卓球の福原愛にまさかの不倫報道が舞い込んできた。
2016年に台湾出身のイケメン卓球選手・江宏傑と結婚。2人の子宝に恵まれたが、2021年に入ってからというものの「新事務所設立」や「家族と離れて日本移住計画」を明かすなど、周囲がザワついていた矢先のことだった。
不倫疑惑の渦中にあるお相手は、旧知の“イケメンエリートサラリーマン”だという。同じホテルで一晩をすごし、翌日は愛ちゃんの自宅にお泊まり。
報じた『NEWSポストセブン』には、横浜・中華街デートの様子が55枚におよぶ写真の数々とともに掲載されている。シュウマイを売る露店の行列に堂々と並んで食べ歩きをしたり、ソフトクリームを「あーん」してあげたり。コースも山下公園を散歩した翌日には赤レンガ倉庫でパンケーキを頬張るなど、横浜レジャーの王道をゆくものだった。これをデートと呼ばずになんという。お相手もなかなか度胸のある男とみた。
その翌日、同誌の記者に直撃されて「(ホテルは)2部屋とりました。(自宅には)部屋がいくつかあるので」と不倫を否定していたが、このとき、血の気がサァーッ! と引いていったのは間違いないだろう。
プライベートなき思春期に「なんで私だけ」
世間からも驚きの声は上がっているがそれもそのはず、いまも多くの人々の記憶に刻まれているのは “泣き虫愛ちゃん”のイメージなのだから。天才卓球少女の成長をブラウン管ごしに見守ってきた我々の思考が追いつくわけない。
小さいころから“泣き虫愛ちゃん”としてメディアでひっぱりだこ、アイドルにも似た扱いをされていたことについて、愛ちゃんはのちにこう振り返っている。
《幼い頃の私は、ただ卓球が楽しいだけで、周りに騒がれることに疑問を抱かずに、突き進んでいた感じです。でも思春期の頃、プライベートが全くなく、色んな人に見られる暮らしが本当に嫌になったんです。なんで私だけって、嫌な感情ばかり湧いてきました》(『anan』2013年3月13日号』)
そんなストイックな日常の背景には教育熱心だった両親の存在がある。愛ちゃんが14歳だったころ、父母そろって雑誌のインタビューに登場し、反抗期の娘についてこのように話している。話者は父。
《彼女なりの反発があったとしても、その反発はこういう理由でおかしいんだよ、おまえの間違いだよと説明してあげる。最初は向かってくるけども、説明を重ねて、最後には納得する。その連続です》(『卓球王国』2003年9月)
かなりおっかないが、母も「父には誰も逆らえない」と続けている。目標は、《全日本の中心的な選手として、また下の選手の見本になる》大人に育てること。
それから数年。20歳になって愛ちゃんが世間を驚かせたのが、テニス・錦織圭との「原宿路上キスデート」(『FRIDAY』2008 年)である。ちょうど親元を離れ早稲田大学に進学、中国人コーチが出産をするタイミングで一人暮らしをはじめたころ。彼女からメールアドレスを聞いて猛アピールを繰り返したという。
このころから、我々の知らない愛ちゃんが現れだしたような気がする。バラエティー番組でたびたび泣かされていたあのころのように、テレビに出演することもなくなっていた時代だ。
別の雑誌報道によれば、この錦織とのデートの日、ふたりはスポーツショップや有名チェーンの喫茶店を巡ったあと、とあるアロマショップに立ち寄り、イランイランのオイルを購入していたのだという。……イランイラン(効能については各自検索のほど)。逆に20歳にしては目覚めすぎじゃないだろうか。いつの間に立派な大人になってしまったんだ。
“二股疑惑”の文字が踊る
そして、当時、週刊誌界隈で話題なっていたことがもうひとつ。
同時期に、愛ちゃんに別の男のカゲがあったことだ。お相手はイケメン卓球選手・大矢英俊。青森山田中・高時代の同級生で、高校時代から付き合ったり別れたりを繰りかえしていたらしく、友人に「今は微妙だけど、戻るつもり」と言っていたところ、間もなく、錦織との熱愛報道が出たのだという。この件について“二股疑惑”と打つ媒体もあった。
我々はつい、「愛ちゃんは恋愛に対してウブなんじゃないか」といったイメージを持ちがちだが、実情は異なるのかもしれない。勝手に純情を期待してしまうのは当然、“泣き虫愛ちゃん”が刷り込まれているからにほかならない。みな、親戚の気分で見守っているのだ。
こういった“熱愛スキャンダル”はなぜあまり話題にならなかったのだろうか。そこには、彼女による「プライベートを守らんとする」鉄壁のディフェンスがあったのだと今更ながら実感させられる。
錦織との熱愛発覚後に『週刊現代』が両所属先に取材をしたところ、錦織サイドはお決まりともいえる《北京五輪で知り合い、良い友達だと聞いています》と返したのだが、福原の個人事務所は《コメントできない》と実にそっけないものだったという。プロツアーの欧州遠征から帰国し、成田空港に待ち構えていた60人のマスコミを前にしても「お騒がせして申し訳ありません」の一言だけを残し、うかない顔で去っていった。
思い出されるのは前述のインタビュー取材での《色んな人に見られる暮らしが本当に嫌になったんです》の言葉。勝手に“泣き虫”とキャッチコピーをつけられ、好まざるとも日本全国に愛でられてきた彼女の反動をそこに感じるのだ。
2016年に『週刊文春』の名物企画『阿川佐和子のこの人に会いたい』に登場したときも守りの堅牢ぶりを発揮。聞き手のプロである阿川さんを前に、直近のリオ五輪で活躍したという、選手としての話ばかりに終始。『対談後記』で阿川さんはこのように綴っている。
《対談前、福原さんの事務所から「対談は競技のことだけにしてください。今後のことについて聞かれても答えられませんので」と厳しく言われていたので触れられませんでしたが、なんと私がお会いした翌日に入籍なさっていたのですね。メッチャ驚きました》
もちろんお相手は電撃結婚した江宏傑。対談は結婚発表後に公開される記事とわかっているのだろうし、あの“文春砲”とて、真っ向からの対談取材で得た話を、「スクープ速報! 福原愛結婚へ」などとニュースにする不義理はしないだろう。やはりそこには、マスコミに対し、徹底的にクローズドなスタンスを保っているような気がしてならない。
それでいながら、2018年の現役引退会見のときは、
《あのときは泣き虫じゃないもんって何回も思った。でも、最後のリオも泣いちゃいましたし、やっぱり泣き虫。なので『泣き虫愛ちゃんだよ』って言いたいです》
と心のネットを突き破るスマッシュで、“全国の親戚一同”の涙腺を決壊させてみせる。わずか4歳のころからマスコミに取り上げられすぎて、自分がどう映るか、そして自分をどう見せるべきかを誰よりも自覚しているのかもしれない。ある意味メディアの申し子、天才子役でもあったのである。
不倫疑惑への「謝罪文」からあざとさが……
──さて。横浜デート不倫報道から翌日、愛ちゃんは自身が社長を務める事務所『omusubi』を通じて、直筆の謝罪メッセージを発表している。かなり気になるその文書を読む。もちろん不倫は否定しているのだが、内容はなかなか練られたものであった。
《社会人の先輩として尊敬していた友人にアドバイスをいただく際に気分転換を兼ねて、外出いたしました。一緒の部屋に宿泊した事実はありません》
あくまでデートではなく“相談”であり、“部屋は2つとった”の線を主張して“容疑”を否認。「一緒のホテルに泊まった」事実もまるごと否定しているかのように映る書き方は、実に巧妙だ。現に一部ウェブメディアでは記事のタイトルが《一緒に宿泊した事実ありません」》となっている。あくまで“一緒の部屋”の部分を否定しているだけで、一緒のホテルに泊まったことには触れていないのに。そして、2日目の自宅で過ごしたことについては華麗にスルー。“打ち返さない”という高等テクニックをみせつける。
囁(ささや)かれている夫との別居・離婚説についても、
《夫婦間で子供にとって何が一番なのか話し合っていることも、併せてご報告させていただきます》
と直接表現を避けつつ、“子ども”という最強の切り札をいきなり放つ。キレのある王子サーブが決まった。ワンポイント。
今後、不倫を報じた『セブン』から、テニスボールくらいインパクトのある“56枚目のデート写真”が出てくることはあるのだろうか。地獄みたいなラリーの応酬が始まるんじゃないか……と戦々恐々なんだわサァ〜(坂田師匠)。
〈皿乃まる美・コラムニスト〉