3月1日、渡辺直美が自身のインスタグラムを更新し、4月から活動拠点をアメリカに移すことを発表した。吉本との契約は継続するものの、日本のレギュラー番組は3月をもって卒業する。地元・茨城県石岡市を訪ねると、幼少期から抱いていたお笑いへの憧れや、下積み時代に明かした海外への思いが聞こえてきた。彼女が“アメリカ進出”にこだわる理由とは──。
《ご報告です。この度4月からアメリカを拠点に活動することが決まりました!》
3月1日、渡辺直美(33)がインスタグラムでアメリカに移住することを発表した。
「アメリカのエージェント会社2社と契約しました。マネージメントはこれまでどおり吉本興業が行いますが、日本のレギュラーテレビ番組は3月で卒業。コロナ禍で、頻繁に日米を往来するのは無理ですからね」(スポーツ紙記者)
その決断に、多くの芸能人から応援の声が上がった。
「3月2日の日本テレビ系『スッキリ』では、親友の近藤春菜さんが“日本で収まる人じゃないと思っていたんで、こうなるのは自然”とコメント。フジテレビ系『バイキングMORE』ではヒロミさんが“覚悟のうえで勝負にいってる。だからカッコいいんだよね”と感心していました。かねてから親交のあったNYに住むピースの綾部祐二さんとの共演を望む声もありますね」(テレビ誌ライター)
ブレイクのきっかけとなったのが、アメリカの歌姫・ビヨンセのモノマネだ。
「'08年に今田耕司さんイチオシの若手芸人として番組で紹介され、モノマネを披露。すぐに話題となり“和製ビヨンセ”として人気を得ました。バラエティー以外にドラマ、映画にも出演する一方でファッションブランドまで手がけ、多彩な活躍を見せています」(同・テレビ誌ライター)
今回契約した会社の1つにはビヨンセも所属しており、ついに憧れの人に近づいたことになる。
型に縛られない芸風
スター街道を突き進む渡辺だが、その原点は茨城県石岡市で過ごした幼少期にあった。幼稚園から中学校まで一緒だったという幼なじみの男性は、当時から人気者だったと振り返る。
「小学生のころから“吉本の芸人になりたい!”と話していて、たしか松田聖子さんのモノマネが得意だったと思います。仲のいい友達を集めて、放課後にモノマネを披露していました」
高校には進学せず、吉本の養成所に入る資金を稼ぐため、3年間アルバイト生活を送った。ファミリーレストラン『夢庵』でバイト仲間だった女性は、彼女の勤勉な仕事ぶりを覚えている。
「連日、頑張っている姿が評価されて、若いのにバイトリーダーを任されていました。ただ、バイトの現場でも、テレビに出ているときのような感じでふざけてましたよ(笑)。仲よしなスタッフのモノマネなんかをよくしていましたね。“吉本の養成所に入る”っていつも口にしていて、明るい性格で従業員やお客さんの間でも人気者でした」
このころから、ファッションやアメリカの音楽に対して興味を持ち始めた。
「“お笑いで食べていけないかもしれないから、そのときはアメリカとか海外に行きたい”と話していました。洋楽にハマっていたみたいで、当時から“ビヨンセが好き”って言っていましたね。ファッションも大好きで、雑誌を読みまくっていました」(同・バイト仲間の女性)
10代のころに語っていた夢が、すべて現実になっているから驚きだ。しかし彼女の母親は、芸人になることに反対していたという。
「働いた後、みんなでまかないを食べていると、楽しくてついつい夜遅くなってしまうことも。まだ10代だった直美さんを心配して、お母さんが迎えにきたこともありましたね。心配性な感じだったので、芸人の道へ進むことに反対したのもわかります」(同・バイト仲間の女性)
それでも反対を押し切り、東京へ。養成所で勉強を始めるが、地元に戻ってくることも多かった。
「“とにかく劇場で必死に頑張ってる”とか“ライブ見にきてよ”と言ってましたね。芸人さんの話はそんなにしなかったけど、テレビに出始めたころ“今田耕司さんが自分の芸を気に入ってくれたんだ〜”って、とてもうれしそうに話していたのが印象に残っています。
急に帰ってくることもあって、3、4年前にはショッピングモールのフードコートに突然現れたなんて話も聞きました。会ったときには会話の内容も昔と変わらないし、まったく飾らない感じです」(前出・幼なじみの男性)
アメリカ留学のきっかけ
本格的な移住は初めてだが、'14年にはアメリカに留学したことも。“モノマネはできるけど大喜利が苦手”と漏らし、当時はコンプレックスだらけだった。オリエンタルラジオの中田敦彦に相談したところ、「短所は捨てて、長所を伸ばせ」とアドバイスされたのが留学のきっかけだった。
《その言葉で、考えたんです。自分の長所ってなんなんだろうと。ビヨンセもやって、コントでいろいろなキャラクターもやらせてもらって。もしかしたら、長所は“表現力”になるのかなと。そこを伸ばすにはどうしたらいいのか。何がどうなるのか分からないけど、とにかく向かったのがニューヨークだったんです》('15年10月『THE PAGE』インタビューより)
渡米して3か月レッスンを受けた。そこでカルチャーショックを受け、自分が何を表現するべきか深く考えるようになったという。お笑い評論家のラリー遠田氏は、その才能とセンスを高く評価する。
「面白さはもちろん、ファッションセンスを含めた自分の“見せ方”のセンスが抜群。従来の芸人の型に縛られない活動が評価され、SNSの人気にもつながりました」
海外での挑戦を続ける彼女の芸は、なぜ世界でも受け入れられたのか。
「コメディアンが面白いことをすると、笑いや拍手で“みんなで楽しむ”のがアメリカ。誰かがツッコんで笑いが起きる日本とは違います。変なことに対して、“おかしいだろ”じゃなくてそのまま“面白いよね”と肯定される。“ツッコミ不要”ともいえるスタイルが直美さんにとてもマッチしています」(ラリー氏)
今やインフルエンサーとして多大な影響力を持つ彼女は、移住しても日本での人気が落ちることはないようだ。
「拠点を移す以上、アメリカでの活動が中心でしょう。ただ、インスタグラムやYouTubeなら世界中のファンに発信ができる。日本の番組も今はリモート出演が可能ですから、むしろ活躍の幅は広がりますよね」(ラリー氏)
アメリカという広い舞台で才能が解き放たれ、さらにパワーアップした姿を見せてくれるだろう。