「あれから40年……」おなじみのフレーズとともにテンポよく繰り出す“夫婦あるあるネタ”を中心に、思わずうなずいてしまう毒舌漫談で大人気の“中高年のアイドル”こと、綾小路きみまろ(70)。2002年、52歳にしてメジャーデビューし、はや19年。昨年の12月にめでたく古希を迎えた。しかし、新型コロナウイルス感染拡大のあおりを受け、日本全国で行っていたライブも中止や延期に。その間に送っていた意外な生活、コロナ禍でも絶やさず持ち続けていた“芸”への強い思いを、大いに語ってもらった。
「ああ、諦めなくて本当によかった」
「久しぶりの公演は、とても新鮮な気持ちになりました。それと同時に“自分にはこれしかないんだな”って、改めて感じましたよ」
2021年2月中旬、きみまろは島根県出雲市と鳥取県米子市で2日間のライブを開催した。本来であれば昨年5月に行われる予定だったライブの振替公演だ。
「いざ舞台に立ったら“(ブランクで)漫談ができないんじゃないか”ってドキドキしていましたが、お客さんがけっこう、笑ってくれてね。みんなマスクをしているし、前列の方たちはフェイスガードもつけている。ちょっとやりにくいところもあったけど、あんまり縮こまって心配してもしょうがないじゃない? やれることは精いっぱいやりましたよ」
公演時間は約1時間、それもノンストップで。52歳のころから何ひとつ変えていない、きみまろスタイルだ。会場に足を運んでくれた観客を見て、
「みんな、笑いたくて待っていてくれたんだなって。時期が時期だし、コロナのことも取り上げますよ。でも、あんまり話しすぎると暗くなっちゃう。明るくネタにするにはどうしたらいいか、自粛中にたくさん考えました。前列のお父さんに、“コロナがはやりだしてから横文字が増えたけど、わからないことが多いよね。PCRってなんだと思う?”、“それは、PとCがあるってことだよ!”なんて話しかけたりしてね」
ユニークなきみまろ節に、会場は沸く。その笑いを求めていた人たちの笑顔を見て、声を聞いて、きみまろも「笑ってもらってなんぼ」だと元気をもらう。
漫談家を夢見てこの世界に入り、潜伏期間30年、やっと芽が出た52歳。若いころ一緒にもがいていた仲間たちがどんどん売れ始めても、腐らずに続けてこられた理由は「俺のほうが面白い。あいつが売れて俺が売れないわけがない」という意地と、負けん気の強さだったという。
「そういう気持ちに支えられていた時期はありましたよ。いくらオーディションを受けても自分はことごとくダメで、当時から知っていたビートたけしさんは、みるみるうちにスーパースターになっていった。私も“(自分の面白さを)わかってくれる人がいるはずだ”っていう信念を持って続けていました。
世に出てくるタイミングは少し遅かったけれど、メジャーデビューして、たけしさんと会うチャンスをいただけた際に“ずっと頑張ってたんだ。よかったね”と喜んでくれたから、涙ぐんじゃいました。“ああ、諦めなくて本当によかった”って」
『こっち向いて』『投げチューして』
そんなきみまろの生きがいとも言えるライブが行えない間、どんな生活を送っていたのだろうか。
「私の本拠地は河口湖です。畑が300坪くらいあるので、ちょうど昨年の3月あたりから土作りを始めて、ジャガイモやカボチャにトマト、ナス、キュウリ、トウモロコシなど、いろいろな野菜作りに没頭しました。だからコロナ禍でも“仕事がない、どうしよう”って焦ったりもせず、うまく気持ちの切り替えができましたね。身体も動かせるし、とれた野菜をご近所さんに配ったりして、いい時間を過ごせたなと思います」
42歳のときに建てた山梨県の自宅で、畑仕事にいそしんだという。70歳を迎えた今も、足腰はしっかりしているし、滑舌(かつぜつ)もいい。普段から健康には気を遣っている証拠だ。
「体調がいいときは“まだ70歳”って感じるけれど、あまりよくないときは“もう70歳か”って思いますよ。え、まだ全然若く見えるって? そうでしょ、気をつけてるもん(笑)。私みたいに芸ごとで生きている人は、きちんとした定年がない。だからこそ楽しい反面、つらいことも。退職金もないし、辞めたら“ただの人”ですから。でも、本来であればとっくに定年を迎えている年なのに、50代でブレイクさせてもらってから今まで、同じことを続けていられる。こうやってインタビューもしてもらえたり、仕事ができて本当にありがたいですよ」
ここ数年で、会場を訪れる客層にも変化があったと続ける。
「(香取)慎吾さんと共演させてもらってから、ちょっと若いお客さんが増えたかな。以前は完全に中高年だったのが、30〜70代くらいまで幅が広がりました。この間の公演なんか、前列に『きみまろ』『こっち向いて』『投げチューして』なんて書いてあるうちわを持った3人組の女性がいてね! うっかり見ちゃうからタイミングがとれなくなって、やりづらさもあるんだけれど(笑)、まだ俺にも需要があるな、やれるな! って思ったんだよ」
アハハ、と笑いながら、うちわをふる動作を再現してくれた。
「体力が持つ限りは公演をやり続けたいですね。“こういう人が世の中にいたんだ”って足跡を残してるようなもんですから。舞台で同じことを2回も3回も言うようになっちゃったら、自分でも辞めようと思ってる。今のところ、話が止まってしまうこともなければ、壇上に置いてある水を途中で飲むこともない。だから、まだやれるかな」
普段から持ち歩いているという縦長のノートを見せてほしいとお願いすると、快く了承。その中にはびっしりと、ネタの元となるメモが書かれていた。自宅には、段ボール数箱ほどにもおよぶノートがあるのだそう。
「誰も褒めてはくれないですが、自分のために自分でやっていること。これが仕事だし、私自身が築いてきたものですよ。飛行機や新幹線の中とか、移動中に何か浮かぶたび、書きとめているんです。それをヒントに作ったネタを舞台で披露するけれど、もちろんウケないときもある。そうしたら、また考え直す。その積み重ねですよ!」
人生日々勉強……きみまろは、そんな言葉を体現してくれるパワフルな70歳だった。
(取材・文/高橋もも子)
【PROFILE】
あやのこうじ・きみまろ ◎1950年12月9日生まれ、鹿児島県出身。'79年、日劇より漫談家としてデビュー。'02年にリリースしたCD/カセットテープ『爆笑スーパーライブ第1集! 中高年に愛をこめて…』で注目を浴び、中高年向けの毒舌“あるあるネタ”で一躍、人気者に。現在も数々の舞台やバラエティー番組などで活躍する。著書に『しょせん幸せなんて、自己申告。』(朝日新聞出版)や『書きとりきみまろ』(講談社)など。現在、冠番組『綾小路きみまろTV』が CS映画・チャンネルNECO で放送中。