっこキャラをつっこまれた田中が泣き出し、マツコがいじめたような構図になった。田中は7年後、自身がMCを務める番組で「反省してる」として、
「そこからマツコさんが私を“共演NGだ”みたいなことになってるみたいなんですけど……(次の機会があれば)もっとひょうひょうとうまくやると思う」
と、リベンジを誓っていたものだ。実際、翌年の『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)で共演した際には“天敵”同士ならではのやりとりが面白いと話題に。マツコという怪物が新たな怪物を育てたともいえる。
俳優と映画監督の衝突も
そんな芸能界で、敵に回したくない存在が松本人志。それを実感させたのが、格闘家・角田信朗のブログ騒動だ。
これは'17年、角田が松本との行き違いについてブログで言及したことが発端。しかし、背景にはかつて、ダウンタウンの番組への出演を角田がドタキャンしたという事実があり、松本は『ワイドナショー』(フジテレビ系)でその経緯を説明した。
さらには「8年後にブログでっていうのはルール違反なんじゃないかなあ」と指摘。
「これ(この番組)を見て(また)ブログでっていうのも正直、僕はちょっともう……。これはもう会社通してやってほしいなと思うかなぁ」
と要請したのだ。にもかかわらず、角田は謝罪もブログで行った。これが松本ファンに批判されたことでますます落ち込み、半年以上、活動を休止。心のマッチョぶりでは、松本の比ではなかったようだ。
ほかに、映画監督と役者の衝突というのもある。通常、監督のほうが権力を持つが、それに負けていない役者もいるのだ。
'07年には、石原慎太郎が製作総指揮をとった『俺は、君のためにこそ死ににいく』について評論家でもある映画監督・井筒和幸が「戦争の美化」だと批判。主演俳優の窪塚洋介が「この映画を見て戦争賛美だというやつはアホだと思う」と反論した。
また、織田裕二は'93年の主演映画『卒業旅行 ニホンから来ました』で監督の金子修介と真っ向から対立。公開と同時に、暴露的な内容の手記を書かれてしまう。そこには、ピンク・レディーの『ペッパー警部』を歌う場面について、
「女の歌だから歌いたくない」
とゴネたり、スタッフを交代させたりという横暴ぶりが綴られていた。
その後、柳葉敏郎やものまね芸人・山本高広との不仲も報じられた織田。事件は会議室ではなく現場、いや、自分の人生でも起きていた──!?