西ゆり子さん 撮影/伊藤和幸 撮影協力=株式会社サン・フレール

  ファッション誌、バラエティー番組のタレント衣装、アイドルの衣装、そしてテレビドラマで女優たちの『役』を表現するスタイリストへ――。ジャンルを超えて、「洋服」の表現と可能性を追求してきた。「夢を見せる仕事」と楽しそうに笑う彼女のスタイリングは、人をワクワクさせる遊び心にあふれていた。

『セカンドバージン』
鈴木京香の衣装が話題に

 ドラマを見ていて、主人公のファッションに目を奪われたことはないだろうか。

 仕事のできる女性管理職のスーツ姿。ファッション雑誌の編集者役の颯爽としたコーディネート。ドラマの衣装は、その登場人物の生い立ちや性格、ときに経済状況や交友関係までをも表現する。演技や演出以上に登場人物を雄弁に物語ることさえある。

 昨今、ドラマの主人公や登場人物が身につけたファッションが、特に女性視聴者の注目を集めるようになった。

 例えば、2010年にNHKで放映された『セカンドバージン』。鈴木京香演じる出版社専務の「中村るい」のファッションが話題になった。

 「私もるいみたいになりたい」「ブランド名が知りたい」「同じバッグやアクセサリーが欲しい」といった声が、番組の掲示板やTwitterに次々と寄せられたのだ。

 このるいの衣装や小物などのファッションのすべてを担当したのが、ドラマスタイリストの第一人者とされる西ゆり子さん(70)だった。

「るいのファッションが評価されたのは、3つの理由があると思います。まず、主演の鈴木京香さんがどんな服でもきれいに着こなしてくださったこと。2つ目は監督が私のセンスを信頼してやりたいようにやらせてくださったこと。3つ目はヒロインのスタイリングに予算をかけられたため、高価なハイブランドの服も使用できたことですね」

 ドラマでは、マックスマーラやエミリオ・プッチ、ブルガリなどもラインナップされた。スタイリングイメージはどのように作り上げていったのか。

「基本コンセプトはコンサバティブです。仕事のできるビジネスウーマンというイメージを演出するために、正統派なデザインの上質なワンピースやシャツにタイトスカートなど、コンサバな服をベースにスタイリングを考えました」

 その狙いどおり、るいの佇まいからは自信に満ちた女性の余裕が漂う。しかし西さんの演出はそれにとどまらない。

「主人公は17歳も年下の男性と恋に落ちる役柄。“女”を捨てていないんですね。そこで意識したのが『第3ボタン』。コンサバなスーツを着ていても、白いシャツの第3ボタンまで開けて、胸元を大胆に見せました。そこから、こぼれる大人の色気は、若い子には絶対まねできないですからね」

 西さんは、『ギフト』、『きらきらひかる』、『電車男』『のだめカンタービレ』、『リーガル・ハイ』、『ファーストクラス』、『時効警察』シリーズなど200本近くのドラマ作品を手がけてきた。

 '19年に放映された『家売るオンナの逆襲』の北川景子のスタイリングも好評だった。天才的な才能を持つ不動産会社のエース社員、三軒家万智が家を売って売りまくるこのドラマ。西さんは、シーズン1『家売るオンナ』に続く、シーズン2のスタイリングから担当した。基本的には1を踏襲しつつ、新たなアイデアを盛り込んだという。

「1以上に、“三軒家万智という強烈なヒロイン”を衣装で表現するにはどうしたらいいか考えました。そして浮かんできたのがビビッドカラー。普通のコーディネートではありえないような『色×色のインパクト』を思いついた。

 例えば、鮮やかなイエローのコートの中に水色のジャケット、赤いロングコートに黒×イエローのスヌードを合わせ、足元のパンプスは水色とかね。一般的なファッション誌ではNGとされるような色の組み合わせでありながら、『カッコいい!』と視聴者に思ってもらえるようなコーディネートを心がけました。衣装合わせのときに、スタッフからすごい歓声が上がりましたよ。北川さんは、役さながらに涼しい顔をしていましたけどね(笑)」

 スタイリストとは、雑誌や広告などでモデルや俳優の洋服や小物などを用意して美しく着せる職業である。もちろん、テレビの世界でもそんな役割は必要とされる。

 では、「ドラマスタイリスト」とはいったいどんな仕事なのだろうか。

「そう、あまり知られてないですよね。だって私の造語ですから(笑)。雑誌や広告と大きく違うのは、洋服を見せるのではなく、役者さんの“役が際立つ”ように服を着せるということ」

 西さんの仕事は、ドラマのプロデューサーから新ドラマの企画を相談されるところから始まる。

 放送開始の約3~6か月前、あらすじと人物相関図を記した企画書が渡され、その後、台本が送られてきたら、ひたすら読み込む。

 台本に書かれている言葉遣いや振る舞いから、その人物がそれまで育ってきた過去を想像する。そのヒロインはパンツスタイルなのか、それともスカートを好むタイプなのか、想像を広げていくのだ。

「台本を読み込んだ段階で私のイメージをきちんと固めておく必要があります。もちろん、その作品全体の空気感も台本からつかみます。いくらヒロインに似合っている衣装でも作品から浮いてしまったら意味がありませんからね」

 衣装のイメージを監督との打ち合わせですり合わせたら、衣装収集へ。西さんのいちばんの檜舞台は、撮影スタッフと役者が集まる「衣装合わせ」だという。

「撮影本番よりも緊張します。実際に役者さんに衣装を着てもらって、みんなの前でプレゼンするんです。それで〇か×か判断される。ただ、意見がくいちがうことも多いですね。だからスタイリストは潤滑油であるために、代替案を用意しておくんです」

 西さんのアシスタントを長年務めた大城敏子さん(64)は、その会話力に驚かされてきたという。

「作業に対する厳しさやプロ意識も並はずれていますが、西さんは相手の望んでいることが一瞬でわかる。話術も巧みで、ニーズに対するプレゼン力は本当に見事ですね」

 芝居をする役者に気持ちよく洋服を着てもらうことが第一。だが、時に別の役者のために用意した服を気に入るケースもある。そんなときは、「あなたの役はこういうキャラクターだから、こっちが似合うよ」と上手に説得することも仕事のひとつだ。

「誤解」からスタイリストへ

『時効警察』では警察官のスーツを考案した西さん。色みに差をつけて課の雰囲気の違いを演出したという。「麻生久美子さんは花形の交通課なので、パキッとした明るいブルーの制服に。オダギリジョーさんたちが着る時効管理課は濃いめの色にしました」 撮影/伊藤和幸

 実は、西さんのスタイリスト人生は「誤解」から始まっている。

 東京の北区・赤羽で生まれ育ち、都立高校を卒業後、デザイン専門学校でグラフィックデザインを学んだ。

 卒業後は、チラシやポスターを作るデザイン事務所に就職したのだが……。

「さあ、デザインの仕事ができるぞ、と入社したのに、来る日も来る日も細かい稲穂やお米のイラストを描かされました。農業関係の仕事を請け負う事務所だったんですね」

 就職して1年後、イラストを得意先に届けた帰り道─。ふと立ち寄った公園には桜が満開だった。

「毎日、コツコツと稲穂の絵を描いている人生はありえない! って、そのとき思って退社を決意しましたね」

 同じころ、西さんは愛読していた雑誌『anan』で「スチリストになりましょう!」という記事を見つける。当時、まだスタイリストという言葉が一般的ではなく、フランス語読みのスチリストとして紹介されていた。

「記事を読んで『あ!』と思いましたね。もともとファッションは大好きだったけど、ファッション関係の仕事といえば“縫う”か“デザインする”の2つしかないと思っていました。自分にはどちらも向いてないと。ところが、記事によれば、スタイリストという“服を選ぶ”仕事がある。『この仕事をやるしかない!』と思って、ほどなくして私は辞表を出しました」

 勢いで辞めたものの、どうやってスタイリストになればいいか見当もつかない。

 西さんは、少しでもファッションの世界に近づこうと、モデルクラブのマネージャーの仕事に就き、業界関係者の人脈を広げていった。

 ある日、たまたま知り合いのカメラマンのホームパーティーでファッション誌『ミセス』などのスタイリストとして活躍していた染川典子さんに出会う。超売れっ子の染川さんは西さんのことをプロのスタイリストだと勘違いしたらしく「西さん、いま私手いっぱいなんで、代わりにこの仕事やってくれない?」と着物の『やまと』のポスターの仕事を紹介してくれたのだ。

 女性モデルが2人いて、1人は着物姿、もう1人が洋服姿というポスター撮影で、西さんは洋服のスタイリングを任された。

「まさに怖いもの知らずなんですが、二つ返事で引き受けて、自分が好きだった洋服メーカーに白いワンピースを借りにいきました。本来、スタイリストは複数のコーディネートを用意して、クライアントや監督に選んでもらうのですが、私が持っていったのは1着だけ。幸いOKが出た。今考えると冷や汗ものですね。これがスタイリストとしての私の初仕事でした(笑)」

 ポスターを見た染川さんから「ファッション雑誌の仕事もしてみない?」と再び声がかかり、西さんは雑誌スタイリストとして歩み始める。

 24歳にしてスタイリストデビュー。実はどこかでスタイリストの仕事を学んだわけでも、修業したわけでもない。突然舞い込んだ仕事を経験ゼロの身でこなし、肩書を手にしたのだ。 

 それ以降、がむしゃらに現場で業界用語や仕事のやり方を学んでいった。そして、主婦の友社の『ai』、集英社の『non-no』、世界文化社の『家庭画報』などの女性ファッション誌の仕事に携わり、いつしか巻頭ページまで任されるようになる。

アイドル衣装で夢を届ける

夫、長男、次男との家族写真

 20代は雑誌の仕事に明け暮れた。そして30歳のとき、3歳年下のムービーのカメラマンと結婚。その年に長男、34歳で次男、37歳で3男を出産した。その間も仕事はほとんど休んでいないという。

「わが家はまるで合宿所のようでした。夫は仕事で海外に行くことも多かったので考え方が比較的日本人っぽくなくてね。家にいるときは50/50で『僕がやれることはやりますよ』というスタンスで。それに近所のママ友がご飯を作ってくれたり、息子たちを預かってくれたりもして、ずいぶんと助けられました」

 一方、子育てが始まると同時に、西さんは雑誌の仕事に限界を感じ始めていた。

「雑誌の仕事は単純に拘束時間が長い。それに、だんだん洋服メーカーの宣伝マンみたいになっている自分が嫌になっていました。雑誌のファッションページで重要なのは、そのときどきのトレンドを紹介することですよね。すると、流行とはいえ、気乗りのしない服でもコーディネートしなくちゃならないから」

 西さんはテレビ業界に仕事の場を移し、アイドルや音楽系アーティストのスタイリングを手がけるようになる。おニャン子クラブの国生さゆりや河合その子、MAXなどのステージ衣装やCDジャケットを撮影する際の衣装を担当した。

「アイドルの仕事で、私はまた新たなスタイリングの楽しみを知りました。それは、服よりも『人』が主役で、アイドルの個性や魅力に合わせた服を選び、ファッションでキャラクターを表現するということ。

 雑誌では“いかに洋服を魅力的に見せるか”が大事だったのに、ここでは“人”だったんですね。ひとりひとりと向き合い、似合う服を探し出してくるのは大変。でも、その分、本当に似合ったときのうれしさは格別でした。現在私が手がけているドラマや映画のスタイリングの原点とも言えるでしょうね」

派手な衣装なら「西ゆり子」

「テレビのバラエティー番組のプロデューサーがスタイリストを探しているんだけど、西さんやらない?」

 知り合いのカメラマンからそう声をかけられ、今度はバラエティーの世界に進出することになる。

 最初に担当したのは、『11PM』に出演する井森美幸さんの番組用の衣装だった。

「上下で合いすぎるのもダメ。テンション上がらないじゃない?」と西さん。自著『ドラマスタイリストという仕事 ファッションで役柄をつくるプロフェッショナル』を3月末に発売予定 撮影/伊藤和幸 撮影協力=株式会社サン・フレール

「そのとき、私が考えたのは『テレビに出る人は普通の服ではいけない』ということ。画面を見ている人たちの目が釘付けになるような装い、ワクワクするような“非日常感”を演出しようと思いました。舞台衣装のような奇抜なデザインの帽子、全身真っ赤な服や靴でそろえたり、とにかくインパクトの強い衣装を目指しました」

 いつしか業界でも評判となり、「派手な衣装なら西ゆり子」と称され、あちこちの番組から声がかかるようになった。

 人気番組『なるほど!ザ・ワールド』の司会、楠田枝里子さんの衣装も手がけた。

「毎回、私と楠田さんで衣装のアイデアを出し合ってましたね。印象に残っているのは“鯉のぼり”(笑)。楠田さんは着こなしがうまいので、布1枚あげるとケープにしたり、本番中にも適当にアレンジできる人で。あるとき、『鯉のぼりが着たい』と言い出して、布を買いに行きましたよ。楠田さんの要求はずいぶんエスカレートしてましたね。『クリスマスツリーが着たい』とか(笑)」

 人気絶頂だった山田邦子さんの衣装も担当している。

「深夜のバラエティー番組『いきなり!フライデーナイト』や『MOGITATE!バナナ大使』など、山田さんの出演する番組は全部手がけました。テレビで見ない日はないほど売れっ子の山田さんはすごいオーラで、『これでもか!』というくらい派手な衣装がバッチリ似合う方でした」

「向いてない」と思ったドラマの世界

 1995年、40代半ばを過ぎたころ、西さんはドラマの仕事を引き受けるようになる。

 バラエティー番組で一緒に仕事をしたプロデューサーがドラマ班に異動となり、西さんに声がかかったのだ。

「でも、ドラマの仕事を始めた当初は、自分にあまり向かないと感じていました」

西ゆり子さん 撮影/伊藤和幸 撮影協力=株式会社サン・フレール

 ドラマの衣装では「つながり」が大切とされる。例えばあるシーンで、ヒロインがスカーフを巻いていたとする。そのスカーフを可愛く見せたいと凝った結び方をしてしまうと、次のシーンでも同じ結び方にしないといけない。それぞれのシーンを順番どおりに撮影していくとは限らない。次のシーンの撮影が1週間後ということもありうるのだ。

「主人公のジャケットにバッジを1個つけ忘れたために撮り直しになるような失敗もありました。本来のスタイリングとはまったく違ったところに神経を遣うのが面倒だったし、なんだかつまらないと感じましたね」

 当時はまだ、外部のスタイリストが入るのは珍しく、テレビのドラマは「衣装さん」と呼ばれる局の衣装部の人たちが用意するのが常だった。

「必ずしも毎回新調するわけではなく、衣装部に保管してあるシャツやコートを使い回していました。しかも、洋品屋さんで買ったような地味なものばかり。そんな現場にファッショナブルな服を持っていくのもなんだか場違いのような気がして、『着せたいおしゃれな服を着せられないんじゃ、面白くない』と、思っていたんですね」

 ところが、ある作品との出会いで、西さんはガ然やる気を起こすことになる。

 その作品こそが、当時一世を風靡した『ギフト』だった。

ハイブランドをドラマへ

「親しかった室井滋さんから、『西さん、いま大人気のSMAP知ってる?』と聞かれたんです。あまりよく知らなかったんだけど、室井さんがプロデューサーを紹介してくれて、SMAPの木村拓哉さんが主演するフジテレビのドラマ『ギフト』で、倍賞美津子さん、室井滋さん、小林聡美さんらのスタイリングをすることになりました」

 1997年4月のクール。

 木村拓哉は、'96年の『ロングバケーション』などで確固たる人気を確立、SMAP人気と相まって注目されていた。

 プロデューサーと演出家の2人が西さんのセンスをよく理解してくれたという。

「私は、台本を読み、浮かんだイメージから女性社長役の室井滋さんに、ルブタンの靴をはかせてもいいかと聞くと、『いいですね!』って。ドラマの世界にもファッションに理解のある人たちがいると知って、ガ然やる気が出ました」

 ところが衣装を貸し出してくれるハイブランド側の対応は厳しいものだった。テレビドラマに自社の洋服を貸した経験がほとんどなかったのだ。

 女刑事役を演じる倍賞美津子さんの衣装に選んだのは、マックスマーラのスーツ。貸し出しの交渉は難航を極めた。

「直談判したマックスマーラの担当者もびっくりしちゃって。私は撮影シーンについて熱弁をふるいました。『外国人体形の倍賞さんがこのスーツを着るとこんなにカッコよくなる。スーツ姿で車のボンネットに手を置いて決めポーズをしたらどれだけカッコいいか!』と。そしたら根負けして貸し出してくれたんです」

 海外のハイブランドが、日本のドラマに服を貸してくれたのは珍しいことだった。

 雑誌ならその洋服が掲載されたページに値段や問い合わせ先もクレジットされるため、ブランド側にもメリットがある。しかし、ドラマでは小さな文字でテロップされるだけ。

 ほかのブランドとの交渉でも何度も断られ、心が折れそうになりながらも熱意をぶつけ、少しずつブランドとの関係性を築いていったという。

『ギフト』は「最も美しい木村拓哉」による名作として成功を収めた。それを皮切りに、深津絵里主演の『きらきらひかる』、常盤貴子主演の『タブロイド』('98年)、鈴木京香主演の『アフリカの夜』('99年)、竹内結子主演の『ランチの女王』('02年)など、多くの作品で、西さんのスタイリングが求められた。

『ギフト』でタッグを組み、後の作品でも西さんをスタイリストとして指名し続けた山口雅俊プロデューサーは、その仕事ぶりを絶賛する。

「西さんとの出会いは衝撃でした。女優が西さんの選んだ衣装を着ることで、存在感が倍増する。西さんのスタイリングの特徴は、自然体のシルエットと色み。西さんのマジックで役柄が際立ち、衣装を通して作品の世界観も明確になる。彼女は、私のドラマの中核をなすクリエイターでした」

 これまで、その卓越したスタイリング能力で女優やタレントたちの秘めた魅力を引き出してきた。

「私はだいたい洋服を選びにいくとき、その女優の顔がつく服を借りて帰るんです」

「顔がつく」とは、どういうことなんだろう。

「例えば、檀れいさんの衣装を選ぶとしたら、サンプルルームで『あ、これは檀れいさんの顔がつく』とピンとくる洋服を選ぶわけ。同じ服でもVネックだと檀さんの顔がつかないけど、丸首だったら顔がつくということもある。

 イメージできるんです。これは似合ってこれは似合わないというのが、女優さんによって違うから。その感覚はほぼ間違いない。これは経験値ではなくて、『特殊能力』だと思います(笑)」

「西さんって、アクセサリーをつなげてみたり指輪を何個もつけたり、アレンジがすごく面白いんです」とマルシアさん 

 だが、西さんにも苦い経験がある。ブラジルから来たばかりのマルシアさんがデビューしたころレコードジャケットの撮影を担当。その見立てをはずしたと振り返る。

「歌謡曲のアイドル系だから『まあ、白い服だな』と。着せてみたらすごく似合わない。あれっ? と思って次に花柄を着せたら、これまた似合わない。代々木公園でブローニュの森のように撮影しようと思ったのに……。困った末に黒とか茶色を着せたらピタッときた。白い服が似合わないアイドルもいるってことは、マルシアで学んだんです(笑)」

 白が似合わない人はほかにもいると言う。

「藤原紀香さんも黒を着ると、マリア様のような清楚な感じになるんだけど、白を着ると意外に俗っぽくなってしまう。だから白って難しいんだなと思いましたね。よく『困ったら白』と言うけど、そうではないんですよ」

 デビューから30年以上の付き合いになるマルシアさんが笑いながら教えてくれた。

「私、デビュー当時太っていて白や花柄が似合わなかったんですね。西さんの選ぶ服は私が絶対選ばないものばかり(笑)。でも、私がやりたいことをいっぱい聞いてくれて、『これよ』と言って持ってきてくれた服は、まるで化学反応を起こしたように私にぴったり。私の360度をフルコースでわかっているので、サイズも完璧な状態で衣装を用意してくれるんですね」

 その完璧な計算を狂わせる事件が起きたのは去年のこと。それでも西さんは涼しい顔で対処してくれた、とマルシアさんが続ける。

「武田鉄矢さんの番組に出演するための衣装をお願いして、西さんは完璧に私のサイズで用意してくれていました。でも、私がコロナ禍で4キロ太って入らなかった(笑)。そしたら、彼女はコンビニで買える道具でササッと直してくれました。あの技術とセンスはすごい。西さんは、常にポジティブマインド。どんな現場も明るくしてくれます。いつも気にかけてくれる母のような存在ですね」

60歳で家庭「解散」!

 西さんは60歳を迎えた節目で、家族に「解散」を宣言したという。

「私も還暦になったので、これからは家族それぞれが自分の好きなスタイルで生きていきましょう」

 子どもたちは家を出て、夫は実父の介護のため、出身地の三重県へ。西さんは東京のマンションでひとり暮らしを始めた。毎月2週間ほど、夫は西さんの会社の経理を見るために上京し、西さんも仕事が空けば三重に出向いた。

「1週間、田舎に行って主人と農作業をして一緒に東京に帰るという生活。でも、楽しかったですよ、まるでデートするみたいで(笑)」

 次男が生まれたときにバブルが弾け、仕事が縮小した夫は子育てや家事を引き受け、西さんを支えてきた。そんな夫が先だったのは2019年秋のこと。スキルス性の肺がん、66歳という若さだった。

子育ても家事も積極的に助けてくれた夫と

「夫には、本当に感謝しかありません。おしゃべりで喜怒哀楽が激しい私とは対照的に、寡黙で性格的にも穏やかな人でした」

 西さんが仕事で怒りに震えて帰ってきても、「まあ、それはしかたないじゃないの」となだめてくれる夫。そう言われると、「そうだね。じゃあ、ご飯でも食べようか」と自然と心が落ち着いたという。

 息子たちの目にはどう映ったのだろうか。次男の涼太さん(36)が言う。

「母は自由気ままな人ですね。保育園や学校の行事、サッカーの試合などに母が来てくれた記憶があまりなくて。

 そして本当に服が好きな人。小さいころ、出かける前にコーディネートをチェックしていろいろアドバイスしてくれました。基本的な型(ルール)なども教えてくれましたね」

おしゃれに見せる3ステップ

チャリティーカジノパーティーにて

 ドラマや映画の仕事を手がける傍ら、がん患者のための帽子制作費を募る「チャリティーカジノパーティー」を毎年主催して20年になる。『パンダ』や『五輪』などお題を決めて参加者たちとファッションを楽しみ、集まった20万~30万円をがん研有明病院が支援する『帽子クラブ』に寄付してきた。

「“どうせやるなら、楽しく社会貢献”が私のテーマなの。抗がん剤の影響で髪の毛が抜けちゃう患者さんは周りの目が気になって帽子の試着ができない悩みを抱えていると知ってね。ほら、洋服と違って帽子は試着室がないでしょ? だから病院の一角で素敵な帽子に出会って、おしゃれする機会を増やせたらいいなって」

 最近では、一般の方からスタイリングを相談される機会も増え、自分で“着る力”を身につけられる『スタイリングレッスン』を展開している。

 長年芸能人のスタイリングを手がけてきた西さんに、一般人でも取り入れられるおしゃれのヒントを尋ねてみた。

 スタイリングで大切なのは、3つのキーワード『コンサバティブ』『エッジ』『華やかさ』だと言う。

「芸能人も一般の人も基本は一緒です。永遠の美しさである『コンサバティブ』をベースに、人それぞれの個性を演出する『エッジ』と『華やかさ』のボリュームを調整し、その人らしいキャラクターを創り上げていくのが“西ゆり子メソッド”なんです」

 これまで多くの先人たちが作ってきたオーソドックスで伝統的な美のルールをベースに、自分らしい「エッジ」をきかせる。どこかに1点だけ、最新モードのアイテムを取り入れたり、大胆な色や柄の物をプラスするのだ。

 そして仕上げに、その日会う人のことを考えながら「華やかさ」を調整する。

「シックなスーツにグローブだけ赤にするとか、時計だけ赤にするとか。ドキドキするでしょ、自分でも。たったそれだけのことなんですよ、洋服を楽しむことって」

 昨年、西さんは『放送ウーマン賞2019』で日本女性放送者懇談会50周年特別賞を受賞した。放送界で活躍し優れた功績を挙げた女性に贈られる賞である。

「20代のころからスタイリストの仕事について50年。70歳になって、やっと自分が見極めた結論のようなものがクリアになってきました。これからは、それをひとつひとつお伝えしていこうと思っています。死ぬまで現役で仕事をするつもりですよ! この仕事、最高に楽しいですから」

 多くの人をおしゃれの魔法にかけてきた西さんだが、自分のおしゃれも全力で楽しんできた。70代は「とんがる」のが目標だという。

「あらゆる服を着てきたから、これからは自分の好きなアイテムを自分の好きなように組み合わせて、おしゃれができる。今、すごい毎日が楽しいんですよ。おしゃれって本当に人を元気にさせてくれますよね」

 そう言って、西さんは眼鏡の奥の目を細めた。

取材・文/小泉カツミ

ノンフィクションライター。社会問題、芸能、エンタメ、など幅広い分野を手がける。文化人、著名人のインタビューも多数。著書に『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』など。近著に『崑ちゃん』『吉永小百合 私の生き方』がある